アーセナルレジェンド紹介3 1930年代
1930年代のアーセナル黄金時代を築いた3人衆
デイビッド・ジャック 1929-1934
30年代のアーセナルのメインストライカーであったジャック・ランバートと並ぶこの時代のアーセナルの一番の得点源で、アーセナルに移籍したのが29歳と遅かったにもかかわらず、208試合で124ゴールと素晴らしい成績を上げています。
ポジションとしては、今の呼び方ならトップ下ということになるのでしょうか、インサイドFW、ベンゲル監督が用いた3-4-3のストライカーの一つ後ろのようなポジションですね。
ボルトンで140得点以上を挙げた当時の英国随一の得点力を誇るMFで、1923年に作られた旧ウェンブリースタジアムで歴史上最も最初に得点した選手でもあります。
彼の移籍金は当時の史上最高額を更新し10000£超えで、実績があるとはいえ、比較的高齢(今ほどサッカー選手の現役の期間は長くなかった)の選手にここまでの金額を支払うことに懐疑的な声も多く上がっていたそうです。
とはいえ、結果としてはアーセナルの黄金時代を築くのに貢献し、その価値のある獲得でした。1930/31シーズンには34得点を挙げています。
また、これでもこの移籍金は値切った末のものだったらしく、チャップマン監督が、ボルトンの会長とバーで交渉をした際に、自分はジントニックをジン抜きで飲み、またボルトンの会長のお酒は強めに出してくれるようウェイターに頼んだ。その結果、酔っぱらった会長から移籍を勝ち取った、という逸話が残っています。
アレックス・ジェイムズ 1929-1937
得点では上のデイビッド・ジャックとこの後に登場するクリフ・バスティンが圧倒的でしたが、当時のアーセナルのチャンスを作り出し続けたのがこのアレックス・ジェイムズでした。
スコットランド生まれで、デイビッド・ジャックほどではないものの8700£という答辞しては非常に高額の移籍金でプレストンからアーセナルに移籍した選手です。魔法のようなボールタッチと素晴らしいパスを持ち、そのボール捌きは当時を知る人はベルカンプのようだった、と振り返っています。
ロシツキー、カソルラ、エジルと今まで脈々と受け継がれるアーセナルのロマンチック・ファンタジスタの元祖といってもいい存在かもしれません。
得点数と違い、アシスト数は当時の正確な記録が残っていないため数は分かりませんが、30年代のアーセナルが毎年のように100点以上を記録していたことを考えると、恐らく彼が歴代最多アシスト記録を持っているのではないでしょうか。
クリフ・バスティン 1929-1946
今回紹介する三人の中ではこのバスティンが一番知名度が高いのではないでしょうか。イアン・ライトが更新するまで50年以上にわたり、アーセナルの選手としての最多得点記録を保持していた選手です。
現在はティエリ・アンリがイアン・ライトも抜きトップとなっているため、150という得点数は歴代3位ですが、出場試合数も396とアンリ以上、ウォルコットに一及ばずという数となっています。
アーセナルの選手が得点ランキングに食い込むたびに顔を見せる選手であり、アーセナル公式サイトによるアーセナルレジェンドの投票でも18位に選ばれています。
エクゼターで16歳でデビューしてすぐ、まだ17試合しかトップリーグでの経験がない段階で、たまたまエクゼターの対戦相手だったワトフォード視察に訪れていた当時の監督ハーバート・チャップマンにスカウトされ移籍、その後アーセナルで引退するという、いかにもアーセナルらしく、レジェンド感のあるキャリアを送った選手です。
その翌年17歳で即座にアーセナルデビューを果たすと、その後10年近く年間30出場以上の出場をキープ、アーセナルの黄金時代を代表する選手となりました。
ゴール前での落ち着きに定評があり、PKのキッカーも任されていたそうです。
また、何よりも異例だったのは彼が中央のストライカーではなくウイングだったことでしょう。
当時はウイングといえばクロスを放り込むもの、という概念が当たり前だった英国サッカー界に旋風を巻き起こしたチャップマン流の"ウイングが中に入る形"を体現したのがこのバスティンで、右利きながら左サイドでプレイし、パスに合わせて中に入り込みサイドの選手が得点する、という形は当時は衝撃的だったそうです。
特にアレックス・ジェームズのパスから多く点を決めた、と伝えられており、想像することしかできませんが、アジェームズとこのクリフ・バスティンのコンビはアレックス・ソングとファン・ペルシーのようなホットラインだったのでしょうか。
イングランド代表としても21試合に出場し、12ゴールと素晴らしい活躍を見せています。
キャリアの終盤は、また次回紹介するテッド・ドレイクが到着し、ジェームズがけがをしたこともあり、ウイングながらメインのクリエイターとしてプレイすることも多かったそうです。
とはいえ、チャンスを作りながらもシーズン20得点ペースで得点していたので、もしも20代後半での怪我がなければ、より長く活躍し、アンリと並ぶくらいの得点数を重ねていたかもしれませんね。
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ディスカッション
コメント一覧
攻撃に関しては、チャップマンがほとんど一人で作ってしまったのではないか。そう思わされました。サッカーの歴史はチャップマンVSその子孫みたいな感じでしょうか。世界の主流がW²逆足ウイングになった(システム云々はともかくポゼッションにこだわり過ぎている)今,343を英国寄りにして、アーセナルが甦らせることに意味がある…と思います。
チャップマンのバーの逸話面白いですね
100年前を想像するのは難しいけど、アーセナルを通すとスッと入ってくるのが不思議です
バスティンのスカウトとか、ジェイムズのプレーを知る人とか
今シーズン問題露呈したときベンゲルが、どんなクラブでも、特にアーセナルでは、特別な価値観に基づいて構築されており、クラブ内部の人々が注意を払う必要がある、それが最も重要なことっつって
やっぱり信頼関係だと思うんですよ
大切にしてほしいっす