【インタビュー】ナチョ・モンレアル
『サンティは手数料はもらったのかな?』と言いながらナチョ・モンレアルは笑い出した。
『ある朝目覚めたら、サンティ(・カソルラ)から電話がかかってきて、アーセナルに加わる気はないか?と聞くんだ。まだ寝ぼけていたし、衝撃的だった。そして、その夜には僕はもうアーセナルの選手になっていた。クラブは彼に"サンティ、モンレアルに話してみてくれ、どう思うか聞いてみよう。"なんていったのかな。』
2013年の冬の移籍市場の最終日、モンレアルに逃すにはあまりに惜しいチャンスが訪れた日だった。カソルラの電話は無駄には終わらなかった。
当初は短期的な急場しのぎの補強とみられていたが、結果的にモンレアルは7シーズンをアーセナルで過ごし、250試合以上に出場、3度のFA杯優勝を果たした。
現在34歳になり、GOAT(山羊・英語では史上最高の選手という意味のスラングでもある)のあだ名を持つモンレアルが当時のことやスペインでの時間に関して振り返る。
モンレアルにとってのサプライズだったカソルラからの電話だが、ギブスがハムストリングのけがをするまではアーセナルも左サイドバックの獲得は予定していなかった。
『アーセナルには左サイドバックが二人いたけど、アンドレ・サントスはプレイしていなくて、ギブスがけがをした。順位は5-6位でもしかすると初めてCL出場権を逃すかもしれない、という状況だった。だから誰か獲得しなくては、と思ったんだろうね。一日で決められ、完了までこぎつけた移籍だった。』
とモンレアルは語る。
『大きな挑戦だった。僕は小さい町の出身だし、スペインから出たこともなかった。たった一人、僕の知らない言葉を話す新しい国でプレイするんだからね。
僕がデビューしたストーク戦では頭と頭がぶつかり血まみれの騒ぎになっていた。プレミアリーグの洗礼だね。でも、人生において、電車は一度しかやってこない、ということが時々ある。慌てて飛び乗るか見送るかだ。今思い返すと、飛び乗って本当に良かったと思う。』
もちろん手助けしてくれた人もいた。モンレアルはベンゲルやアルテタ、ベジェリンのことを暖かなトーンで思い返して語る。そして、とてもサッカーがうまい"エージェント"、カソルラ。
『アーセナルでサンティがファンに愛されていたのは彼が唯一無二の存在だったからだ。サンティの真似をすることはチームの誰にもできなかった。』
ファンはモンレアルのことも愛していた。そのことを指摘すると、モンレアルは少し恥ずかしそうに語った。
『本当にそれに関しては感謝しているよ。僕は自分がどんな選手か知っている。僕は得点をしたり、違いを生み出すスターじゃない。でも、僕はアーセナルのユニフォームを身に着けるとき、常に全力を尽くしていた。アーセナルでウォームアップできるだけでも誇りに思っていたよ。ファンの愛や感謝は感じていたし、僕の方も、ファンのことを愛していた。』
モンレアルは非常に気さくな人物で、一言一言笑いながら話していたが、その節々にアーセナル時代への愛情が感じられた。そして、それが最も感じられたのはFA杯について語った時だ。
『カップ戦の魔法っていうのは素晴らしい。
朝起きる。そして、キックオフの5時間も前から人が集まっている。そこかしこに家族が、マフラーが旗があふれる。バスに乗れば、ファンが道を囲んでいる。会場に到着する。もう満員だ。10万人の人たち。
この文化はとんでもないね。ほかにまたとない経験だったし、素晴らしい思い出だ。単にウェンブリーでプレイできるだけでも素晴らしいのに、その上優勝できたんだ、言葉にできないよ。』
チェルシーのアスピリクエタとともにオサスナで台頭してから、モンレアルは長い道のりを歩んできた。
『当時はこんなことになるとは想像もしていなかったよ。オサスナでもマラガでもアーセナルでも、最初は大変だ。僕は近しい仲の人たちと一緒にいることを好むタイプで、とてもシャイだからね。
だけど、新しい場所ではそういった性格は問題になってしまう可能性がある。たった200人の前でプレイしただけの誰でもない存在から15000人の前でプレイするようになって、人々が自分のことを話すようになり、街を歩けば』注目されるのも大変な経験だった。
もうそうなったら子供みたいに、そんなのは気にしないと透明なバリアを張るしかない。何年もたって慣れてしまえば、それは苦にならない。だからこそ今は楽しめているね。僕はポジティブな点に集中できる。
プレッシャーに対処できなければ飲み込まれてしまうからね。そして、それが僕のプロサッカー選手としての一年目に起こったことだった。ミスをするたびに、誰かが叫ぶのが聞こえる。そして、僕の心は沈んでいく。
だけど、何とか乗り越えることができた。今はもうそんな音は全く気にならないね。』
長い時間を経てキャリアを始めたパンプローナから現在のサンセバスティアンは81kmしか離れておらず、長い時間を経てモンレアルはついにスペインに帰ってくることとなった。ロンドンのことが完全に頭を離れたわけではない。
『時々チームメイトと英語で話したりもするよ。もちろん今は新しい挑戦の最中で、より故郷に近い場所でサッカーを楽しんでいる。だけどアーセナルの選手とも結構話をする。特にヘクターだね。コロナのことやミケルのこと、今のチームのこと。』
選手時代からアルテタが監督になると思ったか?という問いに対してモンレアルは素早く『YES』と答えた。
『その素質は見てとれたよ。彼はリーダーで、キャプテンだった。知識豊富で、ミーティングで話をするのがとてもうまかった。既に休暇中にはコーチ向けのコースを始めているんだ、と話していたね。
とはいえ、さすがにここまで早くアーセナルの監督になるとは思わなかったよ。でも彼はすでにグアルディオラの下で学んだわけだし、今後も成長するはずだよ。』
モンレアルは、アーセン・ベンゲルの直後にアーセナルの監督に就任しなかったことはアルテタにとってプラスかもしれない、と考えているようだ。
『ベンゲルの退団は賛否両論で、これによってファンの間での壁があり、彼の後継者は苦労することは明らかだった。ウナイは彼が必要とするだけの時間を与えてもらえなかったかもしれないけれど、それでも良い仕事をしたと思う。
アルテタの下でプレイできたら素晴らしかっただろうね。このことはヘクターにも話をしたよ。選手時代とか何か変わったのか確かめたい、という好奇心もある。でも、僕は違う道を選んでここにやってきた、物事はうまく行っているしハッピーさ。
契約した時からこのクラブやチームメイトの何人かのことは知っていたし、良いサッカーをするだろうとわかっていた。だけど、ここまでうまく行くとは思っていなかった。』
ダビド・シルバ獲得もその大きな要因の一つだった。
『クラブが誰か獲得しようとしているとは聞いていたけど、まさかそれがダビドだとは思わなかったよ。シティに10年も居て、噂ではラツィオかヨーロッパを離れるのでは、ということだったからね。他にもどこでも行こうと思えば行けたはずだ。
あっという間だった。ウーデゴーアは残ると言ってたが、レアルは呼び戻すことにきめた。これは大打撃だったけど、クラブは凄くうまく、かつ迅速に対処した。ウーデゴーアを失った二日後にはダビド・シルバだ。これはクラブを褒めてあげなくてはならない。』
元シティのシルバ、元アーセナルのモンレアルが揃うクラブはともにラリーガを優勝できるだろうか?(訳注: モンレアルの所属するレアル・ソシエダは暫定リーグ一位)
『それは誰にも分らない。当然論理的に考えれば可能性が高いのはレアル、バルサ、アトレティコだ。誰に聞いたってそういうさ。でも僕はレスターがリーグ優勝するところを目撃した。彼らのことも皆はいつか調子を落とすだろうとシーズン通していったけれど、ついに彼らは滑り落ちることはなかった。
今の順位表を眺めるのは楽しいけれど、とりあえず明日はどうか見てみよう。そして、2月3月にどれくらいの位置にいるか見てみよう。もしその時も留まれていれば、それは素晴らしいことだね。
もしそうなれば、僕らベテランにも仕事はできるという事だね。楽しめるだけ楽しむのが大事さ。ただ、一つだけ言えるのは僕らは誰にも劣っているとは思っていないし、どんなチームのことも恐れていないということだ。』
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コメント一覧
ナチョとサンティは、グナーにとって忘れられない選手。
ヨーロッパの舞台で、エミレーツに迎えたいですね。