トライアルアンドエラー 前編

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正直私は、ウナイ・エメリがアーセナルに最適な監督だとは思わない。とはいえ、これが中立的な見方とは言えないことは認めなくてはならない。最初に彼が任命された時点で、特に明確な根拠はなかったが、直感的にそう感じてしまったのだ。

だがこの感情は非常に強かった。もちろんエメリ採用のロジックに関しては理解できたし、今も理解しているつもりだ。彼は限られた候補者の中では最も安全策だったのだ。

アルテタ。確かにエキサイティングだ。だが、もし本当に我々のうちの誰かが仕事としてアーセナルの監督を任命する任務を任されていたとしたら、彼を選ぶ勇気のある人は多くないだろう。

普通の人間は、仕事に関してエキサイティングだという理由で大きなリスクを冒したりはしないし、普通の仕事でもそうなのに、アーセナルのCEOという失敗が許されないプレッシャーのかかる仕事ならばなおさらだ。

エメリは、経歴的にだけではなく、全ての点でベンゲルと異なるという点でも理に適っていた。”カメレオンのようなサッカー”を展開し、試合ごとにフォーメーションをいじる、このようなサッカー哲学は流れるように、だが頑固に貫かれたベンゲルサッカーと対極にあるものだ。

過去にエメリが率いた選手たちで、エメリのことを温かい監督だったというものはほとんどいない。なぜなら、彼はそのようなやさしさにあふれたタイプではないからだ。

彼は選手をゴルファーがゴルフクラブを見るように見る。ベンゲルの温かみとは真逆のクールな監督だ。それは、アーセナルで快適になりすぎた選手たちにとって必要なものだった。

私の仕事仲間のクライブはエメリのことを『掃除人』と描写した。もしアーセナルの上層部が、クラブの選手たちの何人かは少しばかりのタフな扱いを必要としていると判断したのであれば、エメリは魅力的なオプションに移るはずだ。

だが、そもそもその上層部自体が大揺れだったことからもわかる通り、理論と実践は話が別だ。

ヨーロッパ一の若手発掘人、スヴェン・ミスリンタートとラウル・サンジェイ、デイビッド・ディーンの現代版で、素晴らしい人脈を持つ人物をコンビを組ませるというのは素晴らしいアイディアに聞こえる。だが、これは未だに完全には明らかにはされていないいくつかの理由のせいで、うまくいかなかった。

それが人間というものだ。我々は非理性的で、感情を持っており、必要以上に物事を複雑にしてしまう傾向がある。エゴとプライドが理想的な絵を邪魔するのだ。

ユングベリの昇格は理に適っているし、エドゥのテクニカルディレクター就任も同じだ。

彼はブラジルサッカー協会で若手とベテランの融合の管理を任されていた。ブラジルには二重国籍を持つ選手が数多くおり、彼らはディエゴ・コスタやジョルジーニョといったタレントが他国へ流出したことを後悔していた。

ブラジルサッカー協会はより若い年代から選手に干渉することでこれを防ごうと考え、これを任されたのがエドゥだったというわけだ。つまり、エドゥの思わぬ副産物的な強みとしては、彼以上に南米の選手でヨーロッパ国籍を持つ選手に詳しい人物はいないということだ。

アーセナルが若手の育成する必要があるこのような時期にエドゥを引き入れることは、筋が通っている。だが、近年のアーセナルがスタッフ選考は同じようにすべて理に適っていた。あくまで理論上は、の話だが。

(明日の後編に続きます。)

(Source:
https://arseblog.com/2019/06/trial-and-error/ )

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