アーセナルが信念を曲げられれば、モウリーニョは救世主になりうる

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アーセナルのアイデンティティとは何だろうか。この問いはベンゲルが退任し、ベンゲルサッカーからの移行期にあるアーセナルにおいて昨年から何度も問いかけられてきた。だが昨年はベンゲル後の初シーズンだったこともあってファンは忍耐強かった。が、今季に入り、そろそろ我慢の限界が来つつあるようだ。

エメリはアーセナルの監督二年目に突入したが、結局どのようなサッカーを彼が目指しているのかは全く見えてこない。ベンゲル時代の問題は依然として解決されないままで、試合結果に関してはむしろ悪化さえしている。

8試合で一勝という成績のせいで、アーセナルはリーグトップよりもリーグ最下位に勝ち点が近くなってしまった。

エメリは今や、過去に多くの監督が陥り、そしてそこから脱出できた監督はほとんどいないスパイラルに陥ってしまった。アルテタやアッレグリ、ヴィエラという名前が噂されているが、その中でも特に目立ったのがジョゼ・モウリーニョだろう。

ジョゼ・モウリーニョがアーセナルの監督に、というのは正気の沙汰に思えないかもしれないが、その可能性はゼロではない。

客観的に見れば、モウリーニョは最悪のチョイスからは程遠い。モウリーニョは就任当初はいつもうまくやるし、いわゆる”解任ブースト”を引き出すのもうまい。目標達成に失敗したマンチェスターユナイテッドでさえも、2つのトロフィーを獲得し、就任1シーズン目でクラブにCL出場権をもたらしたのだ。

もしアーセナルが今季のシーズンをひっくり返し、トップ4入りの希望を復活させてくれる人材を望んでいるのだとすれば、それにモウリーニョが適任でないとは言えないだろう。

だが、かつてアーセン・ベンゲルとガナーズに暴言を吐いた男をアーセナルの監督の座に据えるには、根本的にクラブの信念と方針を変更する必要がある。

モウリーニョの監督就任はアーセナルが象徴するすべてのものを否定するだろう。アーセナルは常に長期的なビジョンを誇ってきたが、モウリーニョは現在のビッグステージで結果を残す男だ。アーセナルもモウリーニョもそれぞれある程度の成功を収めており、どちらかが正しくどちらかが間違っているというわけではないが、この二つは相いれないものだ。

とはいえ、かつてはアーセナルがモウリーニョの完璧ない場所だとみなされただろう時代もあった。1-0のアーセナル、と揶揄された時代だ。今のアーセナルの価値観とされるものはそのほとんどが、アーセン・ベンゲルがもたらしたものだ。

ベンゲルが去った今、クラブは彼の価値観にどれほど重きを置いているかが試される時期に来ている。モウリーニョがアーセナル監督候補として認められるかどうかというのはその試金石というわけだ。

絶対的なアイデンティティを持つサッカークラブというのは実は多くはない。バルセロナやアヤックスのような例外ももちろんあるが、それも常に一貫していたというわけではないし、この2クラブは単にヨハン・クライフという偉大な男が植え付けた哲学がヨハン・クライフ自身がこの世界を去っても残り続けているというだけのことだ。

これはクライフの究極の遺産と言えるが、一般的にはサッカークラブというのは現在指揮をとる人々の考えや信念を反映するものだ。確かにモウリーニョはアーセナルを変えてしまうだろうが、それは単に、時間が経つにつれて不可避な進化がクラブに訪れるだけというわけではないのだろうか?

そもそも、アーセナルのオーナーのビジョンがアーセナルのサッカークラブとしての価値観と一致しているとは言えない。彼らが将来を見据えたクラブだというのであれば、ここ10年間、アーセナルはそれをフロント陣が示すのに失敗している。

これらを考慮すれば、モウリーニョはアーセナルが望む監督ではないにしても、アーセナルにぴったりの監督になる可能性もある。

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