アーセナルのぬるま湯体質を変える必要性に関して

2019年6月3日海外記事

文化を変える必要がある、これは昨日のポッドキャストで何度か話題になったし、ずっと考えていたことだ。つまり、それはどういう意味なのだろうか。

私の意見では、特に彼を批判するつもりはないが、アーセン・ベンゲル時代にこれは始まったのだと思っている。彼がアーセナルに最新鋭のトレーニング設備をもたらした話はよく知られている。アネルカを売ってアンリを買い、その差額を練習場に投資した、というわけだ。

清潔で最新式のトレーニングメソッドに基づく施設。これらはクラブに革命を起こし、多くの選手がその恩恵にあずかった。

アダムス、ディクソン、キーオン、ボールドやウィンターバーンといったタフな時代を生き抜いてきた選手たちは恐らくこのおかげで選手寿命が幾分か伸びただろうし、ベンゲルは彼の選手たちにとって最善の環境を整えただけのことだ。

もちろん、これは筋が通っている。設備からサポートスタッフ、フィジオ、監督からの信頼に良い契約、これらがあれば選手たちは何も心配する必要はなく、サッカーに集中することが出来る。

美しい練習施設に毎日来るのは楽しいだろう。選手の能力を引き出せる可能性は高まる。

これらのものを、キャリアの大半を車の駐車場やプレハブ小屋で着替えてきたような選手たちに与えれば、その効果は絶大で、彼らはアーセナルに居られることを感謝するだろう。

だが、時間がつと主に、これらは当たり前のものになってしまった。選手たちは逆にそれ以外の環境を知らないのだ。完璧な環境。安らぎ、豪華な施設、温かみ。

今のアーセナルのトレーニングはぬるいだとか、そういったことが言いたいわけではない。だが、毎日が最高の環境であれば、その価値は失われ、当然のものになる。

もちろん、それ自体が問題だというわけではない。どちらにせよ、今更昔ながらのやり方で選手に階段の上り下りをさせるわけにもいかない。そもそも階段がないし、怪我をさせてしまうだけだろう。

また、ベンゲル哲学のもう一つの鍵となる要素が対立の欠如だった。彼が対立を避けることはよく知られていた。彼が冷酷になれなかった、というわけではない。必要性があればベンゲルはそのような態度もとることは出来た。

だが、彼は選手の中の人間性に目をつぶることがどうしてもできなかったのだ。ベンゲルは、選手たちを勝つのが目標に設定されたロボットのように扱うことはできなかった。

それは素晴らしいことだし、これは彼に勝ちたいという思いが足りなかったというわけではない。彼はかつて、一敗一敗が心に傷跡を残す、と語っていた。

だが、時が経つにつれて、彼はその傷を自分で引き受けるようになっていった。まるで、選手たちを守るかのように。

もちろん選手たちも少しは負ければ申し訳ないとは思っただろうが、それは十分だっただろうか。あるいは、彼らは監督によって、もっと悔しく、苦しく思わさせることが必要だったのかもしれない。

EL決勝の前に、チェフはチェルシーとアーセナルの違いについて語った。アーセナルは幾つかFA杯を獲得しているものの、チェルシーとは比べ物にならない、彼が在籍中にチェルシーは全てを勝ち取っているのだ。

それに果たしたオーナーの役割が多いのは間違いないが、クラブに流れる空気も重要だったのだ。

チェフによると、『奇妙に聞こえるかもしれないが、アーセナルには十分なプレッシャーがない。アーセンは真の紳士だからね。彼は負けるのが嫌いだが、それでも彼は紳士であり続ける。負けても勝っても、それは一緒だ。これは、私が以前には経験したことがなかった。

チェルシーでは、試合を引き分けたらロッカールームは葬式のようだったよ。空気は本当に悪かった。ビッグゲームでホームで引き分けたりした日には、『オー、ノー。あり得ない。。。』という感じだった。これはあらゆるところから感じ取れたよ、選手、そして監督。僕が在籍中は、常にあらゆる試合でプレッシャーを感じていた。』

そして、一月にはBBCのオーンスティンが、インタビューでこう語っていた。

アーセナルでは様々な人人が働いているが、彼は皆声を揃えて、トレーニング場はオアシスのようだというよ。まるでバカンスのキャンプ場みたいだとね。素晴らしい環境で、選手とスタッフにとって良い空気が流れているのは間違いない。だが、もしかすると、もっとより冷徹に勝利を目指す姿勢のようなものが必要なのかもしれない。

そして、エメリさえも、エルムンド紙の先週のインタビューでこの点に触れている。

『私は、選手たちに敗北の痛みをよりはっきり感じて欲しいと思っている。何故なら、それは改善の1ステップ眼だからだ。二時間悲しんであとは忘れてしまえるようなものならば、そんなのではだめだ。』

エメリに対する意見とは関係なく、この見方には誰もが賛成できるだろう。アーセナルが敗北を嫌っていないというわけではないが、単にとげが刺さっただけのように感じているのではないだろうか。

何時間かは不快だろうが、そのうち良くなる程度の痛みでしかなさそうだ。

大丈夫、すぐ次の試合があるから集中しなくては。今年は目標を達成できなかったけど来年はより高みを目指そう。大丈夫大丈夫。

クラブの姿勢はこのようであるべきではない。敗北はヘルメットの裏に入り込んだ緋アリのように痛むべきなのだ。もしシーズン中に設定された目標を達成できなければ、敗北者のうちの何人かは二度目のチャンスを与えられず、次のものにチャンスが与えられるべきだ。

選手たちは快適な状態にありすぎていると思う。自分たちの立場は安泰だと安心しきっており、十分な責任感がない。

個人的に私はエメリの能力を信頼しきってはいないが、彼がこの点を問題だと認識していることに関しては希望が持てる。

我々は皆、現チームの選手のうちの何人がだらけており、ピッチ上で、あるいは自身のプレイを振り返るにあたって十分偽金を持っていないことを目にしてきた。

これらに対処するためには、まずある程度の冷徹さをもって、彼らを放出しなくてはならないのだ。そして、これがチームに送る、このような緩んだ姿勢、緩んだアプローチは受け入れられない、というメッセージとなるのだ。

正直、私にはアーセナルのこの夏がどうなるのか全く分からない。新しい人々がクラブを率いており、彼らは語ることはいっぱしだが、それを行動で示せるかどうかはまだこれからにかかっている。

個人的には、穿った見方かもしれないが、彼らは単に過去の例に倣って口当たりのよい希望に満ちた言葉を口にするだけ口にして、実際に結果を出さなければならないというプレッシャーなど感じていないのだろう、と思っている。

だが、それも時間が経てばすべて明らかになるだろう。そして、もうすぐその第一段階は迫っている。この夏の獲得と放出が良い判断基準になるだろう

私が最も懸念しているのは、トップに立つオーナーが特に興味/そのつもりがない場合、クラブの文化を革新するのは非常に難しい、という点だ。

ベンゲルの最新式のトレーニング設備しか知らない選手たちと同じように、クロエンケは、5つ星の豪華なアーセナルしか知らない。新しいピカピカのスタジアム、当たり前だったトップ4フィニッシュ、増え続けるTVと不動産収入。

もちろんこれは、ガジディスにも言えたことだ。彼が来た時にはすでにCEOの仕事は豪華なディナーで重役をもてなし、アーセナルのブランド化を進めることになっていた。彼らは、アーセナルがここにたどり着くまでの苦労を全く知らないのだ。

彼らは、スタジアムに多くの人がどれだけの時間と労力をかけ、その建設費を捻出するのに苦心し、そして本当の意味でのホームだったハイバリーを犠牲にする、という身を切られるような決断を下したことに関して、何も知らない。

これは、本当にアーセナルを愛し、将来への野望を持った人々が下した決断だった。だが、そこにスタンとイヴァンがやってきて、この環境を当たり前のことだととらえ、そこから先に進もうという意思をなくしてしまったのだ。単純に言えば、これだけのことだ。

たった一つだけ明確なことは、今すぐ誰かが何らかの行動を起こさなければ、アーセナルのサッカークラブとしての価値はどんどん減衰していく、ということだ。

今となってはもう、アーセナルはロンドンで2番目に魅力的な移籍先ですらない。恐らくトッテナムにも負けているだろう。我々はいつまでも面子を保つのに過去の栄光を引き合いに出してばかりいるわけにはいかない。

誰かがこの下降を止め、アーセナルを運営する人々の首根っこを掴み現実を見せてやらなければならない。そうしなくては、アーセナルに流れる空気は変わらないのだ。

さもなくば、アーセナルと我々が”ライバル”と呼ぶクラブとの差は今後どんどん広がっていくばかりだろう。

(Source:
https://arseblog.com/2019/05/culture-change/ )

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