アーセナルレジェンド紹介7 パット・ライス&リアム・ブレイディ

選手紹介

パット・ライス: 1967-1980

アーセナルへの加入こそもう50年以上前ですが、こちらのパット・ライスに関しては恐らく多くのアーセナルファンが覚えているのではないでしょうか。

選手時代は北アイルランド代表としても活躍したこのパット・ライスは1984年からアーセナルのユースコーチを務め、そしてアーセン・ベンゲル監督がアーセナルにやってきて以降は2012年までずっとアシスタントコーチを務めていました。

13年間の選手時代と合わせると、なんと40年以上、人生の半分以上をアーセナルで過ごしたことになる、紛うことなきレジェンドです。

ロンドンに生まれたライスは、ハイバリースタジアムが位置するジレプシー・ロード沿いの八百屋で働きながら15歳の時にアーセナルユースチームに加わります。

その後18歳でファーストチームデビューを果たしますが、当初は右サイドバックとしてパッとしないまま、3年間で16試合の出場しかかないませんでした。

しかし、転機は1970/71シーズンに訪れます。この年ライスはCMFにコンバートされると、スタメンの座を勝ち取ったのです。

その後は右サイドバックに戻ったりもしながら、継続して出場を続け、結果として539試合出場という圧倒的な記録を残しています。

1977年にはキャプテンの座も引き継ぎ、落ち着き払った指導力のあるキャプテンだったといわれています。

ちなみにパット・ライスはアーセン・ベンゲル監督就任直前に3試合だけアーセナルの暫定監督を務め、3試合を全勝で終えているので、試合数を考慮しないのであれば、アーセナルの監督のうちで歴代最高勝率100%)を誇る監督となっています。

リアム・ブレイディ: 1973-1980

リアム・ブレイディは当代随一のプレイメイカーとして知られたアイルランド人で、アーセナル公式サイトは彼のことを『攻撃的MFに必要なすべての素質-スキル、視野、バランス、強さ、パワフルなシュートと相手をドリブルで自由自在に翻弄する能力-を備え、ボールを持てば常に正しいオプションを選択する選手だった。サッカーピッチ上で、ブレイディの脳と足は見事に調和していた』と評しています。

左利きのエレガントなプレイメイカー、という胸が高まるようなスペックの持ち主で、1930年代のアレックス・ジェームズの正当後継者、近代アーセナルのロマンチック・ファンタジスタの先駆けといえるかもしれません。

ブレイディはダブリンで生まれ育ちますが、ロンドンに引っ越したのを機にライスと同じく15歳でアーセナルユースに加わります。

1973年に17歳の若さでデビューを果たすと、初年度こそ思うような活躍を見せられなかったものの、1974/75シーズンからレギュラーに定着、その後2年間アーセナルは16・17位と降格争いを強いられたものの、不調の中で数少ない希望という評価を受けました。

その後ノースロンドンダービーでの活躍や、1979年のFA杯決勝でアーセナルを優勝に導く活躍を経て彼のアーセナルでのキャリアはピークを迎えます。この年の彼は、外国籍選手として初めてPFA最優秀選手に選出されました。

しかし、この活躍のおかげでリアム・ブレイディの名は世界中にとどろくこととなり、1979/80シーズンがアーセナルでの最後のシーズンとなってしまいました。

この時24歳だったブレイディはなんとユベントスに引き抜かれ、1980年に国境が解放されて初めてのセリエAでプレイする外国人選手となりました。

結果としてアーセナルでは307試合出場し59ゴールという成績を残して去っています。ブレイディはユベントスでタイトルを勝ち取りましたが、一方でアーセナルはブレイディの穴を埋めることが出来ず、中位をうろつく時期に突入、リーグ優勝を果たすのは8年後の1988/89シーズンまで待つこととなりました。

ちなみにですが、リアム・ブレイディはフィッシュアンドチップスが大好きで、チッピーという愛称で知られていました。

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Posted by gern3137