有言実行のミケル・アルテタアーセナルの四年間
ミケル・アルテタのアーセナル監督就任から4年が経った。初日の記者会見で彼は非常にオープンに彼は何を成し遂げたいのかを語っていた。
私なりのやり方で行いたいと思っているが、そのためにはクラブの人々に、それが全員のためになるのだと納得してもらう必要がある。まず最初に全員が互いをリスペクする必要があるし、私が求めているものに対して、自らの責任を果たしてもらう必要がある。もしこれに納得がいかない、あるいは集団にネガティブな影響を与える人物は要求水準に達しているとは言えない。
これは少し強硬な姿勢にも見えるが、その後アルテタはいかにして自分が人々の信頼を勝ち取る必要があるかについても続けている。
これが全員から受け入れられるのであれば、そうして初めて私はクラブの手助けをすることができる。そうすれば、彼らも私を信じてついてきてくれるだろう。
アルテタの『妥協できないポイント』というのはキャッチフレーズのようにもなったが、これは単なる言葉ではなく、実際に彼の行動に裏打ちされていた。それはアルテタの在任中にアーセナルを去っていった選手たちに聞いてみれば、よくわかることだろう。
アルテタの監督就任初日に私は以下のように書いた。
『以前にも書いたことだが、アルテタは単なる素敵な笑顔を持つナイスガイではない。彼はとがった部分も持ち合わせている人物で、誰からも好かれたい、と考えるような人物ではない。もし彼が要求する水準に誰かが達していないと感じたら、それを許容することはないはずだ。そして、様々な課題に対してアーセナルの最近の対応は少々寛容すぎ、これはプラスに作用するに違いない』
この日から四年の間に多くのことが起きた。ファンのシラン来が試されるような場面もあったし、COVID-19の大流行によりサッカー界全体が大きな影響を受けた。
この四年間でアルテタは監督就任時に行いたいと語った多くのことを実際に行った。クラブのカルチャーは刷新され、再建された。チームはリーグ首位に返り咲いた。ファンとチームの絆も再び修復された。スーパーリーグの騒動渦中でクラブが揺れた際にも、アルテタはクラブとファンの関係性が深刻なダメージを追うことがないように乗り切った。
だが、最も重要なのは、アルテタがアーセナルのファンがそうありたいと望んでいた姿を取り戻したことだろう。
上の文と同様に、私はアルテタ監督就任初日に以下のような文を書いた。
『誰かがアーセナルの理想や今後について語る時、彼らを信じていいのかは最早わからない。なぜなら、それは何度もファンに対して繰り返し語られた言葉だからだ。だが、アルテタの言葉は信じられる。彼が~~をしたい、と発言するのであれば、本当に彼がそれを望んでいるのだと信じることができる。彼は少なくともファンにリップサービスを行っているわけではなく、彼が何を成し遂げたいか、何を成し遂げるかを語っているのだ。
そして、誰かの言葉をこのように捉えられるというのは救済の光のように感じられる。我々はアーセナル史上有数の暗い時期にアルテタの放つ炎に引き寄せられる蛾のようなものだ。アルテタの仕事は非常に過酷なものとなるだろう。ピッチ内外での課題は大きく、これら両方を解決しなくてはアーセナルは成功を収められない。アルテタがどれだけのスピードで改善に着手し、結果が出るかはまだわからないが、もしアーセナルが求めていたのがクラブの緩んだネジを締め直し、アーセナルがトップに返り咲くために必要な、怠慢を許容せず、時に冷酷に大きな要求を行う人物だとすれば、アルテタはそれに適任ではないかと思う。』
究極的にはファンが求めていたのはタイトル争いができ、競争力が合って結果を出せるようなアーセナルだ。もちろん、実際にトロフィーを獲得できれば言うことはないし、欧州での成功もずっとアーセナルが追い続けているものだ。
だが、自らが愛しサポートするチームがリーグ上位で優勝争いを繰り広げるのを見るのは、中位争い、あるいは4位や6位に沈み、早々に優勝争いの芽が消えてしまったチームを見るのよりもはるかに好ましい。
もちろん、4位や6位に入れるのであれば何をしても惜しくない、と考えているクラブも多くあるはずだし、こうして言葉にしてみると、このような姿勢は少々傲慢にも感じられる。
だが、我々がアーセナルファンであるというのは非常に恵まれたことなのだ。アーセナルのサポーターは現実的に考えても、4位や6位争い以上のもの、主要なタイトルの獲得を応援するクラブに夢見ることができる。
そして、私が思うにアルテタがこのことを非常によくわかっているはずだ。だからこそ彼自身も含め、非常に多くのことをアーセナルの全員に対して要求するのだろう。
もちろんアルテタも我々もこれを当たり前のことと受け止めるべきではないが、ここまでのアルテタの監督としての仕事は素晴らしく、見事にアーセナルを引き上げてくれた。
まだ道は長いが、4年前のアーセナルの状況と今を比べれば、それが昼と夜のように異なることは明らかだ。
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ディスカッション
コメント一覧
アーセナルが常に勝ちたいのがスパーズとして、横目で意識するのはこの件でマンUとなる。共に長期政権の中、鎬を削り、グーナーが今の状況が上がった、のではなく、戻った、と感じるならば、赤いチームとそうなれば、きっとそうなのだろう。
かつてはエブラに「大人と子供くらい違う」と鼻で笑われた訳だが、監督とクラブ双方の問題において、今や「大人と子供のクラブ」である。勿論クラブの問題が大きい事甚だしい。
アルテタの功績は計り知れないが、アーセナルというクラブが何故、どの様に変われたのか、という事がより肝心に思える。そしてそれは持続可能か、という事も。
いつかはアルテタ末期という日もやってくるのだろうが、クラブが高水準であること。1月の成り行きがまた見物かもしれない。
過去の発言を振り返る。どれだけ負けても支持します、と私はいった。そうでなかったのはご承知の通り。
只、代わりはいない、とは思っていた。(アーセナルを応援するのを…)という考えが、頭をよぎったこともあった。
私にとってこの4年間は、問題を整理し特定する時間でもあった。
100敗しても応援するのがサポーター。(結婚と同じで辞める権利、他チームに乗り換える権利はあると思う)
私はサポーターを名乗る自信がないが、そうなれるよう努力します。