終わりの始まり

オリジナル

具体的な言葉遣いまでは覚えていないが、アーセナルvsサウサンプトンの試合中に、DAZN解説の粕谷さんが『ベンゲルアウトを叫んでいた人たちがエメリアウトを叫んでいる』とコメントしていた。

これは全くもって事実に即していないと思う。とはいえ、あらかじめ明確にしておきたいが、別に粕谷さんを責めたいわけではなく、単純に事実を指摘しているだけだ。

正直なところ、英語力さえあればプレミアリーグに関してはほとんどすべての情報がオンライン上に転がっている今の時代に、1チームを毎週徹底して追いかけているファンと、いくつかのチームの実況や解説をこなさなくてはならない方の情報量に差が出てくるのは致し方ないことだと思う。

だから、今回の記事の導入にこの言葉を使わせてもらったのは、実況解説をもっとしっかり、と言いたいからではない。そうではなく、今のアーセナルを語る上でぴったりな切り口だと思ったからだ。

もし、エメリ監督解任を求める声が過激なファンの間で上がっているだけで、揺れるアーセナル、という程度の状況であればどれだけよかっただろうか。だが、前回のベンゲルアウトの騒動の際と今エメリ監督解任を求める声の高まりは根本的に違う。

ベンゲル監督の退任を求める声が上がり始めた時には、文字通りファンは真っ二つに割れていた。だが、正直なところ今の時点でむしろファンの意見は一つのように見える。2017年のベンゲル監督辞任に続く数か月間は、過去の実績もあり、人徳も素晴らしいアーセン・ベンゲルを追い出すような真似は出来ない、という感情との間でファンは板挟みのようになっていた印象だ。

最終的に天秤はベンゲルアウトに天秤は傾いたものの、コアなファンからはそれでもベンゲルマジックを信じる、という声も少しは上がっていたし、解任派も一部の過激派を除けば、アーセナルの恩人を好んで解任したいわけではないが、毒々しい空気に包まれるエミレーツを解放するために、あくまで苦渋の決断としての解任、という選択肢ととらえていたように思う。

なにより、選手たちは時折無気力なプレイを見せることもあったが、それでもラムジー、エジル、コシェルニー、といった選手たちは恐らくベンゲル監督のためであれば最後まで戦い続ける気でいただろう。

一方で、今のアーセナルに目を移してみよう。あくまで体感だが、声高に、あるいは時に暴力的に叫ぶかどうかの違いはあれど、日英ファンの9割以上がエメリ解任を求めているように見える。『アーセナルファンのうちの~の層がエメリアウトと叫んでいる』なんている次元ではなく、エメリアウトと叫んでいないアーセナルファンを探す方が恐らく遥かに難しいと思う。

もちろん、アーセナルは特にエメリに借りがあるわけではないし、アーセナルの監督を辞めたらどうするのだろう、と不安になるくらいアーセナル一筋だったアーセンと違い、エメリはモダンでプロフェッショナルな監督だ。アーセナルを去ってもヨーロッパから需要は大いにあるだろう。グアルディオラを除けば最も評価が高いスペイン人監督の一人でもあり、もしかすると将来的にはスペイン代表監督就任さえあるかもしれない。

したがって、アーセナルファンにはエメリを心配してやる義理はないし、そうであれば1シーズン目にCL出場権獲得が成せず、今季すでにリーグ経由でのCL出場権獲得が難しいという状況に陥っている監督の解任を求めるのは当然の帰結ともいえる。

正直に言って、今のアーセナルは1年半よりもすべての点で悪化しているように見える。流石にこれ以上酷くならないだろうと思われた守備ですら、コシェルニーが抜けた分だけ悪くなっているように感じるし、攻撃に関してはここ20年間で最悪といっても差し支えないだろう。

アーセン・ベンゲルの引継ぎという仕事が超高難易度の仕事であったのは確かだが、1年半というのは現在の監督の在任スパンと照らし合わせて特に短いとは言えない。これより早く首になる監督だって腐るほどいる。ロジャーズがレスターで証明している通り、もし優れた監督であれば、自分の力を証明するのにこれだけの時間があれば十分だろう。

そして、なによりも、選手からの信頼を失っているように見えるのが致命的だ。ファンからの信頼は非常に大事だが、監督の成功にとって絶対に必要な条件というわけではない。ファンの気持ちというのは比較的うつろいやすいものだし、万が一だが、もしここからアーセナルが3-0で5連勝する、なんてことがあれば再び監督を支持し始める可能性だってある。

例えば、昨季のチェルシーで、定期的にサッリアウトの声が飛び交っており、はファンからは不評だったが、それでもトップ4入りとヨーロッパリーグ優勝を成し遂げている。

だが、選手からの信頼を失えばそうはいかない。ピッチ上でプレーするのは彼らだからだ。確かに建前としては選手より監督が優先されるべきで、監督のためにプレーする気がない選手は外されるべき、問理屈はわかるが、現実的に考えて、チームの大体数から覇気が失われてしまえば、監督のために10人も15人も選手を入れ替えることは出来ない。

一昨日のサウサンプトン戦では異様ともいえる空気が流れていた。特に象徴的だったのが96分での同点ゴールのシーンだ。

下位相手とは言え、アディショナルタイムの同点ゴール、引き分けは満足のいく結果ではないがそれでもこのままいけば勝ち点0だったところに1の勝ち点をもたらす歓喜の瞬間。本来、土壇場でのゴールというのはサッカーの最も喜びに満ちた瞬間のはずだ。

だが、得点したラカゼットは全く喜びを見せず、それはゲンドゥージ、エジルといった選手たちも同様だった。もちろんサウサンプトン相手の同点弾は喜べない、という気持ちもわからなくはないが、もし闘う姿勢が残っていたならば逆に、もう一点を目指して必死にボールを回収して、自陣にもどる、という姿が見られたはずだろう。

だが、選手もファンも、どうしていいかわからずどこか呆然としているような様子だった。正直なところ、アーセナルを見てきてこのような得点への反応はほとんど記憶にない。

今のアーセナルは、得点への喜び、というサッカーにおけるもっとも基本的な感情が奪われてしまうほどに機能不全に陥っているのだ。これを危機と言わずしてなんというのだろう。

遂に報道でもエメリ監督解任や後任の噂が出始めたが、恐らく後から振り返れば、この一戦はエメリ監督の将来が決まった日として記憶されることになるのではないだろうか、という気がする。

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