アーセナルへの愛とリスペクトを貫くミケル・アルテタ 前編

分析Tim Stillman,海外記事

ミケル・アルテタのアーセナルファンの間での立ち位置は、選手時代から常に興味深いものだった。アルテタは現役時代にファンからの人気が高かったわけではなかったが、かといって不人気だったわけでもなかった。

かなり安定して出場していたアーセナルの選手としてはこれはかなりレアなケースだ。2010年代のアーセナルはジルー、ウォルコット、ラムジー、エジルと良い選手だがファンの意見が真っ二つに分かれる選手たちのオンパレードだった。

先発を続けたアルテタがこのような扱いを受けなかったのは、彼の役割がかなり地味な中盤の底でプレイすることだったことも影響したかもしれない。

そして、彼は3シーズンアーセナルのキャプテンを務めたわけだが、キャプテンに任命された際に、全く議論にならなかった。以前も書いたが、話題にならないことは良いキャプテンの特徴でもある。アルテタのチームリーダーとしてのステータスはクラブの全員から共通して受け入れられた。

彼のクラブでの最後の2シーズンは怪我に悩まされ、アーセナルで最後の試合をプレイした際に、非常に正直に自身の能力不足に関する評価を語った。

このクラブでプレイするためには、自分のポジションでベストな選手である必要がある。そうでなければ、アーセナルにはいられない。恐らく私はアーセナルに少し長く居すぎた。最後の数か月間私はアーセナルでプレイするに値する選手ではなかったと思う。アーセナルでプレイするには80点ではダメなんだ。100点でなくては。それが出来ないのであれば、アーセナルの基準には足りない。それで何とかなってしまう選手もいるが、私はこのことに悩まされていた。そして、このような状態にあるならば、自分で決定を下したいと思ったんだ。

これらの言葉は、今のアルテタの監督像とぴったりと一致する。

さらに興味深いことに、アルテタは選手時代から監督の素質について語られていた。同じインタビューでアルテタ自身がこの数か月、あるいは1年間彼は選手としてよりもむしろコーチとしてサッカーを観ていたと語っている。

選手時代のアルテタは、まさに"アーセナルマン"らしく話をした。この性質は具体的に表現するのがとても難しいが、それでも簡単に伝わるものだ。

エヴァートン時代にアルテタにはビッグクラブへの移籍の話もあったが実現せず、29歳になってようやくアーセナルへと移籍した。恐らくだが、彼はそろそろプレミアリーグの伝統的なビッグクラブへの移籍は諦めかけており、アーセナル移籍のチャンスが転がり込んだことに非常に感謝しており、アーセナルの選手でいられることの重みを感じていたのではないだろうか。

そして、アーセナルの監督に就任してからのアルテタは、ジョージ・グレアム時代初期と少し重なる部分がある。この二人は、キャリア終盤を迎えた豪奢なスターたちが築いていたクラブのカルチャーを変える必要があった。

私の記憶が正しければ、アルテタの監督就任会見はファンの間で非常に評価が高かったはずだ。エメリ時代とは違う確信とオーソリティがあった。この時点では本当にそれを実現できるのかまではわからなかったが、少なくとも彼の言葉の中にはそれが感じられた。

そして、彼がアーセナルで仕事をするということについて語った言葉も印象に残っている。

彼は『ホームに帰ってきた。アーセナルを去ることを決めた時、皆には、私は外に出て学んでくるよ、準備をして、そしていつかここに帰ってこられたらいいな、と告げたんだ。』と語った。

アルテタの他のクラブでの監督就任が噂に上がったことは全くなかった。恐らく、彼はアーセナルの監督になるチャンスを待っていたのだろう。

彼にとってアーセナルの監督という仕事は単なるキャリアの上での一歩ではなかったのだ。私としては、アルテタのように、アーセナルで選手時代を送り、そしてアーセナルの監督になることを心の底から望んでいたような人物に惹かれずにはいられない。

(後編に続きます)

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Posted by gern3137