退屈なアーセナル?
私は少々神経質な方で、アーセナルの試合を観ていても非常に心配になる。時々なぜ趣味なのに私はわざわざこんなに心臓の悪いことをしているのだろう、と思ってしまうほどだ。
正直に言って、私はアーセナルのプレイの美しさにそこまでこだわりはない。ただアーセナルに勝利を収めて欲しいだけだ。
アーセナルが勝てば試合は十分面白いし、もしサム・アラダイスのようなやり方でリーグ優勝できるのであればそれでも良い(もしそんなことが可能であれば、の話だが)
ただ、プレイスタイルに関して気にしたいのは、そのやり方で安定して勝利を収めることが出来るかだ。私はアーセナルに前線へのロングパスをひたすら放り込むようなスタイルでプレイしてほしいと思わないが、それは、そのやり方で収められる成績には限界があると思うからだ。
もしそれで毎シーズン勝ち点90以上獲得できるのであれば、特に異論はない。
私はジョゼ・モウリーニョにアーセナルを率いてほしいとは思わないが、それは彼のサッカーのスタイルに反対だからではなく、彼のマネージメントが空気を毒するからだ。
私はアーセナルに美しい失敗を収めてほしいとは思わない。ベンゲル時代終盤のアーセナルの守備のもろさは大きな問題で、個人的には時折どれだけ美しいプレイが見られていても、総合的にそれが美しいとは思えなかった。
もちろん、人は生まれ育った環境に影響されるものなので、恐らくこれは私が最初にアーセナルのシーズンチケットを購入した1992年、ジョージ・グレアムがフェイマスバック5を擁して結果を出した時期と重なっているのが影響しているのだろう。
堅牢な守備をベースに優勝した1994年のアーセナルは今でも私のお気に入りの時期だ。
だが、グレアムは彼のアーセナルでの監督としてのキャリア後半に、より華やかなローカッスルやリンパーを売却し、エレガントなポール・デイビスを干したりと攻撃陣を解体してしまったことで、リーグ戦では上位に食い込めず、カップ戦優勝を狙うだけのチームになってしまった。
私は何度か前期のグレアム時代とミケル・アルテタとの共通点を指摘してきた。今季は特にそれが顕著であるように思う。
アーセナルは攻撃も良いチームだが、更に裏口のドアを強固に締め、プレミアリーグ最高の守備的MFデクラン・ライスと共にプレミアリーグで最少失点を記録している。
ガブリエル、サリバ、ライスの3人はチームの守備の要として、非常に安定感がある。更に、守備だけではなく、監督はオープンプレイや美しいサッカーに拘りすぎることなく、どん欲にチームの強みであるセットプレイからのゴールも最大限狙っている。
アルテタは必要があれば、カイ・ハヴァーツをトップに据え、ロングボールを放り込むことを厭わない。
今でも2005年のマンチェスター・ユナイテッド戦で、ベルカンプがファンデルサールの股を抜いたシュートで点を決め、当時の実況のアンディ・グレイが『ここしかないというシュートを決めました』と叫んだのを覚えているが、これこそがまさにデニス・ベルカンプの神髄だった。
確かにベルカンプは素晴らしい技術と想像力溢れるプレイを得意としていたが、彼はそれを見せびらかすように用いることはなかった。単に、状況を打開するのに必要な時にそれを用いただけだ。
もし、その状況での最適な答えが単に全力で強烈なシュートを叩きこむことだった場合には、ベルカンプは特に美しいプレイなど追い求めず、それを遂行した。
🗣️ Luton Town manager Rob Edwards on Arsenal:
— DailyAFC (@DailyAFC) April 4, 2024
“They give NO chances away” #afc pic.twitter.com/CraSJQTRiP
ルートン戦後の監督のエドワーズの会見は素晴らしいものだと思ったが、彼の第一感は『アーセナルは全くチャンスをくれなかった』といいうものだった。アーセナルは相手に昔のような不必要なゴールを決めさせてしまうような隙を全く見せず、そういった意味では少々"退屈"だったかもしれない。
アーセナルが必要に応じてこのようなプレイを見せられるのは良いことだし、アーセナルはこの15年間常に少々の不安要素を抱えながらプレイし、結果的にそれが足を引っ張って来た。
また、ロブ・エドワーズは『タイトルレースを演じている3チームの中で最も万能なのがアーセナルだろう。彼らは必要に応じていかなる種類のサッカーもプレイできる。フィジカルなゲーム、走力戦、技術が求められる試合、それが何であろうと、アーセナルは対応してくるんだ』とも述べた。
サッカーにおいて重要なのは勝利することであり、手段は問わない。攻撃が上手い必要があり、相手を支配する必要はあるが、守備も重要だ。
私が思うに、直近のアーセナルで一時代を築いた二人の監督の一人は守備に重きを置きすぎ、もう一人は守備を過小評価しすぎた。
もちろん、グレアムのチームもベンゲルのチームも、全盛期には攻守両方を最高の形でこなしていたが、グレアムのチームは攻撃する勇気を捨てた際に崩壊し始め、ベンゲルのチームはボールを持っていない際の力強さを失ったときに不完全になってしまった。
今季ミケル・アルテタは昨季にはなかったより良いバランスを見つけ出している。これは、世界トップのチームが備えているのに近しいものだ。
その点では、特にアーセナルが退屈だと言われようとも、私としては全く気にはならない。
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コメント一覧
退屈なサッカーとはどういうものを言うのだろう。端的に言って、点が入りそうもない試合、すなわち歓喜と落胆、天国と地獄が訪れそうもない試合、そして、既視感である。強いチームが勝っているのに、意外性は無いし、だからこそ強いのである。
今季はGDが50を越える数字になりトップである。クリーンシートのみならず、ゴールするチーム。シティ戦が退屈な試合であり、他の試合も退屈であれば両者は色合いが違うだろう。
シティが点を取り合い、実力を出し切ってゴール数を競うコンペティションから離れたという錯覚に基づくものと、このチームにはどうせ勝つだろうという既視感の退屈さは違うが、その意味ではもはやアーセナルは多くの試合で、かつての退屈さを獲得しつつあるのである。しかし、今季はベスト8があり、恐らくしびれる最終節があるだろう。38における退屈さを問題とするか、シーズンの退屈さを問題とするか。長年待っていた扉が開かれるかもしれない。