審判にあたるスポットライト
先日のポッドキャストで、いかにプレミアリーグの放送でのスタジオでの分析で、実際のプレイ内容よりも判定に関しての話に多くの時間が割かれたことが話題に上がった。
未だかつてないほどレフェリーは注目されている。
全く注目されないレフェリーこそが最良のレフェリーであるというのは昔からよく言われていることだが、今のVARの時代にそれはほとんど不可能で、一試合で最低でも何秒か、あるいは何分かは審判に注目が集まてしまう。
もう今更我々は引き返すことはできない。
25台のHDカメラのありとあらゆる角度からの映像を無視することなどもうできないのだ。
VARは判定を容易にするというよりもむしろ、スローモーションでリプレイが見られる我々にとっては簡単にわかることでも、リアルタイムにコンマ数秒の間に判断することがいかに難しいかを際立たせる役割を果たしている。
ただし、実際に主審がモニターを見て判定を下す時でさえも、しばしば彼らの判定は我々を混乱させるのだが。
もう忘れてしまった人もいるかもしれないが、今季VARは一度我々に有利に働いており、エミール・スミス=ロウのレッドカードが取り消されている。VARにより主審が判定を間違えたと気づき、レッドカードを取り下げたのだ。
私が覚えている限り、これはVARのようなテクノロジーが存在していてよかったと思った数少ないケースの一つだ。ほとんどの場合は基本的にこの技術は試合の楽しみになんの貢献もしていない。
オフサイドのように、かなり厳密に判定できるケースでさえも、人々は『なぜこんな指先で、足先でオフサイドということがありうるのだ?』と不満を表明し始めた。
突然我々は判定に主観性を求め始めた、というわけだ。もちろんかつてのサッカーには副審が自分の判断でオフサイドフラッグを上げる、という形でそれが存在していたのは皮肉なことだ。もちろん、時々は間違えることもあったが、大抵の場合はそれは正しい判定で、全ての判定が議論になったわけではなかった。
アーセナルに対する判定が意図的に不利になっているのではないか?などといった陰謀論なども登場しているが、私としてはそんなものがあるとは思えない。
私も皆さんと同じくらい最近の判定には納得がいっていないが、それは今に始まったことではない。プロアマチュアを問わず、昔からファンは自分のチームにだけ判定が不利であると感じるものだ。
私が思うに、アーセナルはレフェリーに判定の機会を多く与えすぎている。
そして、恐らくアーセン・ベンゲル時代からの遺産である、アーセナルは華やかで洒落た外国人選手をそろえ、古き良きハードワークとフィジカル、タフな男たちのイングランドサッカーを脅かす存在であるというイメージもある程度影響してはいるだろう。
アーセナルは本来必要なレベルで審判からファウルに対して守られているとは感じられない。私個人の意見だが、かなり短い期間にラムジー、エドゥアルド、ディアビとキャリアを壊してしまうような怪我がアーセナルの選手に立て続けに起こり、他のクラブには起こらなかったのは偶然ではないと思う。
しかし、審判たちの間で意図的にアーセナルに不利な判定をしようという意志のような問題が存在しているだろうか?と問われれば答えはNOだ。
先週のダビド・ルイスへのレッドカードは非常にフラストレーションのたまるものだったが、究極的には、もしわれわれがきちんと集中を保てていれば、そもそも審判には微妙な判定を下す機会は訪れない。
プレミアリーグの審判の基準が全く持って一貫性を欠いているのにいら立っているか?
もちろん。だが、危険なエリアでミスを犯すことに定評のある選手をペナルティエリア内でプレイする機会を減らすことで防げるPKもある。
試合の主導権を握れば、審判の問題は大したものではなくなるのだ。まさにこれが最近アーセナルが出来ていないのと、近年アーセナルに不利となった判定に多大なる注目が集まるのとは無関係ではないはずだ。
もちろん我々アーセナルファンがアーセナルに注目するのは当然だが、我々が抱く何人かの審判への不満は他クラブのファンも同じく抱いているのは間違いない。
例えばチェルシーファンは2017年のFA杯決勝でアーセナルの得点に繋がったサンチェスのハンドを見逃し、2020年に特にたいした理由なしにコバチッチを退場させたアンソニー・テイラーのことをよく思っていないだろう。
もちろん、それに対して特に私が気にかけているというわけではないが、リーグ上位でも下位でも、それぞれのクラブごとに嫌われ者の審判がいるに違いない。
私がマイク・ディーンのことをよく思っていないのは事実だが、だからと言って彼や家族に対する殺害予告が正当化されるわけもない。
それがどこかのあばた面のツイッターのデフォルトの卵型アイコンの後ろに隠れた馬の骨からのものだとしても、このようなタイプの脅迫は恐怖を与えるものだ。
そもそもSNS上の中傷や人種差別などは審判だけに限らないより大きなトピックで、別に論じる必要があるが、今回は審判のケースに集中しよう。
シンプルに、サッカー界でその仕事を果たしている審判たちに殺害予告が寄せられる、というのは客観的に見て非常に悪い事態だ。これに関してリプレイもラインを引いたりは必要ない。これは誤った行為であり、満場一致で非難されなくてはならない。
さてでは、このように、実際にサッカーピッチ上でのプレイを差し置いて、審判にあまりに多くの注目が集まってしまう状況に我々はどうやって対処すべきだろうか?
単に『この話はもうしないようにしよう』というのではだめだ。それでは本質的な問題の解決にならないし、そんなもので人々が話をやめるわけもない。
こうなってくると、PGMOL(プロ審判協会)はもっと大きな役割を果たすべきだ。プレミアリーグのウェブサイトによると、PGMOLはプレミアリーグとEFL、FA主催の大会においての審判の向上を目指す団体らしいが、彼らは、このプレミアリーグ、EFL、FAの3つの団体がきちんとしたスタンダードの審判行為を提供できているかをきちんと評価する責任がある。
この団体のトップを2009年からマイク・ライリーが務めているが、私が思うに、彼の指揮下の元、審判の基準はブレブレになっている。責任の所在が不明瞭だし、説明なしで単なる上からの意見がまかり通ってしまったりしている。
TVのスタジオに元審判員を呼んで試合の判定を解説させようというのは悪くない試みだと思うが、もし彼らが同僚の審判を弁護することに終始するだけだとしたら、それに一体何の意味がある?
元審判が『VARは正しい判定を下すために存在しているわけではない』などといった的外れなコメントをするようであれば、人々がイラつくのも無理はない。
私が思うに、より落ち着いた場で、熟慮しながら審判行為のスタンダードに関して冷静な会話が交わされるべきだ。
ファンが審判に殴り掛からんばかりの勢いで叫び、元審判たちが自分たちの弁護に終始しているところに監督たちまでいきり立って参戦してくるような場ではきちんとした話し合いなど出来るわけもない。
具体的な方法論に関してはわからないが、どんな仕事を行う人物であっても改善の余地があるということは受け入れなくてはならないし、少なくとも冷静な会話がスタートポイントであるべきだ。
PGMOLがそのような場を作る気があるのかは私にはわからないが。
私の意見としては、VARの最悪の点は、この技術の登場で人々が判定の完璧さを期待するようになってしまったことだ。もしこのようなカメラやリプレイがあるならいつも100%正しい判定が下せるはずだという見方をする人が増えてしまった。
実際には、サッカーのルールはあいまいで、結局主観的にならざるを得ず、それが"ミス"(それをミスと呼べるのかはわからないが)に繋がる。
そして、これらのミスがファンを怒らせる。なぜならそれが原因で得点を、勝ち点を、選手を失うことになるのだから。
元々審判というのは難しい仕事であったが、VARがそれをさらに難しくした。かつても悪い判定はあったが、これほどまでに人々を怒らせることはなかったと思う。
恐らく、かつては何度も繰り返し見ることが難しかったリプレイ映像がSNS上で永遠に残り、だれでも手軽に見られるようになったのも影響しているだろう。
疑いの余地はないのは、現在どんどんこの審判に関する問題が深刻になっており、昔を懐かしがったところで問題の解決にはならない、ということだ。
PGMOLとプレミアリーグ、各クラブ、そしてメディアはきちんとした議論が出来るようにし、少なくとも改善しようと努めなくてはならない。
もちろんそれでもファンはいら立つこともあるだろうが、問題点を指摘し解決しようという姿勢があれば、ファンも理解しようとはしてくれるはずだ。
これはもはやなかったことにして触れないでいられる問題ではない。放っておいてもどんどん深刻化していくだけだ。物事を解決するためには、まずその話を始めなくてはならない。今回のケースも、色々なレベルでそれが始まってくれることを願おう。
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