ジャカの限界 前編
私は、今週ノースロンドンダービーの前から既にジャカについてコラムを書くつもりだった。実際のところ、日曜日の前に既に書いてしまおうかと思ったくらいだ。だが、それはやめてもう一試合待つことにしたが、それは正解だった。
なぜジャカがアーセナルファンでの間の評判をここまで落としてしまったのかを探る記事を私は書くつもりでいた。もちろん彼に関しての意見は常に分かれていたが、最近はアーセナルファンはエメリはジャカ抜きでのチーム作りを志向するべきだという結論に達しつつあるように思える。
ルーカス・トレイラやセバージョスといった選手たちがアーセナルにやってきて、かつゲンドゥージやウィロックが目を見張る成長を見せていることがそれに拍車をかけている。
四月に私は、気が進まないながらもムスタフィに関する記事を書いた。この記事では私も既に叩かれている選手にその更なる材料を透過するような記事を書くのは私の好むところではないと説明した。少し残酷に感じられるし、そしてあまりにも安易だと思うからだ。
したがって、私はジャカに関してもより微妙なニュアンスで、彼が人気を失っていた過程を分析しようと思っていた。だが、正直なところ、ジャカは日曜日に自分でその答えを出してしまった。
ソンフンミンへの不必要なファウルがアーセナル加入後献上した6度目のPKだ。私の個人的な限界は五月のホームでのブライトン戦で彼が何の必要もないのにペナルティエリア内でソリー・マーチを倒してPKを与えた時だった。
普段は感情的ならないことで知られるBBCのマッチレポートでさえも、この行為を『狂気のファウル』と形容した。ジャカのファウルは通常のものよりもさらに不快感が伴う。なぜならば、あまりにも予測可能だからだ。
キッチンでお菓子を盗み食いしようとする子供がちらちら両親のことを振り返ってみるときのように、ジャカがファウルをする何秒も前に彼がファウルをするだろうな、という予想がついてしまう。
もちろんこれらのファウルがジャカの全てではないのだが、悲しいかな、こういったほんの一部のプレイが彼らのキャリアを定義してしまうことがしばしばある。これらの行為は観客に非常に強い感情を呼び起こすからだ。
例えば、ジェルビーニョはアーセナルでは調子の波が激しかったが、これはつまり、良い日もあれば悪い日もあったということだ。だが、リーグカップのブラッドフォード選で敗北した際の彼のミスは多くのファンの心に残っているし、恐らく多くのファンはジェルビーニョのことを使い物にならなかったと記憶してしまっているだろう。
アーセナルファンの中ではジャカが昨季のアーセナルの失敗と結び付けられつつある。彼があまりに頻繁に犯す安易なファウルがアーセナルのCL出場権獲得の望みを打ち砕いたかのように思えてしまうからだ。
確かにそれには一定の真実が含まれているのだが、もし興味深いという単語が使えるのであれば、正直なところ、ジャカは非常に興味深い。なぜなら、このような彼の狂気のミスはあまりにランダムなタイミングで訪れるからだ。
試合中のほとんどの時間を通して、彼は冷静にプレイし、成熟した選手のようだ。キャプテン候補になるのも頷けるようなパフォーマンスを見せる。だが同時に、彼はいつ爆発してもおかしくない地雷のようでもある。
彼が急に愚かなミスをしでかす際に、何か法則があるようには全く見えない。ジャカがミスを犯しやすい環境、というのがよくわからないのだ。私には彼がプレッシャーに反応してしまうのか、それとも単に時々本能的に軽率なだけなのかよくわからない。
これが、ジャカのリーダー適正に疑問符がつく一つの要因でもある。なぜなら、真のリーダーというのは敵の第一陣が訪れた瞬間に興奮して我を忘れたりはしないものだからだ。
(後編に続きます)
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