セレブレーション警察とアーセナルの一体感に関して
2006年の10月、アーセナルはエミレーツスタジアムにワトフォードを迎えた。晩秋に差し掛かったこの日、ガナーズは3-0で悠々とした勝利を収めた。この日はアーセン・ベンゲルのアーセナル監督就任10周年の記念式典があり、スタジアムには『もう10年!もう10年!』の声が響いてた。
しかし、そこからの10年間で少しずつ彼への信頼を失うファンも増えていった(もちろん、最後まで信頼を失わなかった者も多く居た。)
なぜこのような話を持ち出したかというと、私の記憶にある限り、これがアーセナルファンが本当の意味で一体だったと感じられた最後の一日だったからだ。
そこからはベンゲル時代終盤になるにつれて監督の去就を巡ってファンの意見は割れ、スタジアムの空気は良くないものになっていった。アウェイ遠征先でアーセナルファンは仲たがいするようになったどころか、ベンゲル最終年にはそれすら通り越してもう無気力になってしまっていた。
その後任のウナイ・エメリ率いるアーセナルもファンをまとめるのには失敗してしまった。
しかし、少し時間はかかったものの、ミケル・アルテタはそれを成し遂げたように見える。
パンデミック時の無観客試合期間を経て、最近のエミレーツスタジアムを訪れる観衆は若返りつつあり、より若者が増えていることは以前も書いたが、チームと同じように、スタジアムの空気もよりフレッシュになっている。
今ほどアーセナルが好調でなかった時期でも、サポーターとチームの絆が少しずつ深まりつつあるのが感じられた。
We’ve got super Mik Artetaaaaaa pic.twitter.com/CZaftiRnPi
— Tim Stillman (@Stillberto) March 19, 2022
そして、ついに今では、アーセナルのホームゲームでもミケル・アルテタを称えるチャントが歌われるまでになった。シーズンチケットを保持しているファンが居ないクロックエンドの下側の席、アウェイ席のすぐ隣のよりチケットの価格が安いエリアがエミレーツスタジアムで若いファンの中心地となっており、ここから新しい空気、そして新たなチャントが生まれている。
Absolute scenes at the Emirates today, this team is fucking incredible 😍🧨😭#ARSLEI #arsenal #AFC #gooners pic.twitter.com/d41IEL6RtM
— Lee (@JoshuaMentoza) March 13, 2022
これらのファクターと、若く新たな息吹が吹き込まれたチームが合わさり、ここ15年間、エミレーツスタジアムが建てられて以来感じられていなかったような一体感を生み出しているのだ。
かつての雰囲気を取り戻すのに15年かかってしまったのは、ハイバリーからの移転と無関係ではないだろう。エミレーツにもハイバリーを懐かしむファンは多く居たし、かつてとは席が異なるものになり、知り合いと離れることとなってしまったファンもいた。
だが、既にハイバリー時代を知らないファンも多く現れている。
とはいえ、今の良い空気の最大の要因はチームがピッチ上で見せるパフォーマンスと振る舞いだろう。
ルーベン・ネヴェス、そしてアシュリー・ヤングがそれぞれウルブズとアストン・ヴィラ相手の勝利を祝うアーセナルを揶揄するようなコメントを残したが、アーセナルの選手たちとファンがリーグ中位のイングランド中部のクラブ相手に勝利をしたことだけを喜んでいるのだと考えたのだとしたら、それは勘違いというものだ。
彼らはこの試合でたまたま対戦相手だっただけで、我々は、過去との決別、そしてもう何年もアーセナルファンが経験していなかったような明るい未来を祝っていたのだ。
直近の過去の負担に縛られていない選手たちの姿は非常に新鮮だった。
ウルブズ相手にアーセナルは10人で泥臭く守り切って勝利を収めたが、これは最近アーセナルではあまり見なかった光景だ。ヴィラ戦の終盤のフリーキックを守りきるためにアーセナルの選手たちは自陣に集合した。緊張感のある最後の一場面だった。恐らく、試合のラストプレーがレノのロングキックだったとしたら、恐らくセレブレーションの様子は少し異なったものになっていただろう。
もちろん、セレブレーションを控えたり謝罪する必要など全くないのだが。選手たちとファンが試合の勝利を祝うべきではないという主張は何とも馬鹿げている。
では一体我々は何を祝えば良いというのだろう?得点をしても、まだ勝利したわけではなく、その後失点する可能性があるので祝うべきではないとでもいうのだろうか?シーズン終了後に順位が確定するまでセレブレーションを控えるべきだとでも?その数年後に離婚する可能性もなくはないので結婚式では乾杯は控えるべきか?
アーセナルファンが最近見せている『セレブレーション』は必ずしも何かを成し遂げ、結果を出したことを祝っているわけではない。むしろ、アーセナルが正しい方向に進んでいるという確信を味わい、一体感を楽しんでいるのだ。
これは十分にアーセナルファンにとって祝う価値のあることで、今のアーセナルが明日から世界トップレベルのチームとして戦える、と言いたいわけではない。
もちろん、我々以外の誰かがセレブレーションに関してどう思うかは大した問題ではないのだが。彼らには言わせておけばよい。我々にとっては何を祝っているのかは明らかなのだから。
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ディスカッション
コメント一覧
少し前まで若いチームは仲間が傷つけられてもあまり感情的になれなかった
おそらく表現の仕方の問題で、セレブレーション含めて
皆でもっともっと感情的にアピールしていこうということなのではないでしょうか
0708若いチームは3月まで首位争いしました
素晴らしい瞬間はいくつもあったし主観的な部分と何を求めるかはひとそれぞれで
フットボールはそれ自体がひとを惹き付けるとベンゲルは語りました
何かを与えてもらってることだけは確かです
大変興味深い内容です。
多少、私の意見を。レノの人格の高潔さは見せかけではない。だからこそガブリエウは即座に抱き着いた。腹を立てた人は多分それを理解したのだと思う。「そんな奴いるのか」彼らの言葉はある意味理解できる。人種問題。UFOを見て「俺は信じない」と言ってるに近いが、人間は屡々そうした心理になる。自己保全の為の思考停止…それが戦争を呼ぶ。
おそらく今、最も重要なのは偽善と善の見分け方であり、個人的に大いに励まされました。