ヴィニシウスはアルテタのチームで輝けるか?

移籍Tim Stillman,海外記事

最近、ヴィニシウスJrのアーセナル移籍が報じられていることを受けて、アーセナルファンだけでなく、他クラブのファンからも「ミケル・アルテタのような監督が、ヴィニシウスのようなスター選手をチームに組み込めるのか」という疑問の声が上がっている。

これはある意味では、もっともな疑問だ。確かにアルテタは就任初期、メスト・エジルと正面から対立したことがあった。

だが、この時期のアーセナルでエジルは、フレディ・ユングベリとウナイ・エメリにも同じような状況を抱えていた。エメリはあまりにも優柔不断で即断が出来ず、その後のユングベリは暫定監督だったので本格的に対処するだけの権限がなかったので、直接的な対立にはならなかったというだけだ。ただしユングベリは交代を命じられたエジルが腹を立て、噛んでいたガムをベンチに向かって蹴り飛ばした際には、彼をメンバーから外している。

また、スター選手というほどではないが、ゲンドゥージも、アルテタの怒りを買った。そして、そこからたったの1年後には、ピエール=エメリク・オーバメヤンが追放同然の形でバルセロナへと去った。したがって、規律や態度面を非常に重視する監督が、スター選手を受け入れられるのかと問うのは妥当ではある。

しかし、この問いは少々不正確であるようにも思われる。

まず、オーバメヤンもエジルも、そしてここにゲンドゥージも含めても良いが、彼らが放出となったのはピッチ上で走ることをさぼったからというわけではない。

アルテタは就任後最初のプレミアリーグ10試合すべてでエジルを先発させていたし、エジルも非常に良いプレーをしていた。彼がまずベンチに回され、最終的に登録メンバーから完全に外されたのは、新型コロナウイルスによる中断期間後だった。

そして、彼が外されたのは、守備時の規律を欠いていたからではない。オーバメヤンも同様だ。アルテタはオーバメヤンを左ウイングで起用し、2020年には31歳だった彼との3年の契約延長を実現するために尽力した。

オーバメヤンとの関係が険悪な形で終わったのは、ピッチ内ではなく、完全にピッチ外の問題が原因だった。

また、ヴィニシウスがピッチであまり走らない怠惰な選手であるかのように語られることにも、私は違和感を覚える。データを見ても、実際のプレーを見ても、それはあまり裏付けられていない。特にレアル・マドリードでのチャンピオンズリーグの重要な試合や、ブラジル代表の試合ではそうだ。

格下相手の試合では、彼が高い位置に残ることが多いという指摘は妥当だと思う。しかし、それはヴィニシウス本人に守備へ加わる意思がないからではない。それは多くのトップレベルの監督が下す、理にかなった戦術的判断にすぎない。

試合を決定づけられる本物の攻撃的才能をチームに抱えているなら、自陣ペナルティーエリアの端にまで戻らせたいとは普通考えない。ファイナルサードで違いを生み出せる一流選手には、基本的にファイナルサードにいてほしいものだ。

ワールドカップでカルロ・アンチェロッティは、近年でも屈指と言っていいほど期待外れに終わったブラジル代表ではあったが、その中で、ヴィニシウスが最も優れた選手であることをよく理解していた。実質的には、彼はヴィニシウスとマテウス・クーニャを自由に動ける2トップに置いた4-4-2を採用していた。

アンチェロッティはヴィニシウスに自陣まで戻るよう求めなかった。高い位置に残るよう指示し、その後方をルーカス・パケタに内側へ絞らせてカバーさせたのだ。

マドリードでも、アンチェロッティはしばしば同様のことを行っていた。ほとんどの監督は、こうした選択をする。

ペップ・グアルディオラは、ボール守備時の規律を重視しない監督として知られているわけではない。それでもリオネル・メッシには自由を与え、彼に相手ウイングを追って全力疾走するようには求めなかった。

ユルゲン・クロップは、ゲーゲンプレスの生みの親ともいえる存在として名声を築いた。しかしクロップも、例えばロベルト・フィルミーノには求めたような狂気じみたプレスを、モハメド・サラーには要求しなかった。

ほとんどの監督は、スターアタッカーが体力を温存することを単に容認するというよりも、むしろ、スター選手にそうするよう求めるのだ。

もちろん、それには微妙なバランスが必要だ。こうした自由を与えることができるのは基本的にチームに一人までであり、複数の選手に許せばどうなるかは、PSGがメッシ、ネイマール、エムバペを同時に抱えた時期に身をもって学んでいる。

また、人々はアルテタの要求やサッカー哲学を誤った視点を通して見ているようにも思う。私の考えでは、その原因の多くは、サッカー分析が「ミーム化」してしまったことにある。

今では固定観念が以前よりもさらに激しく強化され続ける。なぜなら、いわゆる「業界内」の人間ですらオンライン、つまりXということだが、であまりにも長い時間を費やし、10代のユーザーや荒らしアカウントが投稿する幼稚な罵り合いを吸収し、それを自分の考えとして内面化するようになってしまったからだ。

確かに、アルテタはチームがボールを持っていない際の規律を非常に重視している。そしてそれは正しい方針だ。それこそがアーセナルを現在の位置まで引き上げた要因でもある。

しかし、彼が過激な規律主義者である、あるいは、ここ2シーズンのアーセナルが見せてきたスタイルに縛られているという見方は、少し真剣に検証すれば成立しないことは明らかだ。彼の下で、チームがもっと自由に目まぐるしく、荒々しいスタイルでプレーしていた時期も実際にあったのだから。

恐らく、ガブリエウ・ジェズスが慢性的かつ深刻な膝の問題を抱えるようになったことが、チームの変化に関して決定的だったと思う。ジェズスのようなストライカーは、流動性やボール保持時のリスク軽減をサポートしてくれる。

彼が怪我で不在となり、その後パフォーマンスが低下したことで、チームは方針転換を余儀なくされた。

2024-25シーズンには、ブカヨ・サカが攻撃時に非常に自由な役割を与えられ、中央へ移動することも許されるようになった。

2025年4月にレアル・マドリード相手にサカが決めたゴールを観れば、彼がダビド・アラバにカウンターを仕掛けられる可能性に備えて、右ウイングの位置に張り付いているわけではない、ということが見て取れる

これまでの監督キャリアを通じてアルテタが示してきたのは、彼はチームに所属する選手の才能によって自らのスタイルを形作られるという、ことだと思う。そういった意味で、彼は現実主義者だ。そしてアーセナルがこれまで抱えてきた一流のタレントは皆、アタッカーよりも、ボールよりも後方にいるときに輝く選手たちだった。

リスクや即興プレイを嫌う監督が、エベレチ・エゼ、ノニ・マドゥエケ、ヴィクトル・ギェケレシュのようなアタッカーを獲得するはずがない。

まとめると、第一に、私はヴィニシウスが、多くの人が言うほどの、プリマドンナのような選手だとは思わない。

第二に、アルテタも他のトップ監督と同じように、本物の意味で試合を決定的に変えられる才能を持つ選手には自由を与えるだろうだと考えている。単に、アーセナル監督就任以降、彼は攻撃陣にそうした選手を十分に擁していなかったお言うだけだ。ハムストリングとアキレス腱の問題を抱える前までは、サカが順調にそのレベルへと近づいていたのだが。

改めて振り返ると、チャンピオンズリーグ決勝後のアルテタの言葉は示唆的だった。

彼は「PSGと、特にルイス(・エンリケ)を祝福したい。私の考えでは、彼らは世界最高のチームだ。ボールを持った時に彼らができること、個人技で見せられることのレベルは、いまだかつて見たことがない。」と語った。

この「いまだかつて見たことがない」という言葉は、「自分が率いるチームでも、それを見たい」という意味に訳すべきだし、そう訳してよいのではないだろうか。

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Posted by gern3137