メスト・エジル: 彼との思い出に後悔ではなく喜びを
一度だけでいい、いったんサーカスのことは忘れてくれ、SNSのことも、猫背なかれのボディランゲージのことも。
これらは、彼のパフォーマンスと何の関係もない。むしろ、それも彼の魅力の一部だ。
思い出してほしい、誰よりも自由なプレイメイカー、誰にも真似のできないものをピッチで実現させることが出来たトップ下のことを。
エジルはアーセナルで過ごした5年間で常に、一つのプレイで試合を変えてしまえるような天才だった。それも、アーセナルにとって有利な方向に。
彼は、高らかなファンファーレとともにエミレーツスタジアムにやってきた。
ヴィエラを失い、アシュリー・コール、アンリを失い、そしてアデバヨール、ファブレガス、ナスリ、ファン・ペルシーと主力の売却を続けてきたアーセナルにようやく訪れたワールドクラスのスターだった。
エジルは4人をドリブルでかわして得点するような選手ではないし、30ヤードの距離から弾丸シュートを決めたりもしない。ギリギリのところでタックルでボールを奪い取り、観客を盛り上げたりするわけでもない。
だが、レアルマドリードでも、ドイツ代表でも、それは彼の持ち味ではなかった。
彼は単にサッカーを誰よりも理解していた選手で、彼のチームメイトをより輝かせ、攻撃の一つ一つをより危険にする選手だ。だからこそ彼のアシストはこんなにも多い。
なぜかエジルはいつも、彼が過去に一度も行ってこなかったことを行っていないといって非難される。これは、サッカーを消費する現代の悲しい象徴の一つといってもいい。
“エジルに出来ないこと"を批判している時間を、"エジルに出来ること"を楽しむことにあてることもできるというのに。
アストン・ヴィラ戦でのジルーへのヒールでのアシスト。スウォンジー戦でエジルだけが見えていた、ナチョ・モンレアルへのパス。
あるいは、ハーフライン近くで見せたフリックからゴール前でのスルー、パスに走り込み最後のパスを出したレスター戦。
トレードマークとなった。地面に叩きつけるユニークなシュートでジョン・ルディやミニョレ、ボルツを破ったこと。
プレミアリーグで1シーズン19アシストを記録し、アンリの記録更新にあと一歩まで迫ったこと。この年146本のキーパスで最多記録を更新したこと。
ルドゴレツ戦のゴール。
あまりのトラップの上手さでアンフィールドをうならせたあの日。
大舞台で仕事をしない、と批判されることも多かったが、実際にはエジルのアーセナルでの全得点とアシストが対ビッグ6相手のものだ。
とはいえ、エジルにとってもアーセナルにとっても、2018年からうまく行っていないのは間違いない。
稀に彼の才能を思い出させるようなきらめきを見せたことを除けば、アーセナルとエジルの終わりは移籍当初には思いもよらない形で終わりを迎えることとなった。
もちろん、エジルがアーセナルで何も問題など抱えていなかったふりをしても意味がないし、アンフェアだ。
だが同時に、最後の2,3年の暗黒でその前の5年を忘れ去ってしまうのもアンフェアだといえる。
ここではそれらの議論の複雑について触れるつもりはないが、エジルは世界中の何百万人ものアーセナルファンに喜びをもたらし、サッカーを楽しいものにしてくれた。
これこそが、我々がそもそも彼と恋に落ちた理由ではなかっただろうか?
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