プレミアリーグだけを特別扱いするべきなのか

分析arseblog,海外記事

今週は、プレミアリーグ再開の噂がニュースを賑わせている。どうのような形での再開なら可能なのか、話し合いが進んでいるらしい。

無観客試合、中立地での開催、試合時間の短縮、そして、選手やスタッフを隔離し続け、COVID-19感染の可能性をなくす、などの案があるようだ。

だが、これらは少なくとも私には非現実的なアイディアに思える。ヨーロッパの事情を見渡してみればなおさらだ。

ドイツでもブンデスリーガ再開の話が出ていたが、ドイツでロックダウンを緩めた途端、またしても感染者数が増えており、これは再考せざるを得ないだろう。

一方フランスでは、少なくとも9月まではサッカーを含めたスポーツイベントの開催は不可だと首相が宣言した。これにより、事実上フランスリーグは終了となった。

数日前にフランスのCOVID-19による一日当たりの死者数は242人で、これは、強力なロックダウンのおかげでもたらされた劇的な改善といってよいはずだ。

だが、直近の報告では、イギリスでは一日に582人が死亡した。これは、病院での死亡者数のみのカウントであり、介護施設などでの死亡者数を含めればより多いはずだ。

したがって、もしフランスがより厳しいロックダウンを実施しており、その効果が出始めているのにもかかわらず9月までスポーツイベントの開催はできないと判断しているのだとしたら、イングランドだけ異なる見解に達するということがありうるだろうか?

そもそも、今のような時期にサッカーについて考えること自体が既に少し奇妙にすら感じられる。

その根底にあるのは、『人々の気持ちを高めるためにサッカーを再開すべきだ』というアイディアなのだろう。だが、プレミアリーグが帰ってくれば国民の士気は上がる、というのはばかげた考えだ。

政府がきちんと医療機関に資金を提供し、十分な防護服を送り、かつ感染者数の増大を抑えるのに十分な施策を行えば国民の士気は上がるだろう。このようにして国民のCOVID-19感染の可能性をワクチンが開発されるまで出来るだけ低く保ち続けることが必要だ。

前線で戦い続ける医師、看護師、介護士やその他のスタッフ、そして、2万人以上の死者(恐らく実際の数字はもっと大きいだろう)の家族や友人が、空っぽのウェンブリー・スタジアムで行われるアストン・ヴィラvsバーンリーの試合がスカイスポーツで中継されているのを見て勇気づけられるだろうか?

『よーく聞いて、ショーン・ダイクがベンチで呟いてるのまで聞き取れるわ!素敵ね、まるで昔の生活が戻ってきたい!』となるわけがない。

サッカーは人の命より大事なわけはなく、また同時にサッカー選手だけ普通の人とは特別扱いされるべきではない。

彼らをまとめてどこかに隔離して、感染の可能性をなくしたうえでサッカーをさせようという考えはグロテスクですらある。

もちろん、国中の人が検査を必要としているときに、サッカーの試合を開催するために何百の検査キャパシティをサッカーのために費やすべきなのか、という道徳的なジレンマもあるし、かつ無観客試合でも選手自身の感染のリスクがある。

選手、審判、クラブのスタッフ、メディアなど、サッカーの試合を放送するにはかなり多くの人員が必要だ。

彼らはどこで暮らし、どこでトレーニングを行うのだろう?彼らの食料、衣服や寝具、医療品は?

例えば、無症状の配達員がレタスの箱の上で一度咳をしただけで、すべてが中止に追い込まれる可能性があるのだ。

なぜこのような考え方が現実的だとみなされ議論されているのか、そして、サッカー選手という特定の集団に感染や死亡のリスクをゼロにできない状態で、より多くの人の楽しみのために働かせる、という考えが許されると思うのか、まったくもって理解できない。

これらすべての中心にあるのはサッカーは特別だという考えだろう。国中がロックダウンを強いられ、サッカーよりも重要な産業や仕事も再開していない状態で、なぜサッカーだけ再開するべきだというのだろうか?

答えは、もちろん金だ。

サッカークラブがなんとかしてSkyとBTスポーツからの放映権料を得るためにリーグを再開したがっているのは周知の事実だし、SkyとBTがライブスポーツを配信したがっているのも事実だ。再放送を繰り返すのにも限度があるからだ。

他にも、多くの契約が6/30で切れるという事情や、代理人たちが移籍市場を開きたがっているということなどもあるだろう。

それがサッカー業界の生計を立てる手段だからだ。スポンサー、チケットの売り上げ、商業収入。これらすべてが途絶えてしまっている。

そして、UEFAはEUROを2021年に本当に開催できるのか憂慮しているし、CLとELのせいでさらにプレッシャーがかかっている。

もちろん、これらは普通の状況であれば、当然の懸念だ。だが、普通は霧散してしまっている。今の普通は毎日何百人もの人が感染力の強い病に倒れ死んでいっている、ということなのだ。

この現実を考慮したうえで決定を下さなくてはならない。数週間前の前提に基づいていてはだめなのだ。あの頃我々は世界が今まで通りに続いていくと思っていた。だが、未来は変わってしまったのだ。そして、我々はそれに応じて物事の見方を変えねばならない。サッカーに関しても同様だ。

もちろん、経済へのインパクトを軽視するべきではないが、サッカーや他の事業の再開においては、公共の安全と命をまず第一に考えなければならない。

そして、仮に上に私が書いた課題をすべて解決できたとしても、提案されている案を見る限り、再開されるのは我々が知っていたフットボールではないのだ。

恐らくそれは魂の抜けた、水で薄められたサッカーだろう。スタジアムのファンがもたらす情熱や音、エネルギーのないサッカーなのだ。歌やチャント、観衆の声の代わりに、選手と監督のうめく声が時折響くだけだろう。空虚なサウンドトラックだ。

もちろん、我々はそれに慣れてしまうのかもしれない。あるいは、放送上では観衆の声が人工的に挿入されるのだろうか。『おい、早く、"ホームのゴール"ボタンを押せ!』のような形で。

私にとってそれは、スティーブン・キングのペット・セメタリーで一度ペットの猫を埋葬し、代わりに蘇った泥まみれの腐りかけの怪物を愛そうとするのと同じようなものに感じられる。

最後に付け加えると、フランスがリーグ中止に踏み切った背景は少し興味深い。UEFAは2019/20シーズンを各国リーグが終了しないとCL出場権をはく奪される可能性があると警告していた。だが、フランスはベルギーとオランダに続いてUEFAに従わない3か国目となった。

恐らく、彼らもそもそもしばらくの間CLが開催されないであろう状況で、CL出場権はく奪の脅しは効果がないということに気づいたのだろう。おそらくこれは、イングランドがどのような決断を下すのかにも影響を与えるに違いない。

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Posted by gern3137