イギリスのサッカー観戦人口の話
今日は唐突ですが、日本と比べてイギリスでサッカーを見る人たちの割合やスタイルなどについて書いてみようかなと思います。もちろん自分が遭遇した出来事ベースで思うことなので、あくまで独断と偏見によるものなので悪しからず。
この記事を書こうかなと思ったきっかけは僕の独断と偏見による日英のサッカー観戦人口の分布図というツイートがそれなりに拡散されたことでした。それに載せていた、2020年なのにペイントで作成したグラフがこちら。
まあこちらは若干誇張も含まれていますが、大筋事実だと思っています(あくまで僕の経験から感じたことなので、もちろん実際のイギリスの現状と乖離している可能性は十分にありますが。)
付け加えるとすれば、イギリスであればペップと戦術ブロガー/ジャーナリストの間に下部リーグの監督やアナリストたちや、大学院などでアカデミックに戦術を分析している方たち、日本でも同様にトップには現場の監督やアナリストさんたちが来るのだろう、とは思います。
まあそれはそれとして、僕がイギリスで5,6年くらい生活していて思ったことですが、いくらサッカーの母国とはいえ誰もがサッカーが好きなわけではありません。日本と同じように、W杯やユーロなど、イングランド代表戦だけ見る、という層も数多くいます。僕が高校時代にホームステイをしていたホストファミリーの家族などもそんな感じでした。
ただ、日本よりもサッカー選手の知名度が非常に高いので、例えばルーニーや引退した選手だとリネカーですかね、TVの露出が多く、今のイングランド代表ならだれになるのかわかりませんが、代表の中心選手的な人たちは結構バラエティ番組に出演したりとサッカーをそこまで知らない人でも人は知っている、という印象ですかね。
そのおかげもあるかもしれませんが、W杯だけ見る、というような日本ではいわゆる"ニワカ"と呼ばれてしまう層も日本人からすると意外かもしれませんが、非常に多いと思います。体感イングランドの人口の2/3くらいいるのではないか?というぐらいですね。
2016年にユーロでイングランドとウェールズが当たった日、たまたまロンドンにいたんですがその試合の時間は町が静まり返るといった感じで、時折叫び声や唸り声が聞こえてきていたのを覚えています。
とはいえ、ここから毎週プレミアリーグを見るようなファン、となると流石に本国イギリスでもぐっと減ります。イギリス人のみんながみんな、プレミアファンなわけではありません。これもまた日本人からすると少し意外なところなのではないかと思います。
もちろん、日本で例えばアーセナルファンはサッカーが好きで、かつJではなく海外サッカーが好きで、その中でプレミアが好きで、そしてアーセナルが好き、という非常に限定されたカテゴリーなので、もちろんそれと比べれば遥かに多いですし、おそらくサッカーがイギリスで一番人気のあるスポーツだとは思いますが、老若男女プレミアについて知っている、というわけではありません。
また、おそらくけっこう階級によるすみ分けのようなものが進んでいて、中流階級以上の人はラグビーなりテニス、ゴルフなりを好むのでサッカーファンはそこまで多くない気がします。
イギリスの大学というのは基本的にハウスシェアが一般的なので、僕も結構多くのイギリス人と一緒に住んだ経験があるんですが、比較的良い大学に行くような層だと、そこまでサッカーファンは多くない印象でした。
イギリスに住んでいたころを全部合計すると、数十人くらいのイギリス人と住んだことあると思うんですが(もちろん他で出会った知り合いにはもっといっぱいいましたが、自分がプレミアファンなので自分の知り合いの割合はおそらくバイアスがかかっていると思う)、そのうちプレミアファンだったのは2人だけでしたね。
トッテナムファンのリー君とユナイテッドファンの名前は忘れたけど黒人のワインのボトルを一気に飲み干す破天荒な男の子でした。彼らは元気にやっているでしょうか。そういえば女の子のプレミアファンには全く出会いませんでしたね。
ただもちろん、日本よりもはるかにサッカー観戦というのは馴染みが深くて、大学に10くらいあるキャンパスバーの多くではいつもプレミアリーグの試合を放映していましたし、僕が在学していた政治学部の教授にもアーセナルファンの先生がいました。町のパブに試合を見に行ったらばったり違う教授と遭遇して一緒にジルーの話をしながら観戦したこともあります。
ですが、なんとなくの体感に過ぎないのですが、こういういわゆる普通に観戦する層と本格的に戦術などを分析しながら見る層、というのはイギリスではほぼ完全に断絶されている気がして、いわゆる戦術に関して詳しいブロガーやジャーナリスト、という層の数でいうとイギリスも日本も同じようなもののような気がします。
そのあたりが緩やかにつながっている日本と違い、おそらく戦術に興味のある人たちはいわゆる研究対象としてそういう試合を見るだろうし、逆にパブにいるような人たちは大体少しネガティブな松木安太郎さん状態で、オーーゥとかアーー!とかイェエエエス!とかしか言ってないので、『今日のアーセナルのビルドアップはジャカが左に落ちる形だね』みたいな会話をする余地がないのではないか、という個人的な結論です。笑
だからこそ、そういった記事などの需要もあまりないので、戦術に関して発信する人も日本と違って少ないのではないかという気がします。実際今でもメディアに記事を書くような人で戦術に本格的に触れる方はマイケル・コックスさん一人くらいしかイギリスでは思い当たりません。
ここまで長々と書いてきましたが、あくまでたった一人の人間の経験に基づく考えなので、もしいや、実際はこうじゃない?などといった意見などありましたら是非コメントまたはツイッターなどで教えてください。
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コメント一覧
二つの考え方があります。一つは、そもそも決闘は技術や肉体の優劣で決着してはならないという考え。民主主義誕生を後押ししたこの論理は、チームスポーツの発明にも寄与しています。戦術なんてチームスポーツの精神に反するということなのでしょう。
もう一つは、1953年イングランド代表がハンガリー代表似6対3で敗れて以来サッカーの戦術については全世界に任せ考えるのを放棄した。第2次対戦以降の日本と少しにてますね。