ブカヨ・サカ インタビュー

インタビュー

ヘイル・エンド(アーセナルのユースアカデミー)に居た時、壁にジャック・ウィルシャーの写真があって、毎日入るたびに見ていたのを覚えている。

それを見て、いつも自分に言い聞かせていたんだ。ファーストチームに上がることは可能なんだ、道は開けているんだ、ってね。

それからは、全てがあっという間だった。去年ロンドン・コルニーに来て、突然プレミアリーグでマンチェスター・ユナイテッドとの対戦。

9月のあの試合はまだデビューしてから二試合目のプレミアリーグの先発だった。あの時本当に僕がアーセナルのファーストチームでプレイしているんだって実感したんだ。

実は、10年前にもエミレーツスタジアムを訪れていたんだ。その時は、アウェイスタンドでニューカッスルファンと一緒に座っていた。

父さんがサッカーが大好きだったんだけど、アラン・シアラーの大ファンで、ニューカッスルファンだったんだ。その時はスタジアムなんてほとんど言ったことなかったから、8歳の僕にとってはとてもすごい経験だった。

だけど、それから10年がたち、今僕はこのスタジアムに選手として立っている。

ピッチ上で、スタンドのファンを見上げていて、今更ながら衝撃だった。自分が成し遂げたことの大きさにようやく気付いたんだ。

実際のところ、僕のストーリーはもっと前に始まった。

3歳か4歳くらいの頃から父さんや兄のヨミとサッカーをしていたよ。学校から帰ってきては庭でサッカーウィsていた。何時間もね。

父さんと兄は中に戻りたがったけど、僕が続けてと頼んだんだ。僕が勝つまで終わらせなかった。負けず嫌いだったね、彼らに聞いてみるといいよ。僕が負けている間は一生サッカーを終われなかった。

もう少し大きくなってからは、家の近くの芝生の上でもプレイを始めた。外で遊ぶのが好きだったんだ。映画とかを中で見るのはあまり好きじゃなかった。あ、でもスポンジボブとかのアニメは大好きだったよ!

僕は西ロンドンのグリーンフォードで父さんと母さん、兄のヨミと生まれ育った。皆スポーツが好きでとても仲がいいよ。兄も14歳くらいまではワトフォードのユースでDFとしてプレイしていた。

僕は7歳の時にアーセナルのユースに加わったから、僕らの家では週末はサッカー尽くめだった。

毎週父さんが僕をアーセナルに連れて行って、母が兄をワトフォードに連れて行った。こうして考えると、結構長い時間を父さんの車の中でサッカー場に行ったり来たりして過ごしたことになるね。

ヘイル・エンドの近くはいつも工事してばかりだったのを覚えてる。だから、時々1時間半もかかることがあったんだ。でもその価値はあった。行くのが嫌だなんて思うことはなかったよ。

サッカーをすること自体はとても好きだったんだけど、まさか本当にファーストチームでプレイできる可能性があるなんて、17歳になって、アーセナルとプロ契約を結ぶまで、真剣に思ったことはなかった。

ユースチームには素晴らしい選手たちがたくさんいて、毎年何人もの選手が活躍するけどそのうちの多くが放出されたり、あるいはサッカーをすること自体をやめてしまう子たちもいる。

だから、自分はプロになれると自信をもって言い切ることは出来なかった。でも、練習の一回一回には絶対に全力を尽くすぞと自分に言い聞かせてはいたよ。

常に、もっとうまくなりたいと思っていた。いつもサッカーの動画を見て改善点を探していた。

それでも、やっぱりヘイル・エンドに居るのは上手い選手ばかりだし、コーチたちは『この中からファーストチームに上がれるのは一人か二人だけだぞ』といつも言っていた。

僕らは周りを見渡して、このうちの誰になるんだろう、なんて思ったものさ。僕は絶対に自分が選ばれたいと思っていたからね、そのためには何でもするつもりだった。

時には忍耐強さを失いかけたこともある。成長痛が酷かった時期があって、この時はとてもフラストレーションがたまった。特にかかとと膝が痛くてね。

もちろんこれは当然のことなんだけど、当時はそれでもずっとプレイを続けたい、と思っていた。痛みがなくなってプレイできるまでどれくらいかかるの?ってずっと聞いていたような気がする。

だけど、今振り返ってみると、僕の痛みはそこまで酷いものではなかった。もっとひどい経験をする選手も多かったみたいだ。

父さんと母さんはいつも僕を励ましてくれたし、僕がサッカーをするのを止めたことはなかった。 

もちろんバランスは大事で、僕は勉強にも興味を持っていたけどね。

学校での成績も僕はなかなか良かったから、その点では両親もそこまで心配していなかった。GCSE(日本で言う高校入試相当の試験)ではA+が4つでAが3つだったからね、学校でも良くやっていた。

体育が一番好きだったけれど、ビジネス系の科目も得意でA+をとったよ。

また、父さんと母さんと一緒に色々と旅行できるような環境だったのも運が良かったと思う。もちろんナイジェリアにもいったし、ドバイやアメリカにも何度か行ったことがある。いとこが住んでいるんだ。シカゴやロサンゼルスに行ったね。

今もまだ僕は両親と一緒に住んでいるんだけど、グリーンフォードではなくて、より練習場に近い家に引っ越したよ。兄は今レディングで大学に行っているから一緒に住んではいないけれど、今でもとても仲がいいよ。

FA杯のボーンマス戦で僕がマンオブザマッチをとった時は誰よりも早くメールをくれた。母さんも誇りに思うって言ってくれたよ。

父さんは僕が良いプレイをした時でも、もっとこうするべきだった、っていうアドバイスをいつもくれる。いとこやおじさんもサポートしてくれて、僕の調子がどうかいつも聞いて、祈りをささげてくれているよ。

僕のファーストチームデビューは去年ウクライナでの試合だったから、観戦に行くのは難しかったけれど、その2週間後に初めてエミレーツで試合をした時にはみんなで見に来てくれた。

17歳になって数か月がたったころの、ヨーロッパリーグのカラバグ戦だったね。一日前に僕は先発するって伝えられていたから、夜眠れなかったんだ。父さんも同じだったって言っていたよ。

家族みんなが試合に来てくれて、試合後本当にハッピーに見えた。あの時の試合のユニフォームはフレームに居れて、家に飾ってあるんだ。それを見るたびにヘイル・エンドに飾ってあったウィルシャーの写真の前を歩いていたころのことを思い出す。

今僕は彼と同じような年齢で、同じところにたどり着いた。自分のことを誇りに思っているし、本当に幸せだ。

あとは毎日練習し続けて、謙虚さを保ちながら一日一に向上していくだけさ。

ブカヨ・サカ

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Posted by gern3137