マルティネッリのインタビュー内容まとめ

インタビュー

Player’s Tribuneにて、マルティネッリの非常に興味深いインタビューが上がっていたので、その中で興味深いと思ったポイントをピックアップしてまとめました。

子どもの頃の話

もともとマルティネッリは息子のサッカー選手としての教育に非常に熱心な家庭に生まれ、小さいころから両親に鍛えられていたそうです。練習に連れていくために休日は平日の空き時間のほぼ全てを費やし、マルティネッリが6歳になった途端にコリンチャンスユースのトライアルに連れて行ったりしていたのだとか。

また、ドリブルしたり、華麗なシュートを決めて遊んだりしたがる6歳のマルティネッリに自身がGKとなって、壁に向かって何千本も逆足でシュートを決めさせる、というハードな練習をしていたそうです。

もう少し年齢が上がってから、ユースチームでプレイし始めてからは、マルティネッリが思うようなパフォーマンスを見せられなかった帰りのドライブはお父さんはいつも懇々ともっとこうすべきか、と説いたとか。また、母からも『ガビ、お前のシュートはパワーがないわ。もっと強く打たないと』と言われたりもしたとか。

なかなか父母共にスパルタ教育だったようですね。笑

マルティネッリの父は『良いプレイが出来ない日だってある、ボールがすね当てにあたって変な所にバウンドしてしまう日もある。でも走れ。せめて走り続ければ、チームのためにはなれる。』といつも息子に話していたそうで、これはとても良いアドバイスだったし、父のアドバイスはいつもしっかり聞いていた、とマルティネッリは語っています。

現在も、マルティネッリが左足で点を決める度に父から『ほら、言っただろ?』と電話がかかってくるそうです。

10代の頃、アーセナル行までの話

13,14歳のころからマルティネッリは毎年イギリスでマンチェスター・ユナイテッドのトライアルを受けており、そのため18歳になって契約を結べる年齢になればマンチェスター・ユナイテッドでプレイすることになるのだ、と思っていたのだそうです。

既にイブラヒモビッチやポグバなど、トップチームの選手何人かとも知り合いになっていたものの、4回目、17歳の時のトライアルで『君のことは獲得しない。今年は、という意味ではなく、今後獲得することはない、という意味だ』と告げられ非常に動揺したのだとか。

何度もトライアルを受けて自分のことをよく理解しているはずのユナイテッドから受け入れられなかったのはとてもショックだったそうです。その後、バルセロナで15日間のトライアルを受けるもこちらも不合格、ちなみにこのときアンス・ファティと仲良くなったそうです。

母親はマルティネッリに大学に行くことも進めていたそうですが、マルティネッリは同時にサンパウロのユースカップで活躍を見せ、またオファーが舞い込み始め、その一つがアーセナルだったとか。父親にどう思うか聞いたところ彼は『よし、ロンドンに行こう』といったのだそうです。

そして、これが人生で最高の決断とマルティネッリは語っています。

こうしてみると、ブラジル4部から移籍したにもかかわらず、マルティネッリのイングランドサッカーへの適応がむちゃくちゃ早かったのは、既に何度もマンチェスター・ユナイテッドでプレイしていたからなのかもしれませんね。笑

ロンドンでの生活の始まり

初めて母国を離れ、最初の内は両親や代理人が一緒に暮らしていてくれていたものの、マルティネッリはかなり不安で寂しい思いをしていたようです。

もともとブラジル時代は寝室が一つしかなく、常に家族で同じ部屋で寝ていたため、一人ぼっちで寝るのが寂しかったのだとか。それは今でもあまり変わっておらず、昼夜問わず基本的に誰かと一緒に居たいし、以前は一人で寝るときはずっと彼女と電話を繋いだりもしていたそうです。

運転も出来ず(免許取得に英語が必要)、英語も出来ず、ということで孤独だったマルティネッリを親身になって面倒を見てくれたのはエミ・マルティネスで、練習に来るまで送り迎えをしてくれたり、大晦日をマルティネス家と一緒に過ごしたりなどもしたとのこと。

また、怪我で離脱していた期間は辛かったものの、ドクターやフィジオとは基本的にすべて英語でのやりとりとなり、字幕も吹き替えもないので、この時期に大きく英語力が向上した、とマルティネッリは話しています。

最後に

マルティネッリはこのインタビューを以下の言葉で締めくくっています。

アーセナルは勝ち点1を目指して良いチームじゃない。全試合勝利を目指すつもりだ。アーセナルでプレイするからには4位で満足していちゃいけない。タイトル、リーグ優勝、チャンピオンズリーグ。アーセナルファンはそれに値するサポートを見せてくれている。

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Posted by gern3137