マッテオ・ゲンドゥージの話 前編

分析Tim Stillman,海外記事

今週ゲンドゥージはアーセナルを去ることが決まり、SNS上でメッセージを発表していたが、アーセナルファンは既に彼の退団を随分前に受け入れており、そこまで感動のお別れというムードではなかった。

最近のアーセナルにはつきものだが、彼もまた、ファンの間で意見が分かれる選手だ。

ゲンドゥージのことをプレミアリーグの中盤という過酷なジャングルを自信満々に歩き回った選手と見る者もいれば、特別な長所はなく、自身感情だったと見る者もいる。恐らく真実はその間のどこかなのだろう。

確かに、ゲンドゥージの年齢で彼ほどプレミアリーグの出場試合数(特にウナイ・エメリのもとで)を重ねている選手は珍しい。同時に、彼の能力はかなり特定するのが難しいものでもある。

私の個人的な意見としては、ゲンドゥージのようなタイプのMFはサポーターよりも監督の高評価を得やすい。

この15年間で中盤に3人を起用するフォーメーションがヨーロッパを席巻したが、この中でも、MFは大きく3つのタイプに分けることが出来る。

まずいわゆる守備的MFというのか、中盤の底でプレイする選手で、チーム次第だが、彼らの仕事はパスコースを探して後ろからボールを繋ぐこと、あるいは相手の攻撃を止めることだ。

アンカーの位置にボール奪取に長けた守備型の選手ではなく、ボール配給型のMFを置くスタイルは監督からの評価は得るが、ポーターからはそこまでの人気はないことが多い。応援するチームを神経質に見守る彼らは、チームにリスクを冒してほしくないため、どちらかというとよりボール奪取に長けたタイプがチームにいる方が安心するのだろう。

だが、彼らの役割については誤解などはなく、わかりやすい。

そして、最も前でプレイするMFについても役割を理解するのは簡単だ。彼らは前線への走り込み、あるいはファイナルサードでのパスで相手の敵陣を切り裂く仕事を担う。

しかし、最も過小評価される傾向にあるのが、その間の『ミドルピン』タイプのMFだ。チェルシーのコバチッチ、マドリードのクロース、マンチェスター・ユナイテッドのポグバもこれに当てはまるかもしれない。

これらの中盤の最後方でもなく最前線でもない位置でプレイする選手たちはより定義が難しく、彼らの貢献を測るのが難しいのだ。

ゲンドゥージがまさにこのミドルピン型のMFで、ファンを興奮させるのは90分当たりのプログレッシブパス数が多い、というデータではなく煌めくようなスルーパスや、スライディングタックルだ。

ゲンドゥージの評価の乱高下が、いかに現在の8番を評価するのが難しいか、そして以下に選手の評価の移ろいが激しいかを物語っている。

多くの人が指摘した通り、ゲンドゥージはエメリの混沌としたスープのような、規律と推進力を欠いた中盤でプレイしていた時の方が遥かに良く見えた。

このような環境であれば、マッテオは自由気ままにプレイできた。だが、アルテタのより慎重で規律の厳しい中盤では、ゲンドゥージの能力はあまりフィットしなかった。

問題があるとされる性格面をいったんわきに置いたとしても、昨季ゲンドゥージはヘルタでそこまでの活躍は出来ず、今年母国で再び名を上げるためプレイすることとなった。

彼は18歳の頃には20代前半にもなればアーセナルは彼の売却で50m£得られるのではないか、と騒がれていた選手だ。

代わりに、アーセナルにとっての最良の条件がマルセイユへのローンからの買取で、これによりゲンドゥージを獲得した時の額を少し上回る程度の移籍金を得ることになる。

もちろんこれが成功だったとは言えないとはいえ、これはいかに若手の獲得においてリスクを冒す価値があるかというのを示している。

もちろん大した利益は発生しないかもしれないが、それでもこの移籍市場でゲンドゥージはアーセナルが最初に買い手を見つけた選手となった。

(後編に続きます)

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Posted by gern3137