コーナーキックの劇場性と心理戦を制するアーセナル
今から約2500年前に孫武が記した伝説の兵法書『孫子』には、このように記されている:
相手が冷静であれば乱せ。満ちていれば空腹にさせよ。安定しているなら動かせ。
孫子では、実際の戦いのテクニックなどはほとんど書かれておらず、いかに心理戦を駆使して相手の兵士たちに疑いの念を抱かせるかに焦点が当てられている。
10月にThe Athleticがいかにアーセナルがコーナーキックで勝利を収めているかを解説しているポッドキャストを出していたが、ここに書かれている通り、現代のセットピースは局所的なフィジカルでの選手たちの1対1での勝利だけでなく、全体のデザインと戦略で決まる。
このポッドキャストの中で、元マンチェスター・シティのDFのネダム・オヌオハがアーセナルのコーナーからのルーティーンについて「デカい選手たちがファーポスト側で一列に並ぶ。『何か決まった戦術があるのだろう』と思う。そして相手はそれを知っているが我々はそれを知らない。」と語っていたが、これはどちらかというと、それぞれのパターンについてではなく、よりこれらが相手に心理面で与える影響に関してだった。
孫武の言葉を借りれば『計略は暗闇の中にあるかのように、相手に悟られるな。そしていざ動くときはいかづちのように襲撃せよ』ということだ。
確かにアーセナルのコーナーキックからの得点が増えているのはアルテタのサッカーのどのような要素も突き詰めよう、という性格、そしてニコラス・ジョヴェルによる賢いデザインの影響もあるだろうが、心理面も多いな影響を与えているはずだ。
今やアーセナルのセットプレイの強さは誰もが知っており、アーセナルがコーナーキックに臨むときはオーラがある。
ブロック、おとりのラン、キックの精度、ゴールエリア内に選手を集めてGKを動きにくくしたりと、細かな戦術的要素が多くあるが、一方で、これらのアクションがまるで舞いのように同時進行で行われる様にはある種のドラマ性がある。
アーセナルがコーナーキックを中に入れるまでの時間が長いことは、普段大してアーセナルに注意を払っていない解説者(ギャリー・ネビル)にまで知られ始めてきている。
これもアーセナルの舞いの一部なのだ。相手の心に疑いと懸念を作り出し、一瞬集中力が途切れるところを待つ。もしかすると彼らはガブリエルの頭がボールを捉えるところが頭に浮かび、恐れることすらあるかもしれない。
アーセナルのコーナー一つ一つが今やイベント、楽しみなパフォーマンスだ。もしこれがアメリカンスポーツの試合であれば、サカがコーナーフラッグに向けて歩くたびにスタジアム中のアーセナルファンが両手を叩きながら『ウィーウィルロックユー』を熱唱したことだろう。
そして、アーセナルのコーナーの劇場性を最も良く象徴しているのがベン・ホワイトだ。彼のペナルティエリア内でのプレイは審判さえもいらつかせ、彼の靴紐とGKのくすぐりはまるでプレミアリーグでモラルはあざーどのように扱われた。
なんとこれにたいしてPGMOLは通告までだしたが、アーセナルとホワイトはこれに対して適応し、例えばトッテナム戦ではホワイトは相手GKヴィカーリオをマークすることはせず、逆にジェームズ・マディソンを散歩に連れだした。
アーセナルのコーナーキックへの恐怖も各チームの間で広がり始めており、例えば9月のノースロンドンダービーでは、サカがボールを放り込む間、ピッチを直視することができないトッテナムファンの姿が下の動画に収められている。
キックの質や慎重なプランニング、そして心理戦の活用を通してアーセナルはセットプレイの際にオーラを漂わせるチームになった。これは、かつてのファーガソンのマンチェスター・ユナイテッドの雰囲気がレフェリーがペナルティエリア内でファウルがあってもPKを与えづらくてなってしまった時と少し似ている。
相手をかき乱し、ゆっくりとボールを入れるとき、相手の頭に浮かぶのはにやりと笑うベン・ホワイトと誰よりも高く宙を舞い、得点後コーナーフラッグに走るガブリエルの姿だろう。まるで映画のワンシーンのようだ。
孫武は『究極の戦のコツは相手を戦わずして抑え込むことだ。』とも書いている。もちろんアーセナルのコーナーでは実際にフィジカルの勝負が多く発生する。勇気、力強さ、戦略、正しい所に送り届けられるボールは重要だ。
だが、それらすべてを支えるかのように、今のアーセナルのコーナーキックにはまるで劇場での公演のような雰囲気が漂っている。
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孫子の兵法とは言い得て妙である。セットプレーにおいてはキックの力、すなわちボールの高さ、スピード、軌道、落下点と、ヘッダーの高さ、勢い、空間、姿勢がピタリと合わねばならない。この確率をどう上げるのか、一つは正確性を、特にキッカーにおいてあげる事である。ニココーチは、戦術において大家とみなされるが、実はキッカー指導の天才かもしれない、など、めくるページがあったら面白いのだが。
もう一つは、ボールが若干アバウトでも、ヘッダーの確率を上げる事である。それは合わせられる余裕、という事でもあるかもしれないし、邪魔者がいない、という事でもあろう。しかし、戦術的に練り上げられたものほど、遂行は困難である。できるだけミッションはシンプルである必要があるし、複雑なほど齟齬が生じるものである。
可能性として面白いのは、ニココーチが孫武ではなく今孔明ということ。あらゆる裏をかく天才という事である。彼はすべての国にとって「迷惑極まりない」人だった軍師のように、すべてのチームにとってネビルの言う通りの存在になりつつある。彼がとるのは、マンマークならそれを利用し、あるいはガブリエルを徹底マーク、すると他の選手がなおざりになるので、そうはしない、という相手のセオリーの裏をかいてガブリエルに決めさせる、といった横綱相撲かもしれない。まわしを取りに来るならその力を利用し、押そうという力を吸収して投げを打つ。
彼が今孔明なら、もう見ているか、見られるかもしれない。空城の計である。その存在をして、なにか罠があるに違いない、と攻め込む(この場合は守り過ぎる)のをためらうのである。実際には孔明一人、城はもぬけの殻である。
もし、終盤、天王山になるかもしれないレッズにおいて、あまりにもノーマルなCKが決まれば、我々は「死せる孔明生ける仲達を走らす」という圧倒的存在を手に入れるかもしれない。セットプレーの度に、芝生の上で多くの会話を彼らはし始めているが、それが伏線であり、隠し玉でないとは誰も言い切れないのだから。