ありがとう、ミケル。

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クラブハウスでアーセナルの選手とスタッフが、ボーンマスがマンチェスター・シティから引き分けを勝ち取り、アーセナルの優勝が決まった瞬間を祝った際の映像が公開されているが、そこでひときわ目を引いたのが、その場に一人の人物が不在だった点だった。

そこにはミケル・アルテタの姿がなかったのだ。

彼は記者会見でもこれについて少し触れていたが、Sky Sportsのインタビューではさらに詳しく語っていた。

バーンリー戦のあと、マルティンが私のところに来て、『ボス、みんなで一緒に試合を見るべきだと思う。あなたとスタッフの皆にもその場に一緒にいてほしい。』と話した。私は「わかった、そういった形で見守りたいならそうしよう。これは君達皆のための瞬間なんだからね」と答えたよ。

そのために、練習の時間を少し遅めることにした。そして、試合開始は7時半の予定だったと思うが、その15分前くらいにクラブハウス内のレストランの上の階に上がると、もうすべてが準備されていた。

だが、私は、自分が正しいエネルギーと共にこれに臨めないと感じてしまった。選手たちやスタッフが一緒に試合を見るなら、全てのプレイにまるで自分たちがプレイしているかのようにリアクションすることになるのだろうと思った。もし私がその場に居たら、少し空気が変わってしまうと思った。

そこで私は下に降りて、「マルティン、本当に申し訳ないが、私は家に帰ることにするよ。こうすべきだと思うんだ。もし魔法が起きたら、またすぐに会いに行く」と告げた。

そして私は家に帰った。試合が始まっても、私はその情報を何も知らなかった。車を運転しながら、30分かけて家に帰るところだった。車ではラジオもつけなかった。ただ音楽を流して運転した。

そして家に着いてドアを開けると、子どもたちと妻がリビングで試合を見ていた。私はドアを開けて、『ただいま。試合が終わったらまた会おう』とだけ言った。その後部屋のドアを閉めて、私は庭に向かった。暖炉に火を起こして、バーベキューの準備を始めた。

ガビ(・エインセ)とスタッフのもう一人が一緒にいてくれたが、あれは人生で最も長い1時間半だったと思う。

そして、リビングから声が聞こえ、近所からも物音が聞こえてきた。まだ何が起きているのか分からなかった。

すると突然、長男がドアを開けてこちらにやって来るのが見えた。彼は涙を流していて、私の方へ走り出して飛びつくと、「父さん、僕たちはプレミアリーグ王者だよ」と言った。

その2秒後には、他の2人の息子と妻もやって来て、私を抱きしめた。そして全員が泣き始めた。本当に感情的な瞬間だった。

サッカーの監督という仕事は、とてつもなく難しい。そして、その事実は十分に語られていないように思う。

そして、プレミアリーグを監督として優勝するということは、この世界のトップレベルで仕事をする人々の中でも、ごくわずかな者だけが成し遂げられることを実現した、ということだ。

ミケル・アルテタはそこにたどり着いた。

私が興味深いと感じるのは、彼が成功を追い求める中で、次の試合の勝利を目指して、あるいはタイトル獲得を目指して、可能な限り多くのものをコントロール出来るようにしようとしてきた人物だという点だ。

彼は誰よりも準備をし、細部へのこだわりは並外れている。表に出ない部分でも彼がそう言った人間であることを我々は知っている。

アーセナルをあらゆる面で、試合のすべての要素において最高にしたいというアルテタのコメントは、彼という人物、そして彼の仕事のやり方を多く物語っていた。

もちろん同時に彼は、コントロールできないものがあることもよく理解している。外部からの力や偶然に左右され、進むべき道が狂わされることもある。

だからこそ、彼はできる限り多くのものを自分の管轄下に置きたいと望むのだろう。

アルテタは、そんな人物であるにもかかわらず、彼は、この試合・瞬間を私たちアーセナルファンの多くと同じように感じていたのだ。

ボーンマスの試合を座って見ていることができた人たちには、私は敬意を表したい。あなたたちは鋼のような胆力を持っている。私にはできなかった。

どのような形でこれを見守っていたにせよ、この試合は我々にはコントロールできないものだった。ミケル・アルテタがコントロールすることもできないものだった。

フットボールとは、すべてを平等にしてしまう存在だからだ。

私は今回の優勝をアルテタのためにもうれしく思う。

監督は常にスポットライトを浴び続ける存在だ。あらゆる判断、交代、移籍、記者会見やインタビューで発する一言一句が徹底的に分析される。シーズン中は毎週、毎日、それから逃れることはできない。

確かにそれが彼らの仕事であり、それに見合う十分な報酬は受け取っているだろう。しかし、だからといってプレッシャーがないわけではないし、高給を得ている人間に感情や弱さがないわけでもないだろう。

2024年にマンチェスター・シティに勝ち点1差で及ばずアーセナルが2位に終わったとき、アルテタが自分の能力に多少の疑念を示していたことを、私ははっきりと覚えている。

その1シーズン後、私たちが再び2位に終わり、しかも優勝したリバプールとの差がより大きかったにもかかわらず、彼が自分たちは王者になれるという確信を語ったのは、少し意外にも思えた。彼はあのシーズンから多くを学び、負傷者の多さからも多くの教訓を得たのだと思う。2位に終わったことが、何かを解き放ち、そして今季、私たちはそれを目にしたのかもしれない。

今季のアーセナルは良いプレーを見せられた時は、素晴らしいスコアでで勝った。一方で、ベストなレベルに届かなかったときでも、チームはなんとか勝つ方法を見つけ出した。

私は先日それを『アーセナル工業施設』と呼んだと思う。それはサッカー界の工作機械だ。

それは万人から気に入られるというわけにはいかないかもしれないが、我々は対戦相手を噛み砕く。向かってくるなら来ればいい。我々はそのあらゆる試みをはね返す。(時には、レビュー後に多少の助けの手が差し伸べられることもある)

これは徹底した現実主義の表れだった。

現実主義|名詞:特定の状況に存在する問題に対して、理念や理論に頼るのではなく、合理的かつ論理的な方法で対処すること。理想主義ではなく実践的であること。


アーセナルが私の理想とするサッカーを行っていた、と言えば嘘になる。しかし、私が見たいものと、ミケル・アルテタがやらなければならないことはまったく別のものだ。

そして究極的には、本当に重要なのは後者だけだ。

そして彼が庭で時間を過ごし、(エドゥに思いを馳せながら?)肉を焼いていたとき、彼の現実主義への報酬の瞬間が試合終了の笛とともに訪れた。2004年以来となる我々のリーグ優勝だ。

すでに何度も言われていることだが、アルテタが就任したときのアーセナルの順位や状況と、今の立ち位置を考えれば、彼が成し遂げた仕事は驚くべきものだ。

彼の努力が今、目に見える形で実ったことを、私は心からうれしく思う。サッカーの分析はしばしば二元論的になりすぎる傾向があり、もちろんなぜそうなるのかも分かる。それでも、たとえタイトルが出来ていなかったとしても、ファンが時にどれほど苛立ったとしても、客観的に見て彼の仕事は並外れたものだった。

今や、最も強く声高に疑っていた人々でさえ、彼に花束をプレゼントし、称えなければならない。おそらく彼らが実際にそうすることはないだろうが、そうするべきだという事実は変わらない。

アルテタにはその称賛を受ける資格がある。彼がどれほど懸命に働き、どれほど強い決意を持ち、アーセナルFCのために常にどれほどの意欲と野心を抱いてきたかについて、疑いの余地はないと思う。

アーセナルで物事がうまくいかなかったときに向けられたスポットライトは、今こそ、同じ強烈さで彼に充てられるべきだ向けられるべきだ。彼はまぎれもなく、スタンディングオベーションを受けるべきなのだから。

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Posted by gern3137