プレミアリーグ王者のファンの皆様、ごきげんよう
プレミアリーグ王者のファンの皆様、ごきげんよう!
それが数日後なのか、1週間後なのか、3カ月後なのかはわからないが、喜びと祝福の熱が少し落ち着き始めた頃には、きっと誰もが自分だけの昨夜の物語を振り返ることになるだろう。
アーセナルがリーグ優勝を決めた時、自分はどこにいて、誰と一緒で、何をしていたのかの物語だ。
私自身に関して言えば、家族と外食に出かけるという名案を思いついた。マンチェスター・シティの試合を神経質に見守る、という事態を避けるために。
それならば、自分たちが座るテーブルの近くのどこにもテレビがない店を選ぶべきだったのだが、実際にはレストランは壁中スクリーンだらけで、気にしないようにするのは不可能だった。
なんとか気にしすぎないようにはしていたものの、クルーピがゴールを決めたので「よし来た!」と私は叫んだ。そんな客はかなり混んでいたにもかかわらず、レストランで私一人だった。
その場にいる人々は皆サッカーへの関心がほとんどないようだった。
その後レストランは流す試合を変更することに決め、チェルシー対トッテナムの試合に切り替えた。ボーンマスで何が起きているかを知りたくなかったので、私としては全く不満はなかった。
私の携帯に、「カモン!」や「オーマイゴッド」、さらにはいくつかの「👀」が一気に届いた後、静かになった。
私はその無音を歓迎し、そのままカモン時間は過ぎていった。
もちろん私はライブ速報のアプリを確認することもなかった。アプリを開いた瞬間にシティが点を取ることはわかり切っていたからだ。人生というのはそういうもので、それは皆さんもご存じだろう。
私は緊張し、不安になり始めていた。今日が初対面だった結婚したばかりの娘の夫に、今何が起きているかを説明しようとし、なかなか曖昧な言葉だったになってしまったとは思うが、彼は理解してくれたと思う。
そして3年の時が経った。
試合の残り時間がどれくらい残っているのか知りたくてたまらなかったが、もちろん確認することはできなかった。なぜなら、確認したらシティが点を取るからだ。
沈黙を最初に破ろうとしたのは、兄だったが、その後友人のアンドリュー・アレンからオーマイゴッド、というメッセージが届いた。彼のことは心の底から愛しているが、このメッセージについては一度話をしなくてはならない。
シティが点を取ったのに違いない、と思った。
その頃には妻も娘もそれぞれの携帯でスコア速報を見ていた。彼らがアディショナルタイムは6分だ、と話しているのが聞こえた。
それが残り4分に減るのに数年かかり、それが3分に減るのには30年かかった。
そしてそこから数千年の時が経ち、私は家族にライブ速報を更新するのをやめてくれ、と頼みました。どうせ試合が終われば通知に震える私の携帯がテーブルから落ちそうになり、全てわかることだからと。
実際にそれが起き、シティが点を取ったのだと思った。だが、その後Discordで大量のイエス!!!!!といったメッセージが飛び交っているのを見て、私はすべてを悟ったのだった。
月曜夜の我々の勝利の後、シティが勝ち点を落とし、22年ぶりにアーセナルが再びタイトルを手にしたのだと。
私の携帯に届くメッセージが止まることはなく、夜通しSMS、WhatsApp、メールが届き続けた。順番にすべて返信するつもりなので、どうか少し待ってほしい。あまりに数が多いので。
家族とは抱擁したが、レストランの他の客はサッカーのことなどまったく気にしているようには見えず、まだチェルシーの試合が流れていたので、どこかの間抜けがなぜ馬鹿みたいに跳ね回っているのか、不思議に思っていたかもしれない。
もちろん、他人のことなど気にする必要はなく、気にする必要があるのは我々自身のことだけだ。
アーセナルファンはこれを長い間待ち続けてきた。そしてついに、3年連続の2位、はかり知れない痛みとフラストレーションを経て、私たちは最後まで走り切ったのだ。
ミケル・アルテタとこのチームが本当に最後のゴールテープを切ることができるのか、人々が疑問を抱いたのも理解できるが、そのテープはもう我々の背後にある。
我々はそれを超えたのだ。
長い間、傷口に塩を塗り込んできた者たちへやり返す楽しみは、これから何日も、何週間も残されているので、彼らの話を供するのはやめておこう。ボトルなんてどうにでもすればいい。
その前に立ち止まり、周りを見渡し、自分たちのいる場所を確かめ、長い間待ち続けてきたこの瞬間をただ楽しみながら、その震えるような感覚が体の中を通り抜けていくのを味わおうではないか。
アーセナルが前回リーグ優勝を果たした時、私は32歳だった。この時のArseblogは、バルセロナのアパートで片手間にやっていた小規模なもので、この年チームはプレミアリーグで無配優勝を果たした。
優勝は当たり前だと思っていたわけではないものの、当時は次の優勝まで22年もかかるなど、ほとんど想像できなかった。
だから今は、そのすべてを味わい尽くし、この偉業が放つ温かな光に浸りたい。3年連続2位の傷跡や痛みに、今や我々はプレミアリーグ王者であるという癒やしの軟膏を塗ろう。
前回アーセナルがリーグ優勝して以来、私はこのサイトでほぼ毎日何かしらを書いてきた。22年分の希望と期待と失望をだ。
もちろん、他の年より深く傷ついた年もあったし、本当に多くのことを経験してきた。
その道のりの中で既にこの世を去ってしまった友人もいる。昨夜は、古い友人のために思わず杯を掲げずにはいられなかった。しかし、新しい友人もできた。
これを再び見るために長い間待ち続けたファンがいるのはもちろんだが、アーセナルファンの中には、プレミアリーグ優勝杯を一度も見たことがない世代もいるのだ。
彼らは、リーグ優勝とはどのようなものだったのか、どんなセレブレーションがあったのかを母親や父親から聞いてきたはずだ。そして、自分たちの時代は本当に来るのだろうかと思っていたに違いない。
その時が、まさに今来たのである。
夜遅くまでスタジアムの外やノースロンドンでファンが集まり、祝っている様子を見ていると、それがどれほど大きな意味を持つのかが伝わってくる。
忘れられない光景だ。たとえ昨夜の彼らの記憶の大部分がシャンパンの霞の中に消えていくに違いないとしても。
サッカーとは、我々の人生において切実でないものの中で、最も重要なものだ。
我々は人生、時間、気の確かさ、忍耐、お金、そしてすべてを、ひとつのチーム、ひとりの監督、選手たちに捧げ、彼らが90分間だけでも我々を幸せにしてくれることを願う。
そして、何度もそれを繰り返す。
もちろんそれが実際に実現するかに、我々自身のコントロールは及ばない。
その制御不能さこそが、人を狂わせるのだろう。
時折サッカーファンはなんとかそれに影響を与えようと馬鹿げたこともする。先日のポッドキャストで優勝のためのジンクスとして何をしたか、という質問があり、それを明かしてしまっては効果が失われるから言えない、という話をした。
だが今なら話せる。
馬鹿げた話だが、この数週間、それは私の心の拠り所となっていた。
リーグ戦でアーセナルがマンチェスター・シティに敗れた後、私は怒りに任せて髪と髭をすべて剃った。普段はスキンヘッドではないので、数日の間鏡を見るたびに顔じゅうの毛をなくした奇妙なツルツル男がこちらを見返してくるのにたじろぐことになった。
そしてそこから私は一度も髭をそっていない。
これがいかにばかげた滑稽なことなのか、もちろんわかっている。
だが実際に効果があった!!!
私は自らの役割を果たしたのだ。そして、CL決勝が終わるまではまだ髭は剃れない。
だが、もしこの髭がプレミアリーグ専用の髭だったらどうすればよいのだろう。困ったものだ。何か他の策を考えなければならないかもしれない。
昨年、ミケル・アルテタはユニオンチャペルで我々が開催したイベントに来てくれた。アーセナル・ファウンデーションのために多額の資金を集めたアーセナルファンに感謝するためである。
ステージ上で彼に質問することが許可されていた内容にはかなり厳しい制限があったが、目の前には観客がいて、ライブ配信を見ている人たちもいたため、私はクラブの未来について少しだけ問いかけなければならないと感じた。
その時観客の中のひとりが「俺たちはやってやるぞ!」のようなことを叫んだのを覚えている。
とてもリラックスした様子のアルテタは笑いながら、「もう少しだけ忍耐強くいてほしい。あと少しだから」と告げた。そして彼は、有言実行の男だった。
その過程で彼を疑った人がいたとしても、私は理解できる。私自身にも疑いはあった。
今季アーセナルの優勝を信じて一度も疑わなかったと言う人がいるなら、それはおそらく強がっているだけだろう。
サッカーとは、なんと奇妙で混沌としたものだろうか。
ボーンマスに2-1で敗れたときが、おそらく私がアーセナルのリーグ優勝の資格を最も疑った瞬間だった。だが、まさにそのボーンマスが、我々のリーグ優勝の最後の後押しをしたのだ。
もちろん、ボーンマスがアーセナルにタイトルをもたらしたわけではない。
アーセナル自身が勝ち取ったのだ。
このチームが、クラブが、そして監督が勝ち取ったのだ。
今朝の順位表を見てほしい。アーセナルより多く試合を勝利したチームはない。失点の少ないチームもない。
かつてのアーセナルのチームが持っていた華やかさや粋な魅力をこのチームは常にもっていたわけではないかもしれない。それでも21年を経て、泥臭いやり方でタイトルを勝ち取ることを受け入れられるかと聞かれれば、迷う余地はないだろう。
ただし、はっきり言っておきたいのは、それはこのチームを貶めたり、価値を下げるものではない、ということだ。
非常に優れたサッカーチームになる方法はひとつではない。そして守備面では、アーセナルほど優れたチームはどこにもいないと思う。
ファイナルサードでの迫力をもう少し持ち、今季あまりに多かった、神経をすり減らす我慢比べのような試合を減らしてほしいとは思う。しかし、ここまで優れたチームを作ること自体がどれほど難しいかを見落としてはいけない。
我々は王者であり、最高のチームなのだ。
私はこれを今のアーセナルの選手たちのためにも、本当にうれしく思う。
何度も言ってきたように、プレーの一部や個々のクオリティについて疑問を抱くことはある。それは当然のことだ。だが、彼らがピッチに立つたびにすべてを捧げていることについては疑いの余地はない。
サッカー選手はクラブの紋章、そしてユニフォームを体現する存在でなくてはならない、というのはよく言うが、彼らはそれを見事に行っている。
彼らはこのクラブのためにその身を投げ出してきた。成功を取り戻すために、彼らは精神的にも肉体的にも苦しみ、それを成し遂げた。
彼らはそれを勝ち取ったのだ。彼らにはその資格がある。
彼ら全員、そして今はアーセナルの選手ではなくても、その道のりの中で役割を果たしてくれた多くの人々に感謝したい。
アルテタとコーチングスタッフ、そして舞台裏で懸命に働くアーセナルのすべてのメンバーにとって、これは長年の努力と献身の集大成だ。
アルテタが2019年にアーセナルに再びやって来た時、このクラブは混乱の中にあった。監督こそがすべてを動かす原動力だが、役割を果たしてきた人は他にも大勢いる。
表には出てこないが、このようなことを成し遂げるうえで欠かせない人たちもいるだろう。今朝、彼ら全員が称賛されるべきだ。
我々は忍耐強く待ち、そしてそれは訪れた。
まだまだ何時間でも書き続けられそうだが、そろそろセレブレーションの動画をまた漁り、喜びに浸ろうと思う。
スタッフだけでなく、我々アーセナルファン全員のためにも、私は大きな喜びを感じている。世界中のアーセナルファン、とりわけArseblogコミュニティの一員である皆。
ブログを読んでくれている人、ポッドキャストを聴いてくれている人、Patreonコミュニティに参加してくれている人。長年にわたり、良い時も悪い時もここにいてくれた皆さんに、私がどれほど感謝しているかを知ってほしい。
ある程度の成功は収めつつも、ファン全員が切望していた成功には届かなかったチームについて、22年間書き、語り続けてきた。
皆さんのおかげで、私は高揚も落胆も受け止めるのが少し楽になっている。
チームの状態が良い時にサポートするのは簡単だ。しかし、いつも良い時ばかりだったわけではない。それでも皆さんはここにいる。
そして私も、まだここにいる。
そして今、アーセナルは再び王者になった。
皆さん全員、そしてすべてを愛している。
今日を楽しもうではないか。ついに我々なやり遂げたのだから。
source(当該サイトの許可を得て翻訳しています):




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