エミ・マルティネスの物語

語ってみた

その少年が英国の地を踏んだのは今から遡ること10年前、2010年の夏のことだった。

アルゼンチン東部、港町のマル・デル・プラタに生まれたエミはブエノスアイレスに本拠地を置くインディペンディエンテのユースチームに所属していた。そしてそのままトップチームに昇格するものだと家族も彼自身も思っていた。

だがそんな時、彼のもとに望外のオファーが舞い込む。数年前には無敗優勝を成し遂げた世界屈指のビッグクラブであるアーセナルがマルティネスをチームに迎えたいというものだった。

これを受け入れれば、まだ17歳で右も左もわからないまま、地球の裏側のロンドンで暮らさなければならなくなる。

当時はまだインターネットを介した電話やビデオ通話も一般的ではなく、イギリスから簡単に故郷の家族や友人と連絡を取ることもできない。家族は行かないでくれと泣いた。

しかし同時に、エミは若いながら、自らが置かれた状況を理解していた。自分こそが家族の希望なのだ。両親が生活費を工面できずに苦しい思いをしていることも知っていたし、夜中に父が泣いているのを目にしたこともあった。

こんなに早くヨーロッパに出る必要はないかもしれない。だが、このチャンスを断れば、まだ国内でも実績のない彼に、またすぐビッグクラブからオファーが来るとは限らない。17歳のエミ・マルティネスは家族のため、夢をつかむため、故郷のアルゼンチンを離れることを決めたのだった。

エミ・マルティネスの故郷、マル・デル・プラタの街

アーセナルでの道のりは平たんなものではなかった。当然最初はユースチームからのスタートとなる。2年後、GK不足の緊急事態に陥ったオックスフォード・ユナイテッドへのレンタル移籍を経てアーセナルのトップチームに正式に昇格するも、控えどころか第3GKにすらなれない日々が続いた。

皮肉なことに、当時のアーセナルの正GKはボイチェフ・シュチェスニー。ほぼ同世代と言ってもよく、たった二歳しか年齢の変わらない彼は、20歳からアーセナルのゴールマウスを既に任されていた。

シュチェスニーがプレミアリーグで正GKを務める裏側で、2012年にリーグカップでマルティネスはアーセナルでのデビューを果たしたが、デビュー後の2試合目で下位のレディング相手になんと5失点を喫してしまう。トップチームでのプレッシャーにのまれてしまったのかもしれない。

シンプルなミスもあり、クラブにマルティネスを呼んでくれた張本人である普段は温厚なアーセン・ベンゲルでさえもこの試合中には苛立ちを露わにした。

この試合でのパフォーマンスが直接影響したのかどうかは知る由もないが、このシーズン、若きエミにこれ以上チャンスは与えられず、ローンで各クラブを回る日々が始まった。

アーセナルが0-4から逆転し、7-5で終わったレディング戦

シェフィールド・ウェンズデー、ロゼレム、ウォルバーハンプトン。英国下位リーグ所属のクラブでのプレイが続いたが、そこでも思うような結果は残せなかった。

アーセナルでは散発的に控えを任される機会がある程度で、在籍歴でいえば比較的古参の部類に入りつつあったエミ・マルティネスだったが、基本的にアーセナルファンの前に姿を見せない選手となっていった。

この時点で既にシュチェスニーは既にアーセナルを去っていた。だが、やはりGKというのはミスが許されない苛酷なポジションで、経験がものをいう。アーセナルはユース選手を昇格させるのではなく、オスピナ、チェフ、レノと代表クラスの有望なGKの獲得を続け、控えのGKのポジションもファビアンスキー、ヴィヴィアーノ、マンノーネといったマルティネス以外の選手が務めることも多かった。

時間ばかりが過ぎる中、2017/18シーズン、レンタル先がついにイングランドではなくスペインのヘタフェとなった。国内のサッカーに慣れる必要はもうないとの判断か、売却を見据えてスペインクラブ向けのショーウインドウに並べられたという事か。

否が応にもアーセナルでのキャリアの終わりが脳裏をちらつく。

しかも、再起をかけて臨んだヘタフェでのシーズンでもポジションを掴めず、1年を通してたった4試合の出場に終わってしまう。だが今思い返せば、これはサッカーの神様がエミ・マルティネスに最後に与えたチャンスだったのかもしれない。

この時すでにエミは26歳になっていたが、幸か不幸か、イングランド下位リーグでの毎年10試合程度の出場経験しかなく、ヘタフェでポジションを掴めなかった選手に好条件のオファーを出すクラブはなかった。

アーセナルとの契約はまだ残っているが、ファーストチームではチェフとレノが正GKの座を目指してしのぎを削っている。第3GKにはカップ戦ですらも出番はない。

そして、そのまま18/19シーズンも当然のように、全く出場機会もないまま冬に再びローンに出されることになる。何度も見慣れた光景だ。この時点でアーセナル放出は既定路線に思われた。

アーセナルファンの間ですらも、マルティネスはまたローンなのか、といったくらいで大きな話題にもならなかった。

結果的にはこれが6度のローンを経験したマルティネスにとって最後のローン移籍ということになるわけなのだが、その行先はなんという運命の悪戯か、かつて自身のキャリアの分岐点となった試合での対戦相手レディングだった。

レディングはイングランド2部のクラブとはいえ、1年後に去ることが決まっている選手が正GKの座を勝ち取るのがいかに難しいかはエミ自身が身に染みてよくわかっている。特に冬の加入であればなおさらだ。

しかし、2019年1月からの数か月の間に、レディングがまたしてもエミ・マルティネスのキャリアの軌道を大きく変えた。今回はポジティブな方向に。

移籍後すぐ、1月29日のボルトン戦でデビューを果たし、まず正GKに定着するという第一関門は突破した。そして、その後も一度掴んだその座を離すことなく、マルティネスは圧倒的な活躍を見せ続けた。

アストン・ヴィラ戦ではマンオブザマッチの活躍を見せ、連日好セーブを連発したマルティネスはすぐにレディングファンのお気に入りとなった。シーズン後半はエミ・マルティネスこそが救世主だったと彼らは口を揃える。

ローン先のレディングで獅子奮迅の活躍を見せるマルティネス

もちろんこれはあくまでチャンピオンシップでの活躍に過ぎなかったが、これに目を留めた人物がレディングファン以外にももう一人いた。当時のアーセナル監督、ウナイ・エメリだ。

年齢もあり、マルティネス自身もファーストチョイスとして継続したプレイ機会を得る必要があると焦りを感じていたが、エメリはレディングで出色の活躍を見せてアーセナルに帰還したマルティネスにチェフの引退に伴って空いた第2GKの座を約束した。

第3GKはほとんど出番はないが、第2GKであれば、リーグカップ、FA杯、ヨーロッパリーグといったカップ戦での出場機会がある。機会さえあれば、ロンドンの地を初めて訪れた時夢に見たアーセナルでの正GKの座を争うことも不可能ではない。

そして、その約束通り、アーセナルは新たな控えGKを獲得することはなく、19/20シーズン、彼にはカップ戦での出場機会が与えられた。この10年間でアーセナルで14試合しか出場したことがなかったマルティネスが、ついにアーセナルで役割を与えられたのだ。

プレミアリーグではないとはいえ、継続してアーセナルで出場機会が与えられるのはこれが初めてのことだった。そもそも、ローン先での成績を含めても、ファーストチームでの出場試合数は直近のレディングでの1シーズン18試合出場というのが最多だ。

この期間中、寡黙な努力家は、ただひたすら牙を研ぎ、一筋の光を待っていた。そして2020年、10年越しにそのチャンスが訪れる。

ヨーロッパリーグやFA杯で堅実なパフォーマンスを見せ、ウナイ・エメリの見立てが間違っていなかったことを証明したマルティネスだったが、そんな中ファーストチョイスのレノがブライトン戦でモペイのタックルを受け、大怪我に見舞われたのだ。

もちろんレノとメイシー、エミの3人はアーセナルのGKとして親しい仲であり、強い絆で結ばれている。レノの怪我は非常にショッキングな出来事だった。

しかし、これによりエミ・マルティネスがアーセナルの正GKとしてついにプレミアリーグでプレイすることになる。プレミアリーグ出場は2017年以来3年ぶりで、過去10年間を全て合計してもたったの7試合目だった。

結果としてそこまで重傷には至らなかったが、当初レノは半年以上の長期離脱になるのではないか、と見込まれており、これを受けてアーセナルファンの間では夏に新たにGKを獲得しなければならない、という声も上がった。

もちろんこの時点でファンがマルティネスに懐疑的だったのも無理はない話で、彼自身の問題というよりも、ここまでのレノの活躍があまりに凄まじすぎたため、トップレベルでの経験がほとんどないマルティネスに彼の穴が埋められるだろうと考えた者はほとんどいなかった。

だが、エミ・マルティネス本人だけは違った。10年間チャンスを待ち続けた男は突如訪れた機会にも慌てることはなく、トレードマークの冷静さをもって、ついに待ちわびたアーセナルの正GKとして躍動を始めた。

手に磁石でも入っているかのようなキャッチング力、長身を生かしたクロス対応、高精度のロングパスにレノに勝るとも劣らないスーパーセーブの数々。ビルドアップ時のショートパスをつなぐ際の冷静沈着さはアルテタの新しいアーセナルを象徴するようだった。

シーズン終盤にかけて、アーセナルファンはレノが離脱してもチーム力は全く衰えることがないということを思い知らされたどころか、むしろ、攻撃面での貢献を含めればアーセナルで第1GKの座も任せられるのではないかという声さえも上がりはじめた。

アルテタ率いるチームの調子が上向くのに伴って、リバプールやマンチェスター・シティといった強敵の撃破にも一役買った。

特に、リバプール戦での最終盤にマルティネスが見せたセーブは、近年のアーセナルのGKのセーブの中でも史上最高クラスのもので、英国中に鮮烈な印象を与えたのは記憶に新しい。

リバプール戦のスーパーセーブ

そして、ついにその時は訪れる。8月1日、FA杯決勝、舞台はウェンブリースタジアム、対戦相手は同じロンドンのライバル、チェルシー。

近年のアーセナルはFA杯では絶好調で、クラブとしては何度も優勝を経験していたが、エミ・マルティネスが決勝のピッチに立っていたのは当然これが初めてだった。

結果は2-1でアーセナルの勝利。ついにアルゼンチンの港町出身のおとなしい少年エミが愛するクラブで正GKとしてタイトルを勝ち取った瞬間だった。

彼の試合後の涙が、このトロフィーの彼にとっての意味を如実に表している。

アーセナルのユースアカデミーからは何人ものスーパースターが輩出されたが、彼らは皆、10代のころから将来を有望視された選手たちだった。

ゆっくりと、10年間の時間をかけてスターの座に上り詰めた選手などいままでいただろうか、そしてそんな選手が今後再び現れるころはあるだろうか。ようやくトップチームで台頭するころには、単純なチーム在籍歴で言えば、エジルやベジェリンよりも前からチームに帯同するアーセナル最古参の選手となっていた。

この数か月間、マルティネスがアーセナルを救い続け、紛れもないワールドクラスのスーパースターだったことを疑う人は誰もいないだろう。

涙するエミ・マルティネス

しかし、出会いに別れはつきものだし、どんなにロマンチックな物語もいずれは終わりを迎える。

この夏、エミ・マルティネスはアーセナルを去る決断をした。彼には、愛するクラブでタイトルを獲得するというつい先日達成したばかりの夢に加えてもう一つ、アルゼンチン代表で正GKの座を勝ち取るという夢があるからだ。

最後のインタビューで『クラブのためにすべてを捧げたら、彼らはその決断を尊重してくれるんだ』とクラブへの感謝を述べていたのも謙虚なマルティネスらしい。

今の気持ちは、美しい物語を読み終えた後と少し似ている。

もちろん終わりを迎えてしまった寂しさや切なさはあるが、本人が口にしている通り、彼はクラブに全てを捧げ、アーセナルでの物語の最終章で、この10年で最大の窮地に陥ったクラブを救い、タイトルまでもたらした。

アーセナルでの時間は終わりを迎えたかもしれないが、ようやく表舞台で輝き始めたGKエミ・マルティネスのストーリーはまだ始まったばかりだ。

であるならば、マルティネスが今後何年にもわたって、アーセナルのゴールマウスを守り続ける、一瞬アーセナルファンの心に浮かんだそんな美しい光景は密やかに裡に留め、常にアーセナルの一員であったマルティネスの新たな挑戦をあたたかく愛をもって応援し、ロンドンから送り出してあげたいと思う。

遠い南米からひとりやってきた少年がアーセナルユースで研鑽を積み、10年かけてファーストチームでポジションを掴み、クラブを栄光へと導く。

アーセナル史上最高のシンデレラストーリーを我々に見せてくれたエミリアーノ・マルティネスに心からの感謝を。

Gracias, Emi.

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Posted by gern3137