なぜティエリ・アンリは世代を超えて人々を魅了し続けるのか
もし私があなたに、1970年代の若者の一団の写真を見せ、その後1980年代の若者の写真を見せたとしたら、どちらが70年代でどちらが80年代なのかを推測するのは容易いはずだ。
それは1950年代、60年代でも同様だろう。ビートルズ世代とザ・スミス世代は全くもって違うように感じられる。
だが、現代ではファッションやポップカルチャーはより細かく散発的に、かつ徐々に変わっていくように思われる。サッカーでも同様で、ひとつのイベントが一世を風靡し続ける、のようなことはもうあまり起きない。
前置きが長くなったが、言いたかったのは、基本的には、この時代のサッカーファンは少し世代が違うレジェンドに対してそこまで大きな思い入れを抱くことがない、ということだ。
私はペレの名前は聞いたことがあったし、ヨハン・クライフが有名なクライフターンを生み出した選手だというのは知っている。1986年のW杯でのマラドーナのイングランド相手の2得点も見たことがあったが、彼らが実際にどれほど素晴らしい選手であったのかは深くは知らない。
一方で私は名高いインビンシブルズのチームが2回のリーグ優勝と3回のFA杯を優勝する所を10代後半~20代のころにかけて目撃することが出来た。
この頃丁度私はアーセナルのアウェイ戦の観戦にも行き始めたころだったので、恐らく私はティエリ・アンリがアーセナルでプレイした377試合のうち、370試合程度はスタジアムで観戦したはずだ。
ただ、当時はアンリの素晴らしいプレイを毎週見られることが当たり前だと思い込んでいたことを正直に告白しなくてはならない。そこから時間が経った今振り返ると、なぜ私がそのように彼の圧倒的な素晴らしさを当然のように思えてしまったのかはわからない。
ただ、ティエリ・アンリという選手に関して非常に興味深いのは、このレジェンドが、現代もなお、人々やサッカー選手を魅了し続けているという点だ。
彼がアーセナルでデビューしたのは1999年ともうかなり前だが、この頃はまだ生まれていなかったような選手ですら、アンリにあこがれを抱いているようだ。
例えば、先日アメリカ代表対パナマ代表の試合で得点を挙げたウォーターマンは、この試合CBSスポーツの解説として訪れていたアンリが居たゴール裏まで駆け付け『アンタは俺のアイドルなんだ!』と叫んだ。彼のキャリアにとって最高の瞬間の一つだったに違いない。
また、フランクフルトのエキティケがトッテナム相手に得点した後に見せたニースライドのセレブレーションはアンリの有名な(銅像にもなっている、同じ対戦相手の)セレブレーションと比べられたが、その後エキティケ本人がその比較を自身のSNSでシェアした。
だが、エキティケはアンリが引退した年ですらまだ12歳で、このセレブレーションをノースロンドンダービーでアンリが行ったときにはまだ生後4か月でしかなかった。
ではなぜ、アンリはこのような影響力を世代を超えて持ち続けるのだろうか?
もちろん、まず第一に、現代でプレイ映像が広く普及しているというのは理由としてあるだろう。アンリが活躍した2000年代は、世界的にサッカーのTV放映が一般的になった時代と重なっている。
このため、当時世界中の多くの人々が、CLや強豪のフランス代表の常連だったアンリのプレイを見ながら育ったはずだ。アンリはW杯決勝で2度、EURO決勝で1度、そしてCL決勝で2度プレイしている。
だが、アンリの魅力はピッチ上でのクオリティだけに留まらない。
彼は、まるで漫画や映画に出てくるような、少し思い悩むフランス人、というキャラクターを体現したような人物だった。同時に彼は、まるでロックバンドのボーカルのような、傲慢で不遜な雰囲気も併せ持っていた。
アンリの低く下がった肩、冷たくすら見える表情、これは矛盾して聞こえるが、無表情なのになぜか表情豊かな様子から、彼はまるで常に対戦相手を自身より一段下に見ているように見えた。
もちろん彼は長身で、見た目も整い、ファッションセンスも良かった。それは今でも同様で、引退から10年経った今も彼は当時とほとんど変わっておらず、もし気が向けばまだサッカーを現役でプレイできそうにすら見える。
私は今でも2002年にバーミンガム・シティのDFのマイケル・ジョンソンがアンリついて残したコメントを覚えているのだが、彼はアンリと対戦した翌日にSky Sportsで『もし研究所でセンターフォワードを生み出したら、恐らくアンリのような選手が生まれると思う』と話した。
恐らく、もし誰かがスマートでタイトなスーツやデザイナー物の高級腕時計の広告塔となれるような、洗練された物腰の中年男性をAI生成しようとしたら、恐らくアンリのような人物が生まれるに違いない。
もちろん、往々にしてサッカーファンというのは自身が若かったころの選手たちは今の選手たちよりもキャラクターが立っていた、と感じるものだ。これがどれくらい事実かはわからないが、ただ、そうだとしてもそれは今の世代の選手たちを責めるわけにはいかないだろう。
実際に現代のサッカー選手よりも過去の選手たちの方が、自分なりの姿や性格を表現することに対して競権が寛容だったのは間違いない。
以前マルティン・ウーデゴールがクラブカメラマンのカメラでピッチで写真を撮った際に、W杯を優勝したわけでもなければ、CL決勝で決勝点を挙げたわけでもないのに何を浮かれているんだ、という批判が世界で最も退屈な人々から寄せられた。なぜ彼らがそのようなことに気を煩わせるのかは全く持って理解できない。
同世代のロナウジーニョにも同じことがいえると思うが、アンリはまだ、それぞれの選手の生まれ育った環境や、人間性が色濃くみられる世代の選手たちの一人だった。
アンリは子供時代に彼の父が非常に厳格だったため、その影響であまり得点してもセレブレーションを派手にしない、と話していた。
ティエリ・アンリは今の時代にはより洗練されたコーチングと些細な事も批判されやすい環境のせいで、現代の選手があまり見せることのない、表現力や芸術性を備えた選手だった。
もちろん、アンリと同時代にプレイした選手の中で、他に偉大なプレイヤーがいなかったわけではない。例えばACミラン時代のカカなどは本当に素晴らしかったが、ただ彼は、アンリよりも少しだけスムーズで、その分少し興味深さという点ではアンリが勝った。
ティエリ・アンリは非常に華々しいプレイを見せられる才能があったが、それについて全く無頓着であるかのように見えることがあった。これらの素質が、ハイライト動画ですら彼を非常に魅力的に見せ、まるで昔のシンプソンズの切り抜き動画の登場人物の一人のように、アンリの現役時代を思い出すには若すぎる世代の人々も、魅了し続けるのだろう。
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