アーセナルレジェンド紹介4 テッド・ドレイク&レッジ・ルイス
テッド・ドレイク 1934-39
先日紹介した他の30年代の選手たちと比べると、アーセナル加入が少し遅れたため、その分第二次世界大戦の影響をもろに受け、活躍する時期は短かったですが、ジミー・ブレインやクリフ・バスティンがサイドや一列前でプレイすることも多かった一方で、このドレイクこそが押しも押されぬエースストライカーを務めていました。
アーセナル公式サイトによると、バスティンの華やかさが観衆を魅了した一方で、ドレイクは相手チームに恐怖を叩き込んだ、のだそうです。
5シーズンで挙げた得点は136、なんと1934/35シーズンから5季連続で得点王に輝いています。特に34/35シーズンは42得点を挙げています。
また、衝撃的だったのはその翌年の12月アストン・ヴィラ戦で、この試合はアーセナルが7-1で勝利したのですが、この7得点を全て決めたのがドレイクで、これは未だにイギリスサッカー1部リーグ史上最多の記録です。
1940年からは公式に記録が残らない戦時モードでのサッカーリーグとなってしまいましたので、彼のキャリアは1939年で終了ということになってしまいましたが、182試合で136得点というのは一試合当たり0.75得点という計算で、これはアーセナル史上最高の記録です。(アンリでも一試合当たり0.6点強)
パワフルでスピーディ、かつ恐れ知らずの英国サッカーを体現するような選手と評され、古き良き時代の典型的なストライカーだったようです。
また、選手としては引退した後も、サッカー界を離れることはなく、監督をはじめ、1955年にはチェルシーを史上初のリーグ優勝に導いています。モウリーニョ監督就任以前のチェルシーがリーグ優勝を果たしたのはこの年のみで、その後50年チェルシーは待たなくてはなりませんでした。
また、これによりドレイクは選手監督両方でのリーグ優勝を達成した英国史上初の選手となっています。
レッジ・ルイス 1935-1953
1930年代に黄金時代を迎えたアーセナルですが、その後は第二次世界大戦で中断したこともあり、40年代50年代にはあまりレジェンドと呼べるような選手が居ません。
その中の数少ない例外が、このレッジ・ルイスです。まだ子供ともいえる15歳の時にアーセナルに加入すると、2年後の1938年のエヴァートン戦でデビュー、いきなりデビュー戦で得点を挙げています。
そのまま20年近くにわたってずっとアーセナルでプレイし続け、そのまま他クラブに移籍することなくアーセナルで引退した、ワンクラブマンの先駆けでもあり、レジェンドの名にふさわしいでしょう。
テッド・ドレイクの正統な後継者といえるストライカーで、1938/39シーズンには、今もアーセナル史上最多となる、1シーズン43得点という記録を打ち立てました。
従軍機関などを挟んで第二次世界大戦後も活躍した数少ない選手の一人で、1946/47シーズンにも29得点を挙げています。
ルイスのキャリアのピークといってもいいのが1950年のリバプール相手のFA杯決勝で、この試合で彼は2得点を決め、アーセナルを2-0で勝利に導いています。
公式記録となっている178試合で116得点という成績も十分素晴らしいのですが、実は、これに加えて戦時中で非公式記録扱いとなっている142ゴールが含まれていません。
もし第二次世界大戦が勃発していなければ、アンリ以上の歴代最多得点数を誇るアーセナルのレジェンドとして、より広くルイスの名は轟いていたかもしれません。
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ディスカッション
コメント一覧
ドレイク、、すご
恐怖のくだりでふきました
圧が写真からも溢れちゃってますね
ルイスと腰回りが違いすぎて
戦時のことを思うと今シーズンと重ねてしまいます
なかなか見通しがたちませんね