二人のストライカー 前編
一月に私は、今のアーセナルがいかに奇妙な状態にあるかということについて書いた。伝説的な監督が去り、長くクラブに在籍してきた選手が短期間のうちに一気にいなくなり、変革の時期を迎えた。
このせいで、チームには我々がまだよく知らない選手(監督もだ)が増え、選手たちのキャラクターをつかむのにファンは時間がかかっていた。現実世界ならば天気の話や公共交通機関の不満でも言い合って気まずい沈黙を埋めるのだろうが、サッカーでは、結果がそれを埋めてくれ、アーセナルファンが再びチームの選手たちの居場所を心の中に見つけつつある。
高まりつつあるラカゼットの人気
その先頭に立つのがアレックス・ラカゼットだ。他の誰よりも大きな声で彼の名前は歌われ、ファンのお気に入りだったジルーの名前は忘れられされつつある。ニューカッスル戦でも素晴らしプレイを見せ、彼を象徴する絶え間のない献身性を見せた。
良いチャンスを不運にもハーフタイムの直前に逃したが、その後、オーバメヤンのヘディングという非常にレアなワンツーから、得点を決めて見せた。彼をアシストしたのがオーバメヤンというのは非常に意味が大きい。実際のところ、彼らのクオリティに疑いの余地はないといえ、この二人はパニック倍のようなものだったのだから。
ラカゼットは、もしベンゲルが本気で望んでいれば、2015年あるいは2016年の夏に獲得することが出来た選手だ。2017年に彼を獲得した際には、監督は少し妥協したのだろうという見方もあった。そして、オーバメヤンの獲得は確かに抗いがたいものだっただろうが、50Mをラカゼットに費やした直後に彼を獲得するというのはクラブの手際の悪さを象徴している。
ラッキーだった二人の友情
Embed from Getty Imagesこの二人が強靭な友情を形成するに至ったことは、アーセナルにとって非常に幸運だったといわざるを得ない。ベンゲルがオーバメヤンを獲得する決断を下した時点では、クラブに不和が生まれる可能性は十分にあった。だが、オーバとラカは歴史的にも珍しい友情を結ぶに至り、我々ファンも彼らをペアとみなすようにさえなった。
一部の界隈でささやかれている、我々はどちらか一人を選ぶべきだという議論は奇妙なものだ。確かに、アーセナルの金銭状況を考えると、チームの主力の誰かを売却して獲得資金に充てる可能性がアrかもしれない。だが、オーバメヤンあるいはラカゼットのどちらかを売却すれば、アーセナルの得点力は大きく減ることになり、その結果代役の獲得は絶対に必要になる。
したがって、オーバメヤンあるいはラカゼットの売却益は代役の投資に充てられることになり、これでは何をやっているのかわからない。そして、チェルシーがストライカーに抱えている問題をみればわかる通り、適切な代役を見つけるというのはそもそも簡単ではない。アーセナルの第一ストライカーをジルー、第二ストライカーをサノゴが務めていた時期もそこまで昔のことではないのだ。
実際のところ、エメリのラカゼットとオーバメヤンの扱い方は、ほとんど完ぺきといってもいいものだ。ある意味では、彼は昔のような素晴らしいストライカー二人を揃えたチームのスタイルを採用したともいえる。
もちろん彼ら二人は一緒にプレイできるし、実際に同時にピッチに立つこともある。だが、そうでないときでも、彼ら二人の分業体制はチームにとって非常に有用だ。ピッチ外での関係が良好なおかげで、ラカゼットとオーバメヤンはピッチ内でもお互いの成功を願うことが出来るのだから。
(後編はこちら)
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