【抜粋】『ミケル・アルテタ アーセナルの革新と挑戦』訳者あとがきに代えて: アルテタが取り戻したアーセナルの誇り
今回『ミケル・アルテタ アーセナルの革新と挑戦』の翻訳・出版に際して、訳者あとがきに代えて、という形で一つ記事というか、ショートエッセイを書かせてもらったのですが、こちら部分的に/あるいは編集して、アーセナル・コラムに掲載してもOK、とのことでしたので、その前半部分を紹介します。
アルテタが取り戻したアーセナルの誇り
2016年5月に行われたプレミアリーグ最終節、アストン・ヴィラ相手の試合がミケル・アルテタにとって、アーセナルの選手として最後の試合となった。
この試合後、アルテタは現役引退の表明と共に「この数か月間、私はアーセナルの選手としてピッチに立ち続けるレベルにはない、と感じていた。このクラブでプレイするためには、自分のポジションで最高の選手でいる必要があるし、それができないのであれば去らなくてはならない。」と述べ、その後「100%のパフォーマンスができなくなったらこのチームにはふさわしくない」とも続けた。
これらの言葉は、監督となった今も変わらずアルテタが示し続けている、彼のサッカーに対する真摯な姿勢や哲学、そしてアーセナルというクラブへの想いを非常によく表しているように思う。
バルセロナのアカデミーで育ちながらもなかなかチャンスを得られず、レンジャーズやエヴァートンで長くプレイしたのちに、29歳という選手キャリアも終盤に差し掛かった頃にアーセナル移籍を勝ち取った、という経緯が影響しているのかもしれないが、ミケル・アルテタは、他の誰よりもアーセナルの一員であることの重みやそれに伴う責任を理解していた人物だった。
選手としてクラブに在籍していた時から何度かアルテタは、イギリスで暮らし始めて以降はアーセナルでプレイすることをずっと夢見ていた、と話した。
もちろん、クラブ加入時のインタビューなどで、アーセナルでプレイ出来るのは本当に名誉なことだ、と話す選手は他にも多くいたが、彼らにもプライドがあるしサッカー選手としての仕事があり、家族もいる。
2010年代のアーセナルは既に最後にリーグ優勝を果たしてからかなりの時間が経っており、リーグ戦で4位以内に入ることでチャンピオンズリーグ出場権こそ得ていたものの、そのチャンピオンズリーグでもほぼ毎年ベスト16で敗退しており、既に黄金時代の過ぎ去ったクラブというイメージが定着しつつあった。
当時は、アーセナルで活躍した選手たちがより高額な給与やタイトル獲得の可能性を求めてクラブを去っていく、というのも日常茶飯事となっていた。
そんな中アルテタが繰り返し口にしたアーセナルへの憧憬とも呼べるような感情はある種、新鮮だった。
そして何よりも、アルテタはアーセナルでプレイするためにあらゆる犠牲をささげる覚悟があると、言葉だけではなく、実際にその行動で示した選手だった。
本書内でも契約時のボーナスの条件面についてのやり取りに関して触れられていたが、アルテタはアーセナル加入を実現させるために給与カットを受け入れており、更に象徴的なのはアルテタがクラブで任されることとなった役割だ。
アルテタは選手としてのキャリア前期は、得点やアシストを多く記録するようなMFだったが、アーセナルでは少しずつポジションを後ろに移し、最終的には主に守備的なMFとしてプレイした。
高い機動力やボール奪取力があるわけでもなく、生まれついての守備的MFというわけでもないにもかかわらず、この位置でのプレイがメインとなったのは、当時のアーセナルのチーム事情が理由だろう。
もしアルテタの守備の負担を減らすような布陣でチームがプレイしていれば、アーセナルでも得点やアシストは大きく伸びていたはずだ。実際に、中盤の守備を固める役割を担ったアレックス・ソングと同時に起用され、より攻撃に絡む機会の多かったアーセナル移籍初年度、2011-2012シーズンにアルテタはプレミアリーグ29試合で6ゴール3アシストという数字を記録している。
だが、そのソングはバルセロナへと去り、その後のアーセナルは数多くの攻撃的MFを抱えていた一方で、フランシス・コクランが散発的に活躍した一時期を除けば専任の守備的MFが不在、という状態が続いた。
そのため結果的にアルテタがこのポジションで起用されることとなったが、それでも彼は全く不満げな様子などを見せることはなかった。新聞の見出しを才能あふれる若手アタッカー達に譲りつつ、黙々と自身の役目を果たし続けた。
細かくパスを繋いで試合のリズムを作り、時にはチームのためにスペースを埋め、後ろに控えて攻撃時のリスクを管理する役割にも回った。何故なら、それがチームにとって必要な仕事だったからだ。
彼は、サッカーにおける献身性というのは何もピッチを縦横無尽に駆け回り、タックルに飛び込むことが全てではないのだ、というのをその身をもって示した選手だった。
アルテタの言葉には常に行動が伴い、言葉だけでなく行動でクラブに尽くした。そういった点で彼は、真の意味での『アーセナルマン』だった。
そして、それはアーセナルの監督となった今も変わっていない。
(続く)
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