インビンシブルズを振り返る 後編

歴史Tim Stillman

(この記事は前編の続きとなっています)

私は、アーセナルがミドルズブラからボールを奪い返すところを見ていなかった。それどころか、ベルカンプがレジェスに完璧なパスを通すところさえ目にしていなかった。

だがここで、隣に座っていた私の妹が、私の肩をぐっとつかんで前を向かせてくれたことを覚えている。

私がピッチに目をやると、ピレスの名前がピッチ上のスクリーンにまだ表示されている間にレジェスがライツィハーをかわし、彼が地面に倒れこむのが見えた。

私の位置からはゴールが良く見えたとは言い難かったが、それでもボールがネットに入るのは見えた。まだ同点弾を祝い終わってすらいなかったのに、もう一点が決まったのだ。快感はすさまじいものがあった。

それはスタジアムで、喜びが一斉に、そして即座に押し寄せる珍しい瞬間の一つだった。腹に大砲で一発食らったような感じだ。

何が起こったのか誰も説明する必要はなかったし、逆に言葉で説明することは出来なかっただろう。あのような瞬間に考えは必要なく、ただ感情だけが存在していた。

私が家に帰り、ハイライトを見返すと、マーティン・タイラー(訳注: 英国の有名サッカー実況)がこの瞬間をとらえ、ハイバリーが喜びにあふれる中、"REEEEEEEYEEEES! STAND UP….FOR THE CHAMPIONS!"と叫んでいた。

これは、" IT’S UP FOR GRABS NOW!"(訳注: 89年リバプール戦)や"WOULD YOU BELIEVE IT!?"(訳注: 2015/16 レスター戦)のに次ぐアーセナルの試合での名実況といえると思う。

これを聞くだけで私の髪は逆立ち、目は潤みそうになる。この時の光景を思い浮かべるだけでも十分だ。このような芸当が可能なのはスポーツしかない。

この瞬間をスチュワート・マクファーレン(訳注: アーセナルの専属カメラマン)がよくとらえており、私は試合のハイライトと同じくらいこの写真を何度も眺めたものだ。

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(Source: @Stuart_PhotoAFC)

喜ぶレジェスが空中に飛び上がり、後ろでベルカンプがこぶしを握り締める。アシュリー・コール(この時まだ彼は自分のアーセナルでの評判を台無しにする前だった)はほとんど笑い出している。

若き日のセスク・ファブレガスも泣きそうになっており、コロ・トゥーレは子供のように駆け回った。だが、このイメージは、昨年6月のレジェスの悲劇的な死により心痛むものとなってしまった。

彼の死のニュースが報じられた時、私は妹の結婚式のために準備をしていた。(つまり、私は準備が出来ていたが、私の妻が準備をするのを待っていたということだ。)

ツイッターのタイムラインに飛び込んできたニュースを目にし、ショックを吸収しようとした。普段私はそこまでよく涙を流すタイプではないが、正直に言おう、涙をこらえることが出来なかった。

数分のうちに、ツイッターはこの事故の画像やコメントであふれかえった。

レジェスは私と同い年であり、この瞬間私が彼にどれほどの愛情を抱いていたかを気付かされた。彼がアーセナルを去ったときにもう忘れてしまったと思っていた感情を。

レジェスの死に際して、アーセナルファンが思い起こしたのはやはり同じ映像だった。もしかすると、歴史上もっとも強かったかもしれないアーセナルのハイライト。このチームを象徴するようなゴールだった。

もちろん、彼のキャリアや短くして終わった人生にとっての慰めになるわけではないだろうが、それでも、この時再び私はサッカーとサッカー選手というものが、我々にとってどれほど強う影響を与えうるかということを認識したのだ。

彼らはただの人間だ、別世界の生き物ではない。

だが、彼らは魔法のような力を手にしている。時折、彼らはその力を用いて、我々を、そう、無敵であるかのように(invincible/インビンシブル)感じさせてくれる。

私は89年のアンフィールドを本当の意味で理解するにはまだ若すぎたが、このインビンシブルズのすさまじさを理解することは出来た。だが同時に、まだ若く、この喜びはいつか終わってしまうのだろう、などといった無常観は抱いていなかった。(もちろん、この7試合後、オールドトラフォードで私はその一歩目を歩み始める) 単純に、その瞬間を喜ぶことが出来た。

この試合の私のもう一つのお気に入りの場面は、5点目が決まった時の観衆の喜び方だ。アディショナルタイムにアンリが試合を決める点を挙げ、観客はこれを叫ぶのではなく、安どのため息で祝福した。

ハイライトでも聞こえるほどのこの集団でのため息は、3点目と4点目の喜びを考えると余計に際立つ。

正直なところ、この時点ではもうほっと息を緩めるくらいの力しか観客には残っていなかったのだ。

この試合の後、黄金の太陽が沈み始めた中、パブで友人と会った時のことをまだ覚えている。皆でグラスにビールを注ぐ中、そこにはにやけ顔があふれていた。

友人の一人が私の空いた方の手にサンブーカのショットグラスを滑り込ませながら、『この日のことはしばらく覚えているだろうな』といった。

しばらくどころではないよ、マイフレンド。

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Posted by gern3137