今の内容でアーセナルは結果を残し続けることが出来るのか

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平凡なボーンマス戦での1-0でのアーセナルの勝利を受けて、ファンの間では内容vs結果という論争が盛り上がっている。

単純に言うと、アーセナルは今季ほとんど良い内容での試合を見せていない。彼らはいつもバラバラに見えるが、それなのになぜかプレミアリーグで3位に居り、またカップ戦ではBチームと言ってもいい選手たちが素晴らしいパフォーマンスを見せている。

まず指摘すべきポイントは、これがデジャヴのように感じられることだろう。昨季の今の時期にもアーセナルは特に良い内容ではなかったが、22戦無敗を記録し、勝ち点を稼いだ。

いわゆる”分析クラスタ”たちは、同じようなパフォーマンスを続けていれば結果は下降するだろうと警告し、そして、実際にそれは正しかった。簡単にまとめれば、チームの試合内容こそが、将来のチームの結果の最も重要な指標ということだ。

もしボーンマス戦が引き分けに終わっていたとしても、アーセナルとしてはそれが不公平な結果だったということはできなかっただろう。

もしサポーターは結果のみを気にかけるべきであり、勝利を収めた試合を絶対に喜ばなければならないとすれば、逆に言えば敗北や引き分けは絶対に落胆と批判で迎えなくてはならないということになるし、そのような主張をするのはおかしな話だ。

人間というのは複雑な生き物で、複数の感情を同時に感じることが出来る。もちろん、結果に満足しながら内容を心配することも出来るわけだ。

もちろん、最低限の要求しかなく、結果さえよければよい、という人もいるだろうし、それはそれで構わない。だが、そうであるなら彼らこそ、試合内容にも注意を払うべきなのだ。何故なら、長期的に見れば、試合内容こそがチームの最低限の成績を決めるのだから。

この議論は、少しゆがめられ、美しいサッカーvs結果という対立軸という形で話をされることも多い。私に全員のアーセナルファンを代表することはできないが、恐らくこれは議論の本質的な部分ではないと思う。

これは、内容か結果かという議論以上に主観的で、かつ少し異なる種類の問題だ。そもそも、美しく楽しいサッカーの定義は人によって異なるだろう。個人的には、もしエメリがチームの能力をうまく活かしてくれるのであれば、守備的で効率の良いサッカーだろうとも楽しめるとは思う。

ボーンマス戦はインテンシティの低い、眠気に襲われるような試合だったが、これは今季のアーセナルを考えると異例でもあった。。今季ここまでのアーセナルの試合は基本的に退屈からは程遠かったからだ。

トッテナム戦ではアーセナルは2点リードされた段階から追いついたし、逆にワトフォード相手には2点のリードを手放し、それどころか引き分けに終わったことは幸運にすら感じられた。

アストン・ヴィラ戦では二度ガナーズはリードを許し、退場者まで出したが結局3-2で勝利を勝ち取った。これらの試合では相手を封じ、慎重な試合運びで相手の生気を奪うなどといった試合運びは全くなかった。

アーセナルがピッチ上のコントロールを失っていたおかげでまるでバスケットボールの試合のようで、今季の大半はアーセナルは意図通りにではなく、戦術的な機能不全のせいでドキドキハラハラの展開を演じてきた。

もちろん、アーセナルとセバージョスにとって酌量の余地がないわけではない。セバージョス、ペペ、ルイスは皆新加入ながらチームで大きな役割を果たすことを求められており、ウィロック、チェンバース、ネルソン、サカもみな、移籍してきたわけではないが新加入選手のようなものだ。

ラカゼットとファーストチョイスのサイドバックを二人ともスタメンで起用できない時間も長く続いている。

ボーンマス戦とユナイテッド戦が退屈だったのは、それまでの試合でアーセナルの被シュート数があまりにも多すぎたため、慎重なアプローチをとった結果だったという可能性は高い。

確かに、ガナーズは守備を引き締める必要があり、この2試合の守備は他の試合より幾分マシだったとは言える。だが、同時に、試合内容も改善しなければ、すぐにアーセナルは勝ち点を落とし始めることだろう。

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