ニューカッスル戦と腐敗した判定に関して
ニューカッスル戦では触れるべき多くの出来事が起きたため、まず第一に明確にしておこう。確かにアーセナルはこの試合勝利に値するようなパフォーマンスを見せられるわけではなかった。だが同時に、敗北に値したというわけでもなかった。
練習で怪我をしたウーデゴールの不在は痛手だったが、代わりにハヴァーツが先発となり、それ以外は大方の想定通りのメンバーだった。
アーセナルのパフォーマンスは悪くなく、ニューカッスルをうまく抑えていたし、どちらかというと問題は攻撃面で何も起こせなかったことだった。デクラン・ライスは何度か迫力のあるランで試合を変えようとしたが、結果にはつながらなかった。
だが、これ以降の起きたことに関してはそれぞれの件ごとに見ていく必要があるだろう。
カイ・ハヴァーツのタックル
ダン・バーンが何度かイエローカードをもらうことなくサカにぶつかっていた後に、これは起きた。ハヴァーツは普段は冷静な選手のように見えるが、この試合、特にロングスタッフに飛び込んでいった場面でかなり頭に血が上っていたのは間違いない。
確かにこのタックルはレッドカードでもおかしくはなかった。もしコンタクトがもう少し早く、ハヴァーツが後ろの足ではなく、前に突き出した足で相手を捉えてしまっていたら退場となっていたかもしれない。
確かに褒められたタックルではなかったが、結果的に判定はイエローカードだったし、これがそこまで理不尽なものだとは思えない。
だが、これにニューカッスルの選手たちがいきり立ってしまい、抗議で何枚かのイエローカードをもらったのは少々面白かった。
ブルーノ・ギマランイスのジョルジーニョへのファウル
もしかすると、ハヴァーツのタックルの後でギマランイスは少々かっとなっていたのかもしれないが、それが何か関係があるわけではない。彼は中盤で簡単に交わされてしまい、ベン・ホワイトに飛び掛かった(ありがたいことに、彼はここでコンタクトに失敗した)。
そしてその後起き上がると、通り過ぎがてらジョルジーニョの頭を自分の腕では叩いていった。
これは全くもって臆病者らしい行為だし、サッカーのルールに定められた『暴力的な行為』の定義にまさに当てはまっている。プレミアリーグのページによると暴力的行為の定義は以下となっている。
暴力的行為: 選手がボールを奪うという意図なく過度な力あるいは残忍な行為を相手選手あるいはチームメイト、審判、ないしは観客であれ誰かしらの人に行使する、あるいは行使しようとすることを指す。この際コンタクトがあったかどうかは関係ない。
また、ボールをプレイする意図のない状況で相手選手あるいはその他の人の頭部または顔を手や腕で打つ行為はその力が無視できるほど軽微でない限りは暴力的行為とみなされる。
VARはこの場面をチェックし、暴力的行為には当たらないと判定したそうだが、その後出てきた説明は当たったのが肘ではなく腕であったから、というものだった。
だが、この説明は良くても最もらしい嘘、といったところだ。確かに、肘で相手を打つ行為の方がより暴力的だとはいえるだろうが、もし腕で相手を叩く行為を許可するのであれば、さっさとピッチの周りにロープを張り巡らし、試合をサッカーではなくレスリングと名前を変えて呼び始めた方が良い。
会見ではアルテタは特にゴールが取り消されなかったことに怒り狂っていたようだが、どちらかというとこの場面でブルーノが退場にならなかったのことの方が重要な過ちであるように思える。
VARブースでこの映像を見て、なぜこれを暴力的行為ではないとみなすことができたのか、これは全く持って怠慢であり、狂気でもある。これは何の疑いの余地もない100%のレッドカードであり、完全に間違った判定だった。
失点場面
ニューカッスルの得点場面に関しては、ボールはラインを割っているかもしれないようには見えたが、映像から100%ボールはラインを割っていたと判断できたか?と言われれば答えはNOだろう。
そして、ボールがラインを割っておらず、プレイが続行となった時点でアーセナルはより良い守備を見せられるべきだったか?という問いの答えはイエスだ。
そもそもそこに至るまでの場面でガブリエルはもっと楽にクリアするべきだった。
そして、その後2つのVARの判定に関して言えば、ジョエリントンは両手をガブリエルの背中に置いており、つまりガブリエルはボールに対してジャンプする勢いを邪魔される体勢に合った。このようなファウルはほとんどの場合は与えられる。
そして、その後のプレイがオフサイドであったのは間違いない。どう考えてもゴードンはジョエリントンにボールが当たっとき二ラヤよりも前に出ていたし、であればオフサイドのはずだ。
VARによると、オフサイドであると明確な判定を下すために必要な、判定用のラインを引くためのコンタクトの瞬間が見つけられなかった。とのことだがこれもまた、現在の審判団の悪質さの証明だ。
2022年のブライトン戦で、マルティネッリがコーナーからゴールを決めた際に、VARは明確にオフサイドかどうかの判別ができなかったが、それでも彼らはゴールを取り消した。今回のケースとそれは一体何が違うというのだ?
結果的にゴールは認められ、アーセナルは本来10人になっているべき相手に1点ビハインドを背負って戦うこととなった。このような展開ではウーデゴール、ジェズス、パーティ、スミスロウの不在が痛手となり、ベンチから流れを変えられるような選手もあまりいなかった。
失点後アーセナルはポゼッションで圧倒したが、チャンス創出はほとんどできず、枠内シュートも放てなかった。コーナーは多かったが、これもチャンスにつながらなかった。
もちろん、判定に対してフラストレーションを感じながらもチーム状況に不安を感じるというのは完ぺきに両立可能な姿勢だ。今のアーセナルのファイナルサードでのパフォーマンスには問題がある。サカとマルティネッリは抑えられているし、このような試合でエディーは中央での存在感が足りていない。
もちろん、離脱中の選手がいれば話は違ったかもしれないが、現在プレイできる選手のみではかなり苦戦している。
アルテタのリアクション
試合後アルテタのコメントには遠慮がなかった、というのはこれでもまだ控えめなくらいだ。
失点に関して彼は
結果について話すのであれば、一体なぜあのゴールが認めらたのかを話さなくてはならない。まったくもって信じられないし、恥ずべきことだ。
と述べ、試合後に審判団からお詫びがあるかもしれませんね、という問いには
正直に言ってそんなもの何の意味もない。彼らが何を言うかなんて全く気にかけていないよ。大事なのは結果で、そして、もう遅すぎるんだからね。彼らが何を言ったってもう遅い。彼らのような人々の手に我々の命運を握られているとはね。
今日我々は勝ち点3を失ったんだ。その意味が分かるかい?このリーグは非常にハードなリーグなんだ。懸かっているものが大きすぎる。本当に恥ずかしいことだよ。
と語った。
恐らくアルテタはかなりの額の罰金を科されることになるだろうが、私は彼がこのようなコメントを出したのは良いことだと思う。
プレミアリーグの判定の質は非常に低く、毎週何かしら問題が行われては、ルールを否定するような説明が出されている。これはアーセナルにだけ起きているわけではなく、プレミアリーグのほぼ全クラブが経験しているはずだし、中には非常に重大な結果へと繋がっているものもある。
ある程度サッカー界で地位の高い人々がこの耳の痛い真実に目を向けない限り、今後も何も変わることはないだろう。今年のハワード・ウェブのPR戦略に飲まれ、常に審判団を擁護する目線での放送を続けているTV局や解説者たちが、ウェブがPGMOLのトップに就任して以降、判定の質はむしろ下がっていることを受けて、後悔していることを願おう。
今プレミアリーグの判定は過去最低レベルにある。これからもミスは起き、謝罪が行われるだろうが、これらのミスの性質は何らかの介入を必要とするものだ。
これらは些細なミスではなく、とんでもない規模の失敗ばかりだ。我々が既に世界中の誤審は見尽くしたのではないかと思っていても、何かしら毎週新たなことが起きる。このような頻度でミスが起きるのは受け入れられるものではない。
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ディスカッション
コメント一覧
They are trying to make the best decisions. We need to understand that mistakes happen.
Mikel Arteta says the match officials deserve support in situations that errors occur.
落ち着きな
プレミアのレフリーはバーターをする。自身を神か何かだと思っている。
法律を学ぶ人は皆、自身ではなく{法」が裁く、と教わる。…英国以外は。
明文化されてないもの(そういう権利はあると思う。英国に多くを学んだが、憲法は。その後の苦労。今の英国サッカー界と被る)を統治の根拠にし、それに対する反骨の精神。サッカーを発明した人たちが、何を求めてルールを明文化したか。
サッカーは新時代の道しるべになりうる。
収益の大半を全世界への放映で成り立っている以上、すでに一国の問題ではない。
英国の方々気づく日が来ることを願う。