メスト・エジルを巡る議論とアイデンティティの問題
アーセナルに与えた衝撃という意味では、恐らく過去30年で最大の選手獲得はデニス・ベルカンプだろうが、人気と知名度という意味ではメスト・エジルが恐らくナンバーワンだ。
エジルはインスタグラムとツイッター合計でアーセナル公式アカウントより1000万人以上のフォロワーを誇る。彼はアーセナルに来る前はレアル・マドリードのスター選手だったが、レアルやバルサの選手としてもエジルの人気はすさまじく、彼に勝るのはロナウド・メッシ・ネイマールくらいのものだ。
これにより、エジルの一挙手一投足は特にSNS上で注目を集めることとなる。
では何故、彼はここまでの注目を集め、人気を誇るのだろうか?
まず、エジルは恐らく非常に優秀なSNSマーケティングチームを抱えている。最近彼とチームは自身の個人的な衣類ブランドのプロモーションを始め、サッカー選手引退後も収益の柱が途切れないような策を打っている。
もちろんこれは特に珍しいことではなく、多くのトップレベルの選手が似たことを行っている。
単に才能あふれた選手であるというだけではなく、エジルに彼をマーケティングという意味でユニークにし、かつ同時に彼の意見を分かれさせる存在にする点をいくつか代えている。
まず、彼のスタイルは創造性の頂点に君臨するようなものだ。これにより、文化的な戦争とでも言うべきものが引き起こされる。
意見は真っ二つに分かれ、あなたは"彼の魅力を理解する感性を備えている"あるいは"汚れ仕事を嫌う怠け者だと感じる"というわけだ。
私個人の意見としては、エジルはアーセナルで必ずしも一貫して結果を残していたわけではないと感じるが、もちろん、もしかすると私は単に彼の繊細な素晴らしさを感じ取れないだけなのかもしれないし、逆に『サッカーがわかっていない』と批判されるのを恐れ、彼の貢献を過大評価しているのかもしれない。
これらは多くの場合は非常に苛烈な議論になり、そしてそれが激しければ激しいほど、それに惹きつけられる人も生まれる。
また、エジルには雰囲気的に儚さのようなものがあり、恐らく一部の人には余計にこれのおかげで余計に彼の弁護に力が入るのだろう。(別にこれが良いだとか、悪いだとかいった話ではない)
多くの人がエジルは守られるべきだと思っている。蹴飛ばしに来るDFから、彼のことを理解できないコメンテーターから。
そして、彼のキャリアを通していくつかエジルのコントロールの及ばないところでいくつか不遇な扱いを受けてきており、それも一役買っているだろう。
自身の二重のルーツのせいで経験した酷いゼノフォビアがその例で、これが発端となり彼はドイツ代表を引退し、自分のトルコのルーツが尊重されていないと感じていたようだ。
エジルは過去に口を開き、自信を弁護することをためらわない姿勢を見せてきた。代表を引退した際にも、なぜ引退するのか、ゼノフォビアへの告発を面と向かって行った。
そして、中国でのウイグルのムスリムへの弾圧に対しても声を上げた。
だが一方で、彼はアムネスティインターナショナルをはじめとした団体から人権侵害に関する強い非難を受けているトルコ大統領のエルドアンのような人物への支持を表明したりもした。
また、エジルはパンデミックの最中のアーセナルの給与カットの要請を拒否することに特に良心の呵責を感じたりなども内容だった。
もちろんこれは完全に彼の自由であり、このような情報がリークされたのは非常にアンフェアだった。給与カットを拒んだのはエジルだけではなかったが、彼の名前だけが報じられた。
最近のエジルを巡る状況に関しては意見が割れているが、これはエジルがなぜメンバーを外れているのかに関して、ほとんど情報が明らかになっていないからだ。
3人の監督が何らかの形でエジルを罰するような行動をしており、ここから、エジルは監督に対して委縮したりはしないタイプであり、言いたいことははっきり言うような人物であるということはわかる。
ただ、チームを外れる理由が明確にならないせいで、またしてもエジルを擁護する側の弁には熱がこもることになる。
また、当然エジルの境遇はゼノフォビアのターゲットにもなるかもしれないが、インスピレーションを与えるものでもある。
彼は自身が2つのルートを持っていることを誇らしげに語るし、トルコやドイツと関連がない人でも、これと自信を重ね合わせて考えることは容易い。
ドイツ生まれの移民として、彼のステータスは多くの人に共感できるものだし、恐らくエジルが経験した不当な扱いや偏見もまた、自分の人生と重ね合わせることが出来るものだ。
エジルは自身のイスラム教信仰についても誇りをもって話すし、これは多くのムスリムのファンにとっては嬉しいことだろう。
もちろん、普通のサッカーファンにとっては、エジルという一人のサッカー選手がそこまで熱狂的なファンを抱えるというのは少し奇妙に思える。
だが、冷静に考えてみれば、我々の多くが、奇妙なほど熱心にサポートするサッカークラブを擁護したり、ライバルチームの激烈な批判を繰り出したりするものだ。
あなたもアーセナルファンが、審判が特定のチームに不公平であるとか、特定のチームを贔屓しているなどといった陰謀論的な話をしているのを見かけたことがあるだろう。
結局のところ、サッカークラブのファンがなぜそこまで自分のクラブに関してそこまで細かい点をきにするのかといえば、それが彼らのアイデンティティに根差した問題であるからだ。
もちろん、サッカーファンの全てがそこまで熱狂的なわけではないのと同じように、エジルのファンにもいろいろな程度がある。
ただし、エジルが人の心を動かす程度が強すぎて、普通のファンは必要以上に彼のことをネガティブにとらえてしまう、というのはあると思う。まさしく私自身がそれに当てはまる。
エジルは給与ほどの活躍が出来ていないと思うが、それ以外に特に何か気に食わない点があるわけではない。だが、単純にエジルを取り巻く会話は敵意に満ちたものに足りがちで、それに疲れてしまう所があり、彼が早く移籍するのを望んでしまう。
恐らく同じように、エジルを批判した際に彼を擁護するファンから攻撃され、それがエジルをどう見るかに影響してしまう、という人はいることだろう。
エジル自身は悪くないのだが、彼は同情を集めると同様に、炎のような議論を行く先々で巻き起こす存在なのだ。
エジルは自身の中に抱える何か、サッカー観か、あるいはそれ以上のものを象徴するような存在で、だからこそここまでの熱狂的なファンを多く抱えるのだろう。
彼は非常に複雑な存在で我々が自由に自信を投影することが出来る一方で、率直で悪びれないキャラクターでもある。
エジルのアーセナルでのキャリアは2つの章に分かれる。契約延長前とその後に。
2章目はあまりに謎が多く、多くの解釈が可能だ。ここに、激しい批判と擁護の余地が生まれる。
恐らくエジルのフェネルバフチェ移籍、彼が自身のアイデンティティを重ねる国でプレイすることにより、彼のブランドはさらに高まり、そして議論はさらに白熱するだろう。
エジルは恐らくまさに今のインターネット上のカルチャーを象徴するような選手なのだ。
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コメント一覧
エジルがあった直後、ドイツの大統領もあっている。どうこう言ってもナトー加盟国であり付き合っていかなくてはならない。英国の政治家よりはるかに優れや政治力を発揮している。彼の闘いはよくわからないところもあるが、結果として世界平和の為に動いているという事。EU創設に何十年も前からかかわり、気に食わないから離脱するという人達。エルドアン大統領を産んだのは自分たちという自覚はあるのだろうか。
最後の最後にプレーすることを選択したのはプライドか打算か
どっちでもいいすね
確かにこころの問題です
誰のものでもない
それぞれの人間が興奮したり失望したり
いつかは思い出して、
何かの足しにはなるんじゃないすかね