プレミアリーグ延期の決定は過ちであり、サッカーファンへのリスペクトを欠いている
プレミアリーグは以下のような声明を発表し、今週末の試合の延期を決めた。
エリザベス女王の非凡なる人生と国への貢献に敬意を表するため、今週末のプレミアリーグの試合は月曜夜のものも含め、延期とします。
これはある種センシティブなトピックであるということは理解しているつもりだが、それでもプレミアリーグのこの決断は過ちだったと思う。
もしビジネスや生活の全てがストップするのであれば、それはそれで仕方ないが、そうではないのだ。クリケットは開催されるし、ラグビーも通常通り行われる。競馬もそうだし、その他のエンターテイメントもそうだ。当然生活は続き、仕事も休みにはならない。しかしサッカーだけは止まる。
全英ラグビー協会の発表の方が、遥かに理にかなっているように見える。
全英ラグビー協会は今週末の試合を開催し、人々やチームが揃ってエリザベス女王陛下への追悼を表明する場とすることを決めました。ラグビーのその主要な意義は人々を繋げるものであり、それは素晴らしい時にも、悲しい時にも、同様に言えることであります。
なぜサッカーは同じようにできなかったのだろうか?
黙とう。喪章。国歌をスタジアムで流すことも出来たかもしれない。
だが代わりに、プレミアリーグは全ての延期を決めた。既にW杯でスケジュールが一杯になっており、非常に奇妙なシーズンとなっている今季にだ。
女王へのリスペクトを示したいファンで満員になったスタジアムの代わりに、会場は空虚な週末を送ることになる。
加えて、子供のサッカーの試合なども含め、アマチュアレベルでのサッカーの試合もすべて中止するというのはあまりに非論理的過ぎる。
政府などから警備上の問題で試合を中止する必要がある、という通達はなかったわけだし、これは全てが継続する中で、プレミアリーグ自体が決めたものだ。
それが何故か、と問われればやはりイギリス中のサッカーというスポーツ、サッカーファンへの見方が理由だろうと答えるしかないだろう。
つい最近のことだが、ロックダウン中に何故かサッカー選手は批判の対象となり、もっと医療従事者のための金銭的なサポートをすべきだ、などといった主張が色々な場で展開されていた。
本来きちんとしたヘルスケアを提供するのは紛れもなく政府の仕事であるにもかかわらずだ。サッカー選手は収入が多く、かつ一般への露出も多いため簡単なターゲットとなった。
だが、そのようなことを述べた政治家たちは、彼らの友人の銀行、保険会社、納税回避に躍起になる企業、その他サッカー選手と同じくらい収入を得ている人々に対して、一言でも彼らはどん欲だと口にしただろうか?
以下のヘンリー・ウィンターのツイートは非常に示唆に富んでいた
— Henry Winter (@henrywinter) September 10, 2022
恐らくだが、これは上流階級の人々、サッカーに携わる人々の間ですら、サッカーファンが見下されている証拠の一つだろう(訳注: 上のツイート内で黙とうの最中に誰か一人でもそれを破って叫ぶファンなどが居れば、タブロイド紙のトップを飾ってしまう、とリーグは考えたのだろう、といった旨の一節がある)。
だが一方で、サッカーファンに対するリスペクトはどうなのだ?
既に試合のチケットを買い、移動する手はずを整えた人々。
また、プレミアリーグは、自らのブランドを拡大しようとして、リーグをグローバルな商品にしてしまったことを思い出す必要もあるだろう。私のもとには、今週末アーセナルの試合を海外から観戦に訪れるファンからの嘆きのメッセージが数えきれないほど届いている。
彼らは人生で一度の経験の機会を失い、そして巨額のお金も失うことになる。そしてそれはアーセナル以外のチームのファンにとっても同様だろう。
今回の延期は彼らへのリスペクを欠いている。
そして、サッカーの試合を中心に生計を立てる人々もいる。バー、レストランと、屋台、クラブから日雇い/パートタイムで雇われる人々。彼らは収入のあてを失い困っていることだろう。
今の時代には以前よりもさらに生活は厳しくなっていることを考えればなおさらだ。
そして試合にむけて注文されたが、無駄になる食べ物だって多くあるだろう。
私が思うに、既に述べた通り試合延期の決定は過ちだったと思うし、そもそも、サッカーの試合をキャンセルすることがリスペクトの表現方法であるという考え自体が間違っていると思う。
同情や団結、リスペクトを示す方法は多くあるし、それらの感情を示し、同時にサッカーをプレイすることだってできるはずだ。
サッカーのコミュニティを上手く活用し、非常にパワフルな瞬間を生み出すことが出来るが、それは試合を行いながらでもできるはずだ。
ファンはゴールを祝い、90分を楽しむかもしれないが、それは彼らが感じ、表明するリスペクトや共感、悲嘆の感情を全く弱めはしない。
サッカー界の上の人物たちが考えているように、サッカーの試合のキャンセルは女王への敬意を表す者にはなりえない。代わりに、単純に彼らが抱くサッカーファンへの蔑視を示し、彼らへのリスペクトを欠くだけだ。
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ディスカッション
コメント一覧
当然それぞれの立場でモノを言う訳ですよね
当事者だってたいへんな時期に社会経済活動を止めて欲しくはないでしょう
国民に寄り添ってきたかたならなおさらです
それでもあえて決断をしたのだから
こちら側からの気持ちとして感謝とか寄り添う時間にしてあげたいね、シンプルなことだと思いますが
その簡単なことこそ難しくなってる
とかく簡単に勝手に持ち上げては簡単に下げて、ちょっとしたことで大騒ぎすることで
ちょっとしたことでつまずいて高転びする
でもいざとなったらまとまれるんです
民主主義における君主というものが、ただただ国民の心に寄り添える存在ならばこれからも必要とされるだろうし
民主主義はお互いのモラルがなければ成り立たない訳ですから
日本も同じ立憲君主制、というかモデルにして維新した訳で人事では無い。
例えば、上皇が崩御された時にどんな自粛、同調圧力があるのか。そして、時に過剰反応とも言える喪服スタイルでの思考停止。
「延期、やらなかったらバカ」とはリーグ運営執行で言う人はいなかったろうが、そういう思考的飛躍は往々にして起こるね。島国案件?