サッカーが直視しなければならない現実
ほんの少し前には、アーセナルが史上最悪とも言ってもいいパフォーマンスを見せていたとはいえ、それが今年起きる最悪のことに感じられていたとは、なんとも非現実的に感じられる。
もちろん、実際はこのような考え方は誤りで、アーセナルの不振について頭を悩ますことができるというのは非常にぜいたくな悩みだったわけだ。
現実には、それよりはるかに重大で深刻な問題が数多く世界には存在している。
もちろんこれは我々が日常的に駆使している認識のトリックというやつで、日々を楽しむために、11人の億万長者たちがサッカーボールをお互いに向けて蹴り合っているという現象が世界一重要なことであるかのように思い込んでいるのだ。
もちろん、本当は我々はそうではないことをよくわかっているにもかかわらず。
いま世界中で起きている事象は、サッカーやスポーツは素晴らしいものではあるが、最も重要なものからは程遠いということを我々に全く優しくないやり方で思い出させてくれた。
毎日新型コロナウイルスに関する何かしらの出来事が起きている。ひどく非日常的で、少し不思議な気持ちになるくらいだ。
スポーツのシーズンは中断され、アメリカはヨーロッパからの入国制限を行っている。(訳注: この記事が書かれた時点ではまだアルテタの感染は発表されていなかった。)
私の人生において、このような出来事は記憶にない。今回の出来事の経済・社会的な影響は甚大だ。我々の仕事も未だかつてないようなスケールで影響を受けるだろう。
我々がこのウイルスの拡大を止めようとするのと同時に、人々の生活は根本的に変わってしまうだろう。
そのためには、恐らく人々は規律をもっていくらかの犠牲を支払う必要がある。だが、全員がその準備ができているわけではない。それが人間というものだ。
とはいえ、我々にできることはたんに常識的に考えてくれと主張し続けることくらいしかない。
サッカーに話を移すが、このような状況でサッカーの話をすること自体が奇妙に感じられる。
スポーツをはじめ、大人数の人々が集まる場を制限する必要があるのは間違いないが、博物館は閉館できるし、劇場はショウをキャンセルことができる。
彼らは昇格や降格、ヨーロッパ大会の出場権などの心配をする必要がないからだ。そして、シーズンが続行できないとなれば、単純にサッカークラブの経営への打撃、という問題もある。
もちろんサッカークラブをもっと堅実に経営すべきだったという意見もあるだろうが、どの業界でも、収益の柱を失うことになれば苦労するはずだ。
我々の中で、何週間、あるいは何か月も給料が支払われないとなった時に何の問題もなく生活できる、という人が何人いるだろうか?
全てのものは密接にかかわり合っており、それらのうちの一部が失われれば、そこに連なる人々の生活も影響を受けざるを得ない。
我々になじみの深いサッカーのシーズンは中断するだろう。そして、それがウイルスの拡大を防ぐために必要なのであれば致し方のないことだ。
もしこれが、今回の病に最も影響を受ける可能性が高く、あるいは経済的な脆弱性を抱える人たちの助けになるのであれば、それは安い代価だろう。
フットボールは素晴らしい。我々は(時折そのおかげでクレイジーになるとしても)フットボールを愛している。だが、人々の命、彼らの人生の方が遥かに重要だ。
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英国の良心はよみがえり、必ずやフットボールはよりよくなって戻るでしょう。それに対して日本は、聖火リレーに執着しております。ともに無事であること祈ります。