アーセナルレジェンド紹介2 1900~1920年代編
全く需要の見当たらない平原を切り開いてゆこう!
アンディ・デュケット 1904~1912
トップバッターは、恐らくアーセナルに在籍した選手の中では一番初期に知名度があった部類に入るアンディ・デュケットです。
なんとこの方1886年生まれで、日本でいうと石川啄木や谷崎潤一郎と同い年です。笑
右利きで178cmと当時にしてはなかなか長身の選手で、最初はセンターフォワードとしてキャリアをスタートしたものの、スピードが落ちてきたため、のちに右ボランチに転向したそうです。
アーセナルでの成績は188試合出場22得点とレジェンドに相応しいものを残していますが、当時のアーセナルは弱小だったこともあり、その後経営難に陥ったため、スター選手のデュケットは当時の強豪アストン・ヴィラに売却、そちらでタイトル獲得を果たしています。
100年以上前ですが今と大して変わりませんね。笑
ちなみに、デュケットはサッカー選手とクリケットのバッターの二足の草鞋を履いており、なんと両方においてイングランド代表に選ばれています。当時ならではですね。
ジミー・ブレイン 1923-1931
ウェールズとの境にほど近いブリストルに生まれ、カーディフ・シティでトライアルに挑戦したが合格せず、更に格下のトン・ペンターというなんだか愉快なチームに所属していたところからアーセナルに移籍、1年間はサブチームで過ごしたものの、デビュー戦でトッテナム相手にゴールを決めるという鮮烈な活躍を見せると、その後アーセナルでキャリアのピークを迎えます。
少し生まれるのが早かったためにアーセナルが黄金時代を迎える30年代にはデイビッド・ジャックやジャック・ランバートといった選手たちの後塵を拝しましたが、素晴らしい得点力を備えたストライカーで、20年代のアーセナルは彼のチームだったといって間違いないでしょう。
なんと、1924年から4年連続でリーグ得点王を獲得、アーセナル史上初のクラブ100得点を挙げた選手となりました。また、累計得点は139と、これはロビン・ファン・ペルシーらを上回ってアーセナル歴代5位の記録です。
また、チームでポジションを奪われてからはトッテナムに移籍しており、記録に残っている限りではレギュラー格の選手としては初めてアーセナルからトッテナムへと移籍した選手になったようです。
(トッテナムであまり活躍できていないのがまたなんだかいいですね。)
他の選手たちの紹介はこちらから!
ディスカッション
コメント一覧
大変貴重な資料、内容です。少しサッカーと離れますが、なぜ組織や団体はなかの人が変わってもそう簡単に本質が変わらないのか疑問に思っています(日本国内の話です)。今回のお話は、それは良いことなのかもしれないと思わせるものでした。変わらないでより良い方向に前進する。アーセナルは苦しみながらもそうしてると思いました。
パンツなっが
しっかしパックスukの王立の兵器工場って想像するだけでアレやな、、
カードダスになったら買っちゃうかもです!