アーセナルレジェンド紹介6 ジョージ・グレアム&チャーリー・ジョージ

歴史

引き続き、1960年代にアーセナルに加入した選手たちを紹介していきます!ちなみに、1966年にイングランドはW杯優勝を果たしていますが、このメンバーにアーセナルからはなんと1人しか選ばれていませんでした!

ジョージ・グレアム 1966-1972

ジョージ・グレアムは今もなお歴史に残る伝説の1989年のアンフィールドでアーセナルに優勝をもたらしたのをはじめ、恐らく最近は、監督としての姿の方が有名なのではないかと思いますが、実は選手時代も300試合以上出場したアーセナルレジェンドでもあります。

1971年のリーグ優勝を選手として経験しているのをはじめ、FA杯決勝でもマンオブザマッチに選出されました。

アストンヴィラで17歳でデビューを果たすと、その後チェルシーを経由して1966年にアーセナルに加入したグレアムは、もともとはストライカーでした。

アーセナルに移籍してきてからも最初に二年はストライカーとしてプレイし、そこまでパッとしなかったものの、それぞれ11点と17点を決め、チーム得点王に輝いています。

しかし、繊細なタッチと空中戦の強さ、シュートの上手さを備えていた一方でスピードが足りず伸び悩んでいたところを当時の監督に中盤にコンバートされ、その真の才能が開花します。

ゆったりと構えて中盤の指揮をとる様子からストローラー(散歩する人)というニックネームがつけられました。

その後はキャリア終盤にマンチェスター・ユナイテッドに移籍すると、ユナイテッドと一緒に二部に降格するという面白い経緯をたどっています。

そして、アーセナルを去った13年後に監督としてミルウォールを3部から2部に昇格させた実績が評価され、アーセナル監督に就任すると、すぐに若手主体のチームを作り上げ、そして、より厳しい規律を導入し、チームを強化しました。

それまでは6位や7位が多かったアーセナルをすぐに4位に引き上げると、伝説の89年にはリーグ優勝を達成し、アーセナル史上初の選手監督両方で優勝を果たした人物になります。

その後も90/91シーズンもアーセナルを優勝に導いたりと、ベンゲル監督以前のアーセナルの監督としては一番有名かつ実績があるといえるでしょう。

チャーリー・ジョージ 1969-1975

今回のレジェンド紹介で紹介している選手は基本的に、アーセナル一筋とほとんど言ってもいいような選手で、出場試合数が多い選手がほとんどなのですが、そのうちの数少ない例外ともいえるのがこのチャーリー・ジョージです。

179試合という出場試合数はそこまで多いというわけではないですし(最近の選手だとベントナーとアルムニアが170試合出場程度です)、アーセナルを去って以降もダービー・カウンティやサウサンプトン、ボーンマスといった色々なクラブでプレイしています。そして、179試合で49ゴールというのも、まずまずですがそこまで突出して多いわけでもありません。

にもかかわらず、2008年にアーセナル公式サイト上で世界中のアーセナルファンによる投票では、ユングベリやソル・キャンベルといった錚々たるメンツを押さえて9位に選ばれています。

ではなぜそこまでアーセナルファンの印象に強く残った選手だったかというと、まず第一に、アーセナルが本拠地とするロンドン・イズリントンで生まれ育ち、アーセナルのユースチームから昇格した、生え抜きの選手だったことが挙げられます。

少年時代からアーセナルファンだったらしく、最近でいうとカール・ジェンキンソンのような存在だったのでしょう。今よりも現地ファンの比重が大きいファン層の間で人気になるのも頷けます。

また、10代の時点で既に細身で一見無頓着に見えながら相手守備陣を自由自在に切り裂いたFWだったと評されており、神童として相当な期待を受けていたようです。

特に20歳で迎えた、アーセナルが史上初のダブルを達成した1971年のFA杯決勝、リバプール相手に伝説の決勝ゴールを沈め、その期待はピークを迎えました。

ストライカーとしてもトップ下としてもプレイできる技術に秀でたアタッカーでしたが、残念ながらこの後彼は怪我に泣き、その才能の片鱗を見せながらも結局コンスタントに活躍することはできず、結局ダービー・カウンティへと去ることになります。

ウィルシャーやディアビを彷彿とさせるいきさつですが、そういった意味では、元祖アーセナルを象徴するような選手だと言えるのかもしれません。

ただ、だからこそ、彼ら二人と同じように、いまだにファンの心の中にジョージの姿は焼き付いているのでしょう。

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Posted by gern3137