ついに一体となるアーセナルファン 後編
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私はパトリック・ヴィエラがアーセナルの選手として在籍していた9年間のほとんどすべてのアーセナルの試合を実際にスタジアムで観戦していたが、この時代はヴィエラのチャントがチームを鼓舞するものとなっていた。
特にアウェイのビッグゲームで、状況が難しくなった際にはアーセナルのアウェイファンはキャプテンのヴィエラのチャントを歌い始めたものだ。
これは戦の儀式のようなもので、ヴィエラはファンにとって、彼ならこの状況も何とかしてくれるのではないかと思わせるような存在だった。厳しい状況で彼のチャントを歌うことには『ちょっと状況が良くないぞ、パトリック、何とかしてくれ!』という思いが込められていたのだ。
先日のカラバオ杯のリバプール戦で10人でアーセナルが必死に守っていた際、アウェイサポートはサカ&スミスロウのチャントを精一杯歌っていたが、これはまさしく今の若いアーセナルを象徴するような歌で、かつてのヴィエラのチャントのような役割を果たしているように感じられた。
この何週間かにアーセナルに向けられた試合延期を巡るナンセンスな批判や、審判を囲んで抗議するのは紳士的ではないなどといった声は、逆にファンと選手たちの一体感をより高めた。仲間意識を強めるのに、共通の怒りほどよく効くものはない。
また、スタジアムのファンの間での文化の変革は監督主導のものではないかもしれないが、同時並行で行われたアルテタのプロジェクトはクラブのカルチャーも変えた。これを乱すものへの警告として幾分の犠牲は支払わなくてはならなかったが。
ロンドンコルニー内部の毎日の様子を知らずして、チームにどれだけ団結が芽生えているかを100%知るのは難しいが、ピッチ上では選手たちは常に監督を支持しているように見える。
何人かの選手がアーセナルを去ったが、それがチーム全体のスピリットを損なっているようには見えない。
アルテタのやり方は何人かの選手の市場価値を大きく下げ、かつ適切な売り時を逃したという意味では金銭面でクラブにダメージを与えたし、メンバー外となった選手たちをよりうまく活用していれば、もっと試合結果も良かったかもしれないという意見にも一理あるが、一方で、このカルチャーの変化は、最終的にはピッチ上でのパフォーマンスにもつながると見ることも出来る。
これは鶏と卵のようなもので、良いカルチャーが良い結果を生むのか、良い結果が良いカルチャーを生み出すのかは難しい所だが。恐らくその両方だろう。
もし今まだゲンドゥージ、エジル、オーバメヤンが皆揃ってチームでプレイしていたら、成績がどうなっていたかは知る由はない。もしかすると、態度面での問題がチームにとって大きなダメージを引き起こしていたかもしれないし、あるいはピッチ上でのパフォーマンスは今のチームよりも良かったかもしれない。
一つだけ明確なのは、アルテタは自身の選んだ道を貫き通していることだ。この一貫性が、サポーターを味方につける上では大いに力になっている。
先日アカデミー長のメルテザッカーが『我々はアーセナルらしさを失ってしまっていた。我々はトップに返り咲こうと焦りすぎ、結果として失敗してしまった』と語っていた通りだ。
そして、無観客試合期間を経てのファンのスタジアムへの帰還がエミレーツスタジアムでのポジティブな空気に役立ったとすれば、アルテタが自身のプロジェクトを進める上で、ヘイルエンドアカデミーが今世紀最大のタレント二人と言ってもいい選手たちを輩出したのも同じく幸運だった。
2020年の夏にはアルテタはオーバメヤンとウィリアンのような選手たちをチームの核として見ている節があったが、これは誤りだった。
これはスポーツに限らず、ビジネスや社会全般に言えるかもしれないが、我々は常に若手の才能を軽視しがちだ。
この教訓をアルテタとアーセナルはきちんと学ぶことが出来たし、往々にして良い監督というのは転がり込んだ幸運をきちんと生かせるものだ。
少々遠回りだったかもしれないし、どのようなファクターが作用したにせよ、アーセナルのファンカルチャーと選手の間でのカルチャーは今季同時によりよくなっていることは間違いない。
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