チェルシー戦振り返り by arseblog
前半29分、マルティネッリのクロスにジェズスがギリギリのところでボールを合わせられなかった場面で私の中によぎったのは複雑な感情だった。
もちろんフラストレーションは感じた。スタンフォードブリッジでリードするチャンスを逃してしまったのだから。
だが同時にこの時点でアーセナルがかなり優勢に試合を進めており、得点に繋がってもおかしく無いチャンスを作れていたのも事実だ。
このシュートに繋がった一連のパス回しは誇りに近い感情さえ抱かせた。素晴らしいワンタッチパスの連続、高速で前に進んでいったボール、一人で多くのDFを無効化したマルティネッリのラン。決まっていればシーズン最優秀ゴール候補になったであろうボールをジェズスが決め切れなかったのは残念ではあったが。このプレイはまるで今のアーセナルを象徴する用だった。
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— Arsenal (@Arsenal) November 7, 2022
今季のアーセナルについては多くが語られている。勢い、若さ、メンタル面、ジェズスやジンチェンコ、サリバと言った選手たちがいかにチームを変えたか。
だが一方で、そこまで多くは語られていないのが、今のアーセナル、そしてアーセナルの選手たちがいかに技術面で秀でているか、という点だ。そして、それは上のパス回しからも明らかだった。
試合を通して、アーセナルはチェルシーを内容で上回っていた。確かにこれまでも最近のアーセナルは何度かアウェイでチェルシーを破っているが、今回の勝利はそのどれとも違うものだった。
チェルシーはアーセナル相手にほとんどチャンスを作れなかったし、この日のアーセナルに不満があるとすれば、ゴール前でのシャープさを少し欠いていた、という一点のみだった。
私がアーセナルの試合を見て、対戦相手の選手に言及するといううことは余程のことがない限りないのだが、この試合でのチアゴ・シウバは素晴らしかった。彼はもう38歳だが、アーセナルの素晴らしいパフォーマンスに対処しようとするチェルシーを支えていた。アーセナルの決定力に改善の余地があったのは事実だが、もしシウバが居なければ、恐らくもう少し点差は開いていただろう。
実際の得点の場面は華麗ではなく、どたばたとしたものだったが、その起点となったコーナーをアーセナルがどのようにして得たかにも言及すべきだろう。
ボールを持ったチアゴ・シウバが必死にパスの先を探したが、アーセナルがプレスをかけ、ジェズスがボール奪取に成功し、最終的にはブロックされたシュートがコーナーになった。ここからガブリエルの得点は生まれたのだ。
確かにジェズスはここの所得点のない試合が続いているが、この試合でのジェズスと今はチェルシーのストライカーであるオーバメヤンのパフォーマンスは非常に対照的だった。オーバメヤンのボールタッチ数は試合を通して8のみだった。
一方で、ジェズスは得点こそならなかったものの、アーセナルが試合を支配する原動力となった。ボール保持時のプレイだけではない。彼は走り、ボールを追いかけ、相手を追い回し、プレスをかけ、より体格の大きいDF達相手にボールを収めていせた。
近々ジェズスに得点が生まれるであろうということを私は疑っていないが、この試合のジェズスは非常に献身的で、利他的なパフォーマンスを見せた。
点を決められておらず、喉から手が出る程得点が欲しいストライカーは、チャンスに備えて少しくらいスタミナを温存し、出来るだけゴール前に近い位置にいる時間を長くしたいと考えてもおかしくない。
だがジェズスはそれをせず、常にチームの勝利を優先していた。この姿勢はリスペクトされるべきだろう。
そして、それはジェズスだけではない。上で触れた素晴らしいパス回しは偶然生まれたものではないのだ。もちろんアルテタがきちんと動きを整理し、選手たちがピッチ上のどの位置にどのタイミングでいるべきなのかを理解している、というのは前提にはある。
だが、同時に選手たちは大変なハードワークをこなし、そのようなポジションにいられるように尽くしていた。
例えば、サリバの守備時のパフォーマンスは素晴らしいものだったが、同時に彼はパスを出すたびにダッシュで下がり、味方のサポート役として、もし必要があればパスを受けられるポジションに走っていた。
そして、このようなプレイは、ピッチ中で、試合開始から試合終了の笛が鳴るまで、常に行われていた。アーセナルの選手たちはお互いがどこにいるのかを把握していた。
週末のアーセナルはただ勢いに任せて勝利を収めたチームではなかった。非常にスマートかつ才能あふれる選手たちが、その才能を監督が練習で指導した戦術を実際に試合で活用することに注ぎ込むことで、実現した勝利だった。
素晴らしい戦術、選手獲得、モチベーション、それらすべてが実を結んでいるところを我々は目撃しているのだ。
そして、最近のアーセナルのパフォーマンスに関して、トーマス・パーティとグラニト・ジャカの二人の経験豊富さが鍵となっている、というのは指摘されるべきだろう。
チェルシー戦でこの二人は中盤を圧倒したし、これまでは冷静さを欠くことが多かったジャカが、逆に試合終盤、チェルシーの選手たちに冷静さを欠かせ、時間を使わせる、という落ち着いた振舞まで見せていた。
ジョルジーニョはジャカにかなり苛立っていたが、それは彼が100%は同点弾を決めることに集中できなかったということの裏返しでもある。
試合後、アルテタは以下のようにコメントした。
非常に感銘を受けている。我々は若いチームだが、大人びた落ち着きと冷静さを見せた。勇気をもって、我々なりのスタイルでプレイすることを続けた。もちろん、これらは言うのは簡単だが、実際に遂行するのは難しいことだ。選手たちは皆素晴らしかったね。
まさにその通りだ。
アーセナルが落ち着いて試合をコントロールする様子は特筆すべきものがあった。もちろん、1点差だったので、完全に安心して試合を見ていられる、と言うわけではなかったが、試合のどの場面でも、どちらが試合をコントロールしているかは明らかだった。
そして、些細なことかもしれないが、決勝点が決まった時、選手たちがまるで自分が得点したかのように派手にセレブレーションをしていたのも印象的だった。
サリバはまるでW杯の決勝で点を決めたかのようにセレブレーションをしていた。全体のセレブレーションからもチームの一体感と雰囲気の良さが感じ取れた。
もちろんこれは今日に始まったことではないが、今感じられるファン、選手、スタッフの一体感はアーセナルの良さを象徴している。
ファンのサポートに関して、アルテタは次のように語った。
雰囲気は最高だった。ファンの皆は本当に素晴らしい。彼らはクラブと、アーセナルに流れるエネルギーを完全に変えてくれたね。ファンのおかげで、チームは自分たちのプレイを信じられているのだと思う。アウェイなのに、このような空気を共有できるのは本当にすごい。実は私の息子もアウェイスタンドで一緒に試合を応援していたんだよ。素晴らしかったね。
もちろん、アルテタの言うことには一理ある。アーセナルファンが作り出す空気は素晴らしい。だが、彼は意図的に自身の役割を過小評価しているように見える。
もしアルテタが『ファンがアーセナルを変えてくれた』とサポーターを称えるのであれば、私はアーセナルファンの一人として、同様に、そのプロセスにおいてアルテタが果たした大きな役割を称えなくてはなるまい。
アルテタがアーセナルの監督に就任した当初の状況と、今のアーセナルを比べればそれは明らかだ。
もちろん、この変革はアルテタが一人で成し遂げたものであるというわけではないし、ほかにも称えらえるべき人物は多い。だが、プロジェクトが失敗した場合に、通常真っ先に批判されるのは監督だ。であれば、物事がうまくいっている際には、アルテタも称賛されるべきではないだろうか。
我々は今週も首位をキープすることに成功した。もちろんまだ先は長いが、それは今後心配すればよいだろう。今年のアーセナルは、ファンを素晴らしい旅へと導いてくれており、私はそれをできる限り最大限楽しむつもりだ。
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