ウィルシャーとエジルの悲しい物語
メスト・エジルとジャック・ウィルシャーの二人は私が目撃した中で最も才能がある選手のうちの二人であることは間違いない。
にもかかわらず、彼らはそれぞれまだ32歳と28歳だが、アーセナルの復権を先頭に立って率いるどころか、空白に放り込まれ、全くプレイできない状態でいる。そして、これに関して、自業自得だと言い切ることも出来ない。
エジルはプレミアリーグとヨーロッパリーグの登録メンバーを外れ、週給35万£を得ながら、アーセナルでの最後のシーズンを最低でも一月までは、恐らくそれ以降も出場がないまま過ごすこととなった。
ウィルシャーは合意の上で移籍市場最終日にウエストハムとの契約を破棄し、彼もまた、また一年間プレイする可能性がない場所で過ごすことに耐えられなかった、と口にしている。
彼ら二人の運命はどうしてこのようなことになってしまったのだろう?
メスト・エジルの悲哀
シャルケで育ったエジルはブレーメンに移籍後2010年のW杯でドイツ代表のカギとなるプレイメイカーとして世界にその名を知れ渡らせた。
代表チームの創造性の中心であった彼のことをミロスラフ・クローゼは『我々は将来のバロンドーラーの姿を目撃している』とさえ評した。
ドイツ代表は準決勝にまで進み、スペインに敗れることとはなったが、モウリーニョの目に留まったエジルはレアル・マドリードへの移籍を勝ち取った。
マドリードで彼は80アシストを記録し、1シーズン目の25アシストというのは欧州5大リーグで最多だった。白い巨人がグアルディオラのバルセロナから国内タイトルを奪い返すうえでも重要な役割を果たした。
だが、アシストは積み重ねても得点が少ないことや、守備での貢献不足を不満に思うクラブ上層部もいたようで、モウリーニョは以下のように述懐している。
二本の美しいパスで十分、50%の力しか出していないように見えてもそれで結果を残しているのであれば十分だと普通は思うだろう。だが、ベルナベウという劇場では彼のキャリアが終わりに近づいていることを意味していた。会長のペレスはエジルのことを批判し、プロフェッショナルではない、というラベルを貼った。
そしてここに、スタジアム建設時の借金返済のめどが立ち、スター選手の獲得をもくろむアーセナルとベンゲルが目を付けた。ベンゲルは彼のアプローチでエジルの才能が極限まで引き出せると確信していた。
私は未だにアーセナルがエジル獲得を発表した日のことを覚えている。2013年の移籍市場最終日、トッテナムには1-0で勝利しており、興奮とスター獲得の予感がグーナーたちの間を漂っていた。
エジルのアーセナルでの一シーズン目は彼の天才性を既に少し見せながらも、彼はまだ本領発揮していないという雰囲気もあった。
彼のボディランゲージが怠惰さを感じさせたこと、そして、実際に守備への貢献の少なさを指摘し、この選手獲得が本当にガナーズを変えることが出来るのか疑う始める人も現れ始めた。
ベンゲル時代最終盤、継続してアーセナルが衰退していく中、そしてエメリ期の戦術の泥沼の中で、タフなアウェイ戦で休まされる存在から少しずつメンバー外への道を歩んでいった。
2018年には賛否両論の巨額の新契約を結びながらも、完全にベンチ外となる頻度も増えた。
ミケル・アルテタは最初の10試合ではエジルを軸にしようという意図も見せたが、その後は出場はなくなり、そして現在へとたどり着く。
ここからエジルがどうなるのかは誰もわからない。トルコや中東からの興味が報じられており、選手本人はアメリカでのプレイにも乗り気のようだ。
だが、今のような状態でもアーセナルからの移籍を希望しなかったというのを見るに、エジルがサッカー面でのモチベーションを今も保てているのかには疑問の余地がある。
ジャック・ウィルシャーの憂鬱
時をさかのぼること2009年、ウィルシャーが最初にアーセナルでプロ契約を結んだ際には、今後世界が彼の下にひれ伏すかのように見えた。
そして、才能あふれるイングランド人でユース育ちの選手ほどファンを喜ばせる存在はない。当時のウィルシャーが時折見せるプレイは控えめに言ってもファンの興味を引き付けるのに十分だった。
本物の才能、サッカーを理解する力、素晴らしいパスレンジ、そして中盤からドリブルでボールを前に進めることが出来、体格以上の粘り強さも持ち合わせていた。
だが悲しいことに、その気迫と粘り強さゆえに彼はファンが夢見たワールドクラスのタレントへの成長は叶わぬものとなる。
当時スティーブン・ジェラードはウィルシャーのことをイングランド代表100試合出場は固く、将来のキャプテンになるだろうと太鼓判を押していた。
ボルトンでのローンを経て2010/11シーズン、ついにウィルシャーがトップレベルに台頭する。この年彼は49試合をプレイし、44試合に先発、発展途上のアレックス・ソング、ウィルシャーと同じくスターダムに駆けあがり始めていたセスクと並んでアーセナルの中盤の核となった。
ウィルシャーと言えば誰もが挙げるのがバルセロナ戦のパフォーマンスで、ブスケッツ、イニエスタ、シャビと比べても全く遜色のない出来で、シャビは試合後
イングランドに失礼を言うつもりはないが、彼は全く英国らしくないね。ウィルシャーは怪我を克服できれば世界最高のMFの一人になれるはずだ
とまでコメントした。
だが、ここからすべての歯車は狂ってしまった。ウィルシャーは2011/12シーズンのプレシーズンで足首の怪我をしてしまい、手術が必要となる。結局この年リハビリでも怪我が再発し、来シーズンの10月まで復帰できなかった。
12/13シーズンと13/14シーズンにはそれなりにコンスタントにプレーできたが、2014年の3月のイングランド代表戦で再び怪我をすると、その後も怪我を繰り返し、翌2シーズンで10試合しか出場することはなかった。
16/17シーズンにアーセナルはスイス代表のジャカを獲得し、これはアーセナル側のウィルシャーをシーズン通して計算することは出来ないというあきらめが透けて見えた。
これによりベンゲルのプランでのウィルシャーの立ち位置は明らかとなり、出場機会を求めて彼はボーンマスへのレンタルを選択した。
17/18シーズン、ベンゲルの最終年には再びアーセナルに帰ってきたが、12試合しか出場できなかった。ベンゲルが去ったのと合わせてエメリから評価されなかったため、少年時代ファンだったウエストハムに移籍したが、結局19試合しか出場することなく契約解除に至った。
本当に悲しいことに、ウィルシャーは今地元の公園で練習をしているのだという。
この二つの悲しい物語が、サッカー選手の運命にとって重要なのは才能だけではなく、姿勢、献身性、そして運も必要であると示しているのかもしれない。
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ディスカッション
コメント一覧
まずウィルシャー。過大評価され過ぎた。しかもサポーターによって。本人も、セスク、ナスリにもアーセナルにも滅茶苦茶な未来をもたらした。あくまで個人的な意見だが、自分で「過大評価はやめてくれ」と言ってれば…と思う。エジルに関しては、戻ると信じている。
ジャックのキャリアは本当に残念ですが
1718時点でプレミアで通用する運動能力にないのは明らかでした
それでもベンゲルのアーセナルならば特徴的な持ち出しとか局面で活躍することは可能でした
クラブにとって大事な存在だし実際契約延長に動いてたはずでしたが
蹴れない走れないでは厳しくエメリで流れてしまいました
厳しい現実を乗り越えてローカルでなく世界でひとはな咲かせてくれたら嬉しいです