マルティネッリの献身が表すアーセナルの一体感
サッカーにおいて使われる『チームの一体感』という言葉は、少々月並みにも感じられる。ほとんどの監督がこれを口にするし、多くのチームが目指すものだからだ。
だが、これを実現させるのは口で言うほど簡単ではない。
時間や労力のかかるものだし、必ずしもすべての選手が、アルテタの言葉を借りれば『同じ船に乗る』とは限らないからだ。チームの一体感は何度かのタフな決断を経て作り上げられるものであり、少々冷酷だが、そのためにはチームを去らなくてはならない選手もある。
ノースロンドンダービーでのアーセナルの守備のパフォーマンスは素晴らしく、また、この試合でプレイした4人の最終ラインの選手たちのプレイは非常に良かったが、彼らだけでなく、前線から守備は始まっていた。
私は個人的に守備が得意なチーム、相手に全くチャンスを与えないような選手が隙が好きだ。もちろんもっとも重要なのは失点しないことだが、クロスを危険なエリアに入れられることを防いだことをセレブレーションする選手たちを見れば、彼らが本当に守備に本気だとわかる。
このように言うと、真っ先に頭に浮かぶのはガブリエルかもしれない。彼は8度のクリアを記録し、ハヴァーツの5、パーティの4と続く。また、パーティとマルティネッリはタックル数も3を記録し、これは最終ラインの選手たち3人を上回る。
長く先発していなかったジョルジーニョや怪我での離脱があったティンバーは100%のコンディションではなかったが、それでも足がつりながらもチームのために走りぬいたとアルテタは試合後語った。
アウェイのビッグゲームで、ウーデゴールやライスといった絶対的な主力を欠き、かつカラフィオーリやジンチェンコ、メリーノといった選手もいない状態で勝利を収めるためには選手全員が力を出し切る必要があった。
チームメイトがミスをしたとしても、全力でそれをカバーする、そういった姿勢が日曜日の試合では見られた。
鉄壁の守備というにはそういった危ない場面も少し多すぎたが、時としてサッカーでは想定のプランから離れ、状況に適応することも必要だ。そして、そのような試合の進め方をして勝利を収めるにはチームが一致団結する必要があるし、それはこの試合のアーセナルのパフォーマンスに表れていた。
もうひとつ目を引いたのはユリエン・ティンバーとヴィカーリオが小競り合いのようになった場面だ。アーセナルの選手たちはそれにすぐに反応した。サカは真っすぐに相手GKに向かって彼を押しのけ、10秒もたたないうちにアーセナルの選手全員が集まっていた。
もちろん誰一人として感情に身を任せて退場となるような愚かなことをしたわけではない。ただ、仲間を守るために集まっただけだ。
過去にはこういった状況で非常に受け身だったアーセナルのチームも多くあった。一人のアーセナルの選手が相手に囲まれても、チームメイトが駆け付けなかった場面も何度かあった。
これは好ましいとはいえず、チームや試合へのコミットメントとこれはある程度繋がっているように思う。
相手選手から詰め寄られる味方援護しようと思わないのであれば、ピッチの高い位置でボールを失った際に全力で最終ラインまで下がってカバーしよう、という気持ちにもあまりならないだろう。
そして、このような前線の選手の献身性をよく示していたのがこの試合のマルティネッリだ。
試合も終盤に近付いていたこの場面でトロサールがボールを失い、トッテナムがカウンターを仕掛けている。この時マルティネッリは相手のボックスすぐ手前にいる。
まずマルティネッリは相手のカウンターを止めるために、センターサークルでボールを持ったクルゼフスキにタックルをした。そして、その結果倒れてしまうが、ここでマルティネッリが自分の守備の仕事はもう終わりだと地面に倒れこむことはなかった。
マルティネッリは再び立ち上がると、自分のボックス内まで駆け戻り、ウィルソン・オドベールがアーセナルのゴールを狙う所をブロックした。
試合の72分の段階で、たった14秒の間にマルティネッリはほぼ最前線から最終ラインまで戻ってこのようなプレイを見せたのだ。
マルティネッリに関して得点とアシストが伸び悩んでいることが懸念なのは理解しているが、一方でこのようなプレイは評価されるべきだろう。
これこそまずチームのためにプレイする選手の良い例だ。確かに前半のチャンスを決めきって欲しかったが、このようなプレイも重要だ。
これは、ミケル・アルテタがどのようなチーム、カルチャーを作り上げたかも示している。
サッカーでは好プレイではなくミスの結果試合が決まることも多く、そして試合に勝てない時、結果を残せない時は、上のようなプレイを11人全員が見せないことを理由に勝ち点を落とすことも多い。
もちろん、つねに警戒を怠らず、集中し、やるべきことをやることを選手に求めるというのは非常に基本的なことだ。だが言うは易く行うは難しというやつで、我々はそれが徹底されていない場面を何度も見たことがあるはずだ。
疲れすぎていて、あるいはやる気を欠いているのかもしれないが、これを90分徹底できない選手は多くみてきたし、トップレベルでは相手にとって必要なのはほんの少しの隙だ。
そしてここで重要となるのがアルテタが作り上げたアーセナルの一体感なのだ。当たり前の基準、と言い換えても良い。
それは新聞の見出しになるようなプレイに関してだけではないのだ。もしマルティネッリがノースロンドンダービーで得点を挙げていればスポーツ紙の一面を飾っていただろう。ピッチの端から端までカウンターを防ぐために失踪しても新聞には載らない。
だが、スコアや試合の状況次第では、それもまた得点と同じくらい重要になる可能性のあるプレイなのだ。
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