外国語のカタカナ表記はそもそも発音が似ているかどうかを基準に決められているわけではないような気がする、という話
昔から議論の尽きないテーマではあるのだけれど、最近またサッカー選手のカタカナ表記をどうするべきなのか、というのが話題になっていた。
確かに、カタカナ表記には、時々本来の発音とは似ても似つかない発音が登場する。とはいえ、一人だけ本当はこうなんですよー!!と主張し続けると検索に引っ掛からなくなってしまうので、アーセナル・コラムでは基本的にもうその辺は諦めて、YahooかWikipediaあたりの表記に統一するようにしている。
昔からアーセナル・コラムを読んでくださる方であれば、一時期僕が頑なにラウール・サニエヒ/べレリンと評していたが、最終的にサンジェイ/ベジェリンと書き出したのを覚えているかもしれない。
まあ、それは日本に限った話ではなく、イギリスでも外国人選手の発音は英語風とでもいうのか、母国での発音とは似ても似つかなかったりするので、その辺はお互い様でもあるのだけれど。
(ただ、個人的にはカタカナにしろ英語にしろ、整合性だけは取ってくれよ、と思わなくもない。笑 エンゴロ・カンテとエンゾンジ/ン(ヌ)ケティア・ンディディとか。)
そんな中、日ごろの経験と照らし合わせて、このベン・メイブリーさんのツイートを見てちょっと面白いなと思ったことがあるので書いてみたいと思う。
それに対して言いたいこと2つ:
— Ben Mabley(ベン・メイブリー) (@BenMabley) June 22, 2020
①私だったらカタカナ表記を完全に無くす
②カタカナ表記があくまでも「近似」で仕方ないとしても、表記が完全に間違っててもっと良い「近似」が存在するケースが多々ある
(ラッシュフォード→ラッシュフド、ヘンダーソン→ヘンダスンなどなど) https://t.co/4Iq6P6TtSi
いや、とはいってもベンさんの言ってることを否定したわけではなくて、ラッシュフォードよりもラッシュフド、ヘンダーソンよりヘンダスンの方が実際の発音に近いのは間違いない。
しかし、それを言ったらおそらくリバプールはリヴァプウ的な何かだし、アーセナルはアーセノウみたいな感じになる。
まあアーセナルはともかくとしても、リバプールは地名なので、こうなってくると、日本的にはリバプールで認知されているのに、サッカーファンだけリバプールが本拠地のリヴァプウFC、と呼ぶことになるのもなんだか奇妙だ。
同じことがイギリスの他の地名などにも言えて、オックスフォードはオクスフドにするべきだしロンドンの一つ目のoは発音記号的にはcut(kʌt)のʌで、comeやsomeのoと同じ発音なので、ランドンと表記すべきではないか、みたいな話になる。
ただ、今のところ、そんな議論が巻き起こっている雰囲気はあまりない。
とすると、発音とかけ離れていてもOKならカタカナ表記はどうやって決まってるんだよ、となるわけだが、個人的には、日本人がカタカナ表記を見てそのスペルをイメージすることが出来るかどうか、という基準で決まっているような気がする。
基本的に日本でのカタカナ表記は、発音よりも過去の慣用例に基づいて、この点に最も大きな比重が置かれているのではないのだろうか。
この背景には、日本語と英語の大きな違いある。日本語は基本的には一字と一音が対応している一方で、英語はそうではないという点だ。
日本語だと、漢字は読めないことがあっても、基本的にひらがなかカタカナは一文字が一音に対応しているので、読み方がわからない、なんてことは起こらない。
ただ、英語は違って、発音を知らないとスペルがわかるが読み方はわからない、ということが起こりうる。
break
easy
head
idea
bear
early
heart
よく例として挙げられるのが、eaで、なんと同じ綴りでもこんなにもたくさん読み方がある。まあ後半はr付きなので例外ともできるかもしれないが、eaが単独で用いられている語に限っても4つも異なる読み方がある。
そして、こういったケースはey,oa,ghなどなど、数えきれないほどある。
例えば、以前ハリケーンのCiaraがヨーロッパを襲った際に、イギリス人の間でもこれシアラと読むのか、キアラと読むのか、カイアラと読むのか、などとあまり統一されていなかった。
名前に限らず、普段馴染みがないような新語が出現した際などにも、まずBBCがどうやって読んでいるのかを聞いてみないと読み方がよくわからん!なんてことがあったりするのだ。
こういう言語上の違いに、綴りと読み方が対応しているのを当然と思う我々日本人としては大いに戸惑ってしまうことになる。
また、英語は強勢が置かれていない母音はあいまいに発音される(発音記号だとこれ・ə シュワ音というやつだ)とルールもあるため、さらに複雑になる。
発音に忠実であろうとするとFordはフォードでいいのに、Oxfordはオクス"フド"、Rashfordはラッシュ"フド"、みたいなことになるわけだ。(フォードはorにアクセントがあるのできちんと綴り通りに発音される)
ただ、これは日本語の特性的に、日本人としては非常に収まりが悪いというか、気持ち悪く感じてしまうのだと思う。
だから、このなんとなく感じる気持ち悪さをなくすために、日本語のカタカナ語はある程度綴りに応じて慣習的な読み方を決定して、実際の発音とちょっと外れても、それで行きましょう、ということになっているのではないかという気がするのだ。
もちろんそれには異論もあるだろうし、当然弊害があって、実際に会話をするときに結構困る。笑
イギリス人と話したり、実際に海外に旅行すると、カタカナ風の発音でいっても伝わらない!みたいなことになるし、英語で当該の選手の話をされているラジオなどを聞いても誰だそいつは?となってしまったりすることはあるだろう。
だが一方で、逆に綴り準拠システムにもそれなりに利点はあって、当然ながら綴りは分かり易い。
今までの蓄積があるので、ある程度英語の記事などを見る習慣がある人であれば、ヘンダーソンという名前を初めて聞いた人でも、Hendersonなのだろうな、と導き出すのはそこまで難しくないはずだ。
僕にはジョージ・サンダーソンと言うイギリス人の友達がいるのだけれど、これも、ある程度慣れている日本人であれば、まあGeorge SandersonあるいはSundersonといったところだろう、と推察が出来たはずだ。(正解はSanderson)
だがもしこれを、ネイティブ発音準拠でジョージ・サンダスンといっていたら、なかなかイメージが付きづらかったと思う。George San Dasun?みたいな綴りかもしれない、などと深読みできてしまう。
まあもちろん、これは時間をかけて、~derson=~ダスンという新たなカタカナ読みの定番を定着させていけば解決される問題ではあるのだけれど、人名や地名となるとサッカーだけではなくて、日本全体の話になってしまうので、なかなかそうもいかない。
さらに、~ダーソンくらいの知名度がある名前ならともかく、そこまで知られていない苗字や名前を発音準拠で表記されると、もう我々日本人が、音からスペルを推察するのは不可能に近い。というか、名前によってはイギリス人でも難しいはずだ。
したがって、選手名が発音の近似ベースでカタカナ表記されだすと、ググるのにも一苦労だし、逆にアルファベットでその名前を英語のサッカー記事で見かけても即座に誰と分からなかったり、なんて事態に陥る可能性がある。
このように、どちらも一長一短なので、まあ会話で苦労するか、筆記・リーディングで苦労するか、というトレードオフの問題のような気がする。そして、思うに日本人は、前者の方がましだな、と考えている節がある。
また、これらに加えて、スペリングは変化しないが発音はエリアや人によって微妙に違ってくるため、そのうちのどれをスタンダードと設定するか、みたいな問題も出てきてしまう。
例えば、英語で子音の前に来るt/dはむちゃくちゃ消えやすい、という特徴があって、僕は個人的にはBradfordという地名は、ブラッフドというカタカナ表記が一番原音に近いと感じるが、まあ人によっては、あるいはゆっくり喋っている時ならブラッ(ド)フッドに聞こえなくもない。
Bradfordをブラッフドなどと表記された日には、多くの日本人がなんだそれは???となるのは想像に難くない。bluffedのことか?となるだろう(ただし、本当は無声子音の後ろのedはtと同じ発音なので厳密にはこの単語はブラフト)。
このように、発音の近似でカタカナ表記を決めようとするとどうしても個人差などからまたしても結局正しい表記が決まらない!!!という事態に陥ってしまう可能性があるので、もうそれなら逃げも隠れもしないスペリングベースで決めていこう、と昔の日本人は思ったのではないか、と勝手に僕は思っている。
恐らく多くの人が、グーグルやアップルがあんまりアメリカでの発音に近くないことは知っているが、それでもGoogleやAppleが近い将来社名をグーグウやアッポウに改めそうな兆しはない。
それにはそれなりの理由があるのではないかな、という気がする。
もちろん上の話は、そもそも選手名を出来る限り原音に近い形で呼ばないと失礼なのではないか?みたいな論点は全く考慮していないうえでの話ではあるのだけれど。
ただ、僕は名前がたくまというのだが、イギリスではホストファミリーからいつもトゥクーマ、みたいな感じで呼ばれていたけど、へー、Takumaをイギリス人が自分なりに読むとそうなるんだ、くらいにしか思わなかったし、まあ大体どこの国でもそんなものなのではないだろうか。
ディスカッション
コメント一覧
カタカナ変換ルールが定着してない北欧系はもっとカオスですよね。
昔ソルスキアル>今スールシャールとか。
我らがリュングベリもいっぱい名前持ってますし笑
確かに、今までの蓄積がない言語は結構カオスな印象がありますねー笑
なるほど昔のえらい日本人が考えて決めたんですね
ベンちゃんには郷にしたがってもらうしか、、それともNHKがアッポウと呼ぶ日がくるのでしょうか
サッカーダイジェストは極端なのかずっとウィルシェアだし
ソルスケアがある日突然スールシャールに変身したのもダイジェストです
いや、まあ本当にそんなことを考えて昔の偉い人が考えて決めたのかどうかは知りませんよ、ただの僕の想像です笑