アーセナルの歴史豆知識まとめ
ネタが尽きに尽きてきたので(なんかアイディアがあったら教えてください)明日当たりから時代をさかのぼってアーセナルのレジェンドたちを紹介していきたいと思っているんですが、それに先立って、今回はアーセナルの創立当初などにかかわる豆知識を少しだけ紹介したいと思います!
名前の変遷
アーセナルが王立兵器工場の労働者によって設立されたというのは良く知られた話ではありますが、もともとメンバーは工場全体ではなく、ウリッチ王立工場の労働者たちの一部、ダイアルスクエア(日時計広場)担当の人々に限られていました。
それを反映して設立当初は単にダイアルスクエアFCと呼ばれていたのです。設立日は、今一番有力なのは1886年の12月1日という説のようです。
ただ、当時の王立工場では、英国屈指のGKでもともとノッティンガムフォレスト所属で、ロンドンに引っ越してきたスーパースターのフレッド・ビアーズリーという選手がおり、彼を含めたより多くの選手がチームに加われるように参加要件が王立工場の労働者全体になり、それにともなって、ロイヤルアーセナル、ウリッチアーセナル、そしてアーセナルへと変わっていきました。
また、一時はロンドン・シティFCに名前を変えるという案も浮上していたようです。
ノッティンガム・フォレストからユニフォームを贈られたという話は嘘の可能性が高い
アーセナル公式サイトなどにも語られている、上述のフレッド・ビアーズリーとのつながりでアーセナルがノッティンガム・フォレストからユニフォームを贈られたという理由で赤井ユニフォームを着始めた、という説はアーセナルの歴史専門家のアンディ・ケリーとマーク・アンドリューズ両氏によると事実ではない可能性が高いそうです。
実際には、ノッティンガムフォレストから贈られたのはユニフォームではなく、ボールだけだったのだとか。ただ、当時ビアーズリーがノッティンガムフォレストでもともとプレイしていたので赤のシャツを採用した、というのは事実だそうです。
その他
・資金難に陥り、アーチェリー大会を開催してその参加費で乗り切ったことがある
・フラム(当時2部)と合併しようとしたが、もし合併した場合はアーセナルの成績ではなく、フラムの成績でリーグに編入しなくてはならなず、2部からになるとFAに告げられたため断念した。
・全国リーグで1部に1919/20シーズンから在籍しており、これはヨーロッパでセルティックに次ぐ最長の連続記録。
・1957年まではずっと長袖だった
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