イーサン・ヌワネリの前で開きつつある扉
鶏と卵はどちらが先か、という有名な話があるが、アーセナルのようなクラブでのユース選手の起用も少しそれに似ている。
監督やコーチが若手のためにファーストチームの居場所を生み出すのだろうか、それとも若手が自分で道を切り開くのだろうか?
もちろん、正確な回答はその両方、ということになるだろう。
アカデミーの選手がどのタイミングでファーストチームに台頭するか、というのは常に少しの運と状況に左右されるものだ。
かつてアーセン・ベンゲルはリーグ杯をU-21とトップチームを繋ぐような大会として活用していたし、より最近のアーセナルは主にヨーロッパリーグを若手に機会を与える場として活用していた。
だが、喜ばしいことではあるものの、アーセナルはヨーロッパリーグにはもう出場しておらず、これがイーサン・ヌワネリやマイルズ・ルイス=スケリーといった選手たちにとっては少し難しい状況を生み出している。
ファンは才能のある若手はひとりでにトップチームでいきなり結果を出し始めたような感覚に陥りがちだが、実際にはブカヨ・サカですらファーストチームでの最初の2得点はヨーロッパリーグとFA杯で挙げたものだし、2020年のFA杯決勝のチェルシー戦でサカが出場しなかったベンチ要因だったことを覚えている人は多くないだろう。
サカは近年のアーセナルでは最も急速にトップチームでの座を勝ち取ったアカデミー卒の選手だが、そのサカですら、プレミアリーグとユースチームの試合の間をつなぐような試合をこなすシーズンを経て、ファーストチームで起きた怪我により左サイドバックとして最終的にトップチームでのポジションを掴んだ。
同じように、ジャック・ウィルシャーも2008年に鮮烈なデビューを果たしたが、翌2009-2010年シーズンにはデビュー年ほどのプレイが見せられず、一度ボルトンにローンに出て経験を積む必要があった。
セスク・ファブレガスも2004-05シーズンに台頭する前に2003-04シーズンには5試合リーグ杯に出場しており、やはり一シーズンはファーストチーム見習のようなシーズンを経ている。アシュリー・コールも同様だ。
現在のアーセナルに話を戻すと、イーサン・ヌワネリは2年前にブレントフォード戦で15歳で史上最年少デビューを果たした。この時クラブはヌワネリと何とか契約延長にこぎつけようとトライしており、これが彼をデビューさせるという決定に影響を与えたのは間違いないだろう。
ユース選手との契約延長交渉は非常に困難で、監督は『我々は君のポジションの全員を売り払って君のためのポジションを空けよう』というわけにもいかない。プレミアリーグで勝ち点90以上を狙うようなチームであるならばなおさらだ。
だがそれでも、なんとかファーストチームへの道は閉ざされているわけではない、ということを若手に納得させる必要があるのだ。
ヌワネリに関して言うと、彼より序列が上であったかもしれない選手が今夏何人かアーセナルを去った。
スミスロウは売却されたし、ビエイラもポルトにローンで戻ることになった。アルテタはもし出来ることならスミスロウは手元に留めたかったのではないかと思われるが、彼が定期的な出場機会を必要としていたこと、またスカッド強化のための資金ねん出の兼ね合いも考慮したのだろう。
ただし、スミスロウに関しては代わりにミケル・メリーノを獲得したので、どちらかというとヌワネリの出場機会と直接関係がありそうなのはファビオ・ビエイラの移籍だろう。
報道によると、ビエイラの移籍はアーセナル側というよりもビエイラ本人の意向のようなので、アルテタとアーセナルが意図的にヌワネリのポジションを空けようとしたわけではないだろうが、ビエイラの移籍を許可した背景には、アルテタがヌワネリがある程度準備ができていると信頼していることがあったはずだ。
アルテタがチーム事情を無視してまで選手の希望を優先して移籍を許可するとは思えない。実際にビエイラの移籍から数週間がたった現在、アーセナルはメリーノとウーデゴールのケガにより中盤の攻撃的なオプションが非常に手薄になっている。
また、これもアーセナルファンの間では忘れられがちだが、ファブレガスがあのような若さで台頭したのは部分的には偶然のたまものだった。
これは必ずしもベンゲルの功績を過小評価しているわけではない。むしろその逆で、アルテタがハヴァーツをファーストチョイスのストライカーにコンバートして見せたように、監督にとっては幸運なアクシデントを活かし、つかみ取る能力も必要な素質なのだ。
実際には、2005年の夏にはアーセナルはファブレガスを信頼していたというより、ずっとパトリック・ヴィエラの代役としてジュリオ・バプティスタ獲得に動いていた。ヴィエラの穴を一人で埋めるのは容易ではなく、技術面をセスク・ファブレガスに任せ、もう一人そのフィジカル面を代替できる選手が必要ということだったのだろう。
だが現実はプラン通りにいかず、最終的には(短い間だったが)フラミニがその役を務めることとなった。フラミニがこのようにチームの主力へと躍り出ることも少し想定外の嬉しい偶然だったはずだが、もちろんそれを邪魔するようなことはベンゲルはしなかった。
このように、若手がトップチームに台頭するというのはしばしば戦略的なものではなく、まっすぐ伸びた道ではない。ベジェリンにとってのドビュッシーのケガがそうであったように、負傷が若手に扉を開くこともある。
サッカーとは時として予想不可能で、混とんとして、そして残酷なものだ。そしてこれがアカデミーの若手がトップチームで将来を切り開けるかどうかに影響を与える。
ヌワネリのように明らかに才能を備えた選手も忍耐強く環境が整うのを待ち、それが起きた際に準備ができているようにする必要がある。
誰も自分のために扉を開けてはくれないが、少し鍵が緩み始めるのが見えた時に、自分でその扉を蹴り開ける準備をしておかなくてはならないのだ。
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