アルテタにトップレベルでの監督が務まるとは思っていなかった。だが既に彼はアーセナルで結果を残し始めている by ジェイミー・キャラガー 後編

語ってみた

(この記事は前編の続きとなっています。)

その問題のうちの一つがユナイテッド戦でアルテタが初勝利を挙げた直後のルイスとソクラティスのインタビューで明らかになった。

このインタビューは暗にエメリ時代の問題をハイライトしているともとれる内容で『楽しさが戻ってきた』とソクラティスは語った。どうやら彼らはエメリのサッカーを楽しめていなかったようだ。

ルイスはフィジカル面でチームは問題を抱えていると指摘し、続けて『若者たちがサッカーと人生においてビッグなことを成し遂げるのに必要なものを理解し始めて、そのように振舞い始めるのを見るのは良いものだね。』と語った。

私はこれを聴きながらかぶりを振っていた。『若者?本気か、ルイス?』

アーセナルにとって本当の問題はソクラティスやルイスといったベテラン選手たちのパフォーマンスだった。若手ではない。チームは私が『アーセナル病』と呼んでいる、必要以上に下がりすぎ、プレッシャーを招く症状に苦しんでいた。

チェルシー戦ですら、私はアーセナルが勝利に値したと思うが、アルテタの思惑と矛盾する形でチームがDFを押し上げられなかったおかげで、アブラハムの決勝点につながってしまった。

この場面でルイスとソクラティスが直接の失点の原因ではなかったとしても、彼らはより大きな問題の一部だ。彼らベテランたちがエメリ時代、ベンゲル時代終盤の失敗をまるで若手のせいだったかのように語るのはばかばかしい。このような認識をアルテタは改めさせなくてはならない。

2020年のアーセナルはフーリエが監督に就任する以前の1998年のリバプールを思い起こさせる。メンタル面で脆く、年長の選手たちに悪い習慣があり、継続している失敗の責任を負うことを避けている。

ベンゲル時代にもアーセナルは長い間、眩暈のするような美しいサッカーを展開することは出来たが、重要な試合で、特にフィジカルの強い相手での勝負弱さを露呈することが多かった。

アルテタがクラブの文化を変える必要があると認識しているという事実は、彼の戦術的知見と同じくらいに重要だ。彼がクラブに何が必要か語る際の決意に燃えた目と言葉遣いにファンは期待を持っていることだろう。

もちろん、現代のサッカー界で強権的なやり方で成功することは難しい。恐らくより微妙なアプローチが求められるだろうし、チームにそぐわない選手を放出するとしても、それまでの間は彼らの力を最大限引き出さなくてはならない。

シーズン途中でアーセナルに出来ることは多くないだろうが、来年の始まりまでにアーセナルのバック4の人員は確実に変わっているだろう。アルテタはサリバの姿をトレーニングでよりじっくり見るのを楽しみにしているだろうし、恐らくもう一人トップクラスのDFを加えたいと考えていることだろう。

年齢的にも、スタイル的にも、ソクラティスとルイスがアルテタの新チームのシンボルとなるとは考えづらい。彼らは今のところアーセナルの欠点を象徴する特徴を備えすぎている。

アルテタがアーセナルでプレイしていた時代、アーセナルは技術にあふれたチームだった。だが、最近のアーセナルは臆病さが勝り、優れた技術をうまく活かせないチームになってしまった。

アルテタが選手として加わって以来9年がたつが、ついにアルテタは、アーセナルが長年欠いていた、美しさと激しさのコンビネーションをチームにもたらさせるかもしれない。

(Source: https://www.telegraph.co.uk/football/2020/01/10/never-thought-mikel-arteta-could-top-manager-already-making/ )

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Posted by gern3137