アーセナルレジェンド紹介5 ボブ・ウィルソン&ジョージ・アームストロング

歴史レジェンド

1940~50年代は戦争の影響もあり、レジェンドと呼べるような選手があまりいませんので少し時代を先に進めて60-70年代のアーセナルレジェンドを紹介していきます!ちなみに、このころアーセナルはレッジ・ルイスが引退した1953年以降不調に陥り、1971年に優勝するまでは10位台をうろついたりと不調の時期を過ごしています。

ボブ・ウィルソン 1963-1974

ウィルソンは引退後もアーセナルでチャリティ活動を行っていたので、ご存知の方も多いかと思いますが、60年代から70年代に活躍した名GKで、シーマン、ジャック・ケルシー、パット・ジェニングスに次いでアーセナルのGK史上4番目の試合出場数となる327試合に出場しています。

スコットランド生まれで、若いころから才能は認められていたが、父親がサッカー選手などという職業は若者にはダメだ、と反対したためマンチェスター・ユナイテッドと契約できずにラフバラー大学で教育免許を取得します。

ただ、同時にウォルバーハンプトンのサブチームでサッカーをプレイするのは続けており、それに目を止めたアーセナルが引き抜きに成功、7500£で移籍し、アマチュアの選手としては史上初の移籍金が発生した取引となりました。

スタメンを奪取するのには数年かかったものの、60年代後半から70年代初頭にかけてアーセナルの正GKとして君臨、タイトルも経験しました。

その後はBBCなどで解説を務めながら、アーセナルのGKコーチを28年間務め、なんと40年間にわたってアーセナルで働いたことになります。

また、娘を若くしてなくしたことを契機にチャリティ活動も多く行っています。アーセン・ベンゲル監督と親交が深かったといわれ、娘を亡くした際に立ち直るきっかけを作ってくれた恩人で、ベンゲル監督が退任を発表した際には泣き崩れたのだとか。

ジョージ・アームストロング 1961-1977

アームストロングはイングランド北部の出身ですが、ニューカッスルのユースチームでコーチ陣と対立し、アーセナルに移籍、17歳でデビューを果たします。その後16年間にわたってコンスタントに活躍し、オリアリーとトニー・アダムズに次ぐ621試合出場というとんでもない記録を残しています。

ジョーディーのあだ名で知られるアームストロング、は得点こそそこまで多くなかったものの、素晴らしいクロス精度で知られた疲れ知らずのウイングで、アーセナルを止めるにはアームストロングを止めなければならない、と言われていたほどでした。

シーズンによっては、クラブの半分以上の得点に関わった年もあったそうです。1970年には年間最優秀選手にも選ばれました。

当時としては珍しく、小柄で華奢、という近年のアーセナルを彷彿とさせるような選手で、そのせいかイングランド代表監督からは評価されず(そもそも当時のイングランド代表にはウイングの居場所がなかった)、アーセナルで毎試合30試合以上コンスタントに出場し続けたにもかかわらず、一度もイングランド代表に選出されることはありませんでした。

他の選手たちの紹介はこちらから!

関連記事(広告含む)

Posted by gern3137