アーセナルファンが勝利を祝うのが気に入らないセレブレーション・ポリスに関して
フラム戦終了後にアーセナルの選手たちや、ファンがセレブレーションをしていた様子が、英国の一部の解説者たちから疑問を呈された件が話題となっている。
"The coach and his players over celebrated a 2-1 win over Fulham! This sort of reaction to what happened yesterday from Arteta tells me how far they have fallen!" @richardajkeys doubles down on Arsenal celebrating their 2-1 win over Fulham!#ARSFUL 🔴⚪️ #beINPL pic.twitter.com/Sp611UD0Ed
— beIN SPORTS (@beINSPORTS_EN) August 28, 2022
だが、サッカーファン、というよりもむしろどのスポーツのファンであっても、彼らが試合に勝利した瞬間を祝ってはいけないという意見は全く持って受け入れられない。
試合終了間際の勝ち越し弾を祝えないのであれば、そもそも試合を応援することに何の意味があるのだ?
このセレブレーションに批判的な風潮は近年SNS上を中心に始まったとても愚かな風潮だ。こんな意見は無視してしまっても良いのだが、同時に何らかの反論を行わなければならないとも思った。
これはアーセナルファンだけの問題ではないのだ。
現在世界ではたくさんのことが起きている。その多くは難しく、良からぬことだ。だからこそ、人々にとって大きな意味を持つ好ましい出来事が起きた場合に、それを彼らが祝うことを止めようとするような主張は否定されなくてはならない。
そもそも『アーセナルはただフラムに勝っただけだ』のような言い方は、フラムファンに対するリスペクトも書いている。もちろんフラムはタイトル争いに参戦しているチームというわけではないが、リバプールを苦しめ、2-2の引き分けに持ち込んだチームだ。
ユナイテッド相手に勝利を収めたブレントフォード相手にも勝利している。昇格直後にこのような躍進を見せているクラブをこのように扱うことは、リスペクトを欠いていること甚だしい。
そして、アーセナルファンと選手たちが今まで以上に盛り上がる背景には、選手とファンの関係性がこれまでにないほど良好であり、アーセナルが素晴らしい雰囲気に包まれているというのもあるのだろう。
もちろんどんな時でも試合終了間際のゴールは嬉しいものだが、ファンの今のチームの選手に対する愛情、そして選手たちのそれに応えようとする気持ちの強さが感じられる。
昨季の残念なシーズン終盤を経て、今季選手は非常にモチベーションが高いようだし、全ての勝ち点を勝ち取る、というハングリーさを見せている。フラム戦後のセレブレーションはフラム相手に勝利することを祝うというよりも、目標の達成に向けて一歩また前に進んだことを祝うものでもあるのだ。
サリバ、ジンチェンコ、ジャカといった選手がこのゴールをどれだけ情熱的に祝ったかからもそれはわかる。もちろんこれからシーズンの浮き沈みはあるだろうが、どんな時も彼らは全力を尽くしてくれるだろう。
アーセナルファンだって、我々が別にタイトルを獲得したわけではないのは承知しているし、まだまだ先が長いこともわかっている。だが、劇的な試合展開で開幕からの4連勝をもぎ取る、というのは十分にセレブレーションに値する。
恐らく、アーセナルが順調に進んでいるのが他クラブのファンには気に入らないのに違いない。
この記事は、2つの元記事のセレブレーションに関する部分を合わせて再構成したものとなっています。
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ディスカッション
コメント一覧
このご意見は大変心強い。
二つ合わせたという御努力にも敬意。
サッカーを取り巻く様々な問題が数年内に解決できる、と思わせました。
結局のところ、不安感をあおる事によって、食っている人たちがいる、という問題。日本も例外ではありませんが。多くの人がこうした事に否といい、よりサッカーを素晴らしいものに。
アーセナルは嫉妬されるクラブ。
同情されてた、この何シーズンが懐かしい。
アーセナルに栄光あれ