アーセナルの若手革命がエキサイティングなものになるとは限らない 前編

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アーセナルはこの夏のチームの刷新を必要としているし、同時に求めてもいる。この二年間での選手の入れ替わりを考えると、クラブがいまだに『全部吹き飛ばして一から作り直せ!』状態にあるというのは、ここまでのアーセナルの対応のまずさを表している。

今年のアーセナルの宝箱(訳注: 予算の意)にはガラクタしか入っておらず、つまりチームの再建を、雀の涙ほどの額で行わなくてはならないということだ。

だが、アカデミーに目を移せば、U-18とU-23のチームは輝きを放っており、ユングベリがU-23の監督からトップチームのコーチに昇進することで、よりトップチームとユースチームの選手の行き来は活発になるだろう。

驚くべきことではないが、このアイディアは多くのファンを興奮させた。アカデミー卒の若手が躍動することほどファンを喜ばせるものはない。ジョージ・グラハム時代前半のアーセナルの成功は、既存の完成された(そして正直なところ、能力の足りていなかった)選手を放出し、株の有望な選手とアカデミー選手にチャンスを与えることで築かれた。

最近の例では、アヤックスがエキサイティングな若手を多数擁してCL準決勝にまで進出した。とはいえ、トップレベルのサッカーチームの現状を考えれば、アカデミーのタレントが大量にファーストチームで機会を与えられるというのは非常にレアなケースだ。

マンチェスターユナイテッドの『92年組』がいまだに語り草になっているのは、30年近く経った今となっても、このような出来事がほとんど起こらないからなのだ。

とはいえ、アーセナルのケースに関しては、ユースの選手たちがプレミアリーグの舞台でチームを優勝へと導く、までの期待はされていないだろう。金銭的な制約のおかげで空いている穴を何人かの選手たちが埋めてくれればよいだけだ。

ユース選手たちがエジルやコシェルニー、ラムジーの後継となることを期待するのはあまり理性的とは言えない。もしもう何人かナイルズのような選手が現れてくれれば成功とみなすべきだ。もしネルソン、あるいはジョン=ジュールズがウェルベックの穴を埋めてくれれば素晴らしい。加えてエルネニーやジェンキンソンの後を継げる選手も現れてくれれば最高だ。

ガジディスはエメリ監督就任会見で、偉そうに若手の育成こそがこのクラブの『信念』なのだと語ったが、これこそがガジディスの典型的な政治的二枚舌の最たるものだ。

若手の育成はいまやもう『信念』などではない。単に金銭的な必要性があるだけだ。それもすべては、イヴァン&アーセンが貯金をアーセナルの復活のために全て注ぎ込み、そして失敗したが故に起こったことだ。

若手の成長には出場機会が必要で、かつ出場機会はチームの状況次第で訪れる。時にチャンスはトップチームの選手のケガという形でこれ以上ない時に訪れるし(ベジェリンのケース)、時には、単にチームの戦力のバランスとタイミング次第というときもある。

もし18歳のグナブリーが今のアーセナルにいれば、遥かに多い出場機会を得ているだろう。当時の2013年のアーセナルにはサイドでプレイする選手にウォルコット、ポドルスキ、チェンバレンがいたからだ。

イウォビが一気にトップチームに昇格したのは、アーセナルがロシツキー、カソルラ、ウィルシャーを立て続けに失ったからだ。チームはボールを運ぶことが出来る選手を必要とした。イウォビはチームにかけていた素質を持っていたのだ。

現在のアーセナルの金銭的困窮は、若手に扉を開くだろう。そして、そのうちの何人かは今のチームにかけている素質を持ち合わせている。

ネルソンは得点力のあるウイングで、サカは技術のアルサイドの選手だし、左WBとしてプレイすることも出来る。ウィロックは前線への走り込みが持ち味の中盤の選手だ。(そういえばアーセナルに既にそんな選手はいなかったかな?ウェールズ出身の?)

あるいは。もしかすると。ひょっとしたら。

ここまではすべてがばら色に見える。だが、我々は現実と想像の違いを知らなくてはならない。ほんの十数年前にアーセナルは『若手プロジェクト』をしており、その結果、彼らの成長は直線的ではないということは皆さんご存知の通りだろう。

あたりの日もあれば外れの日もある。見ていてフラストレーションはたまるかもしれない。好調を維持できない選手も多い。だが、これが若手を育てるクラブが受け入れなくてはならない現実なのだ。

(明日の後編に続きます)

(Source:
https://arseblog.com/2019/06/all-the-young-dudes-2/ )

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